『ひろしま』&『予言』上映会

『ひろしま』['53] 監督 関川秀雄
『予言』['82] 監督 羽仁進
 この夏、シネ・ヌーヴォから届いたチラシに「五十八年の時を経て、幻の映画が奇跡の再公開!」とあった『ひろしま』の16mmフィルムのほうが高知県教組事務局で見つかったことから急遽企画されたらしい上映会には、僕が20代の時分にあった「10フィート映画運動」による『予言』の上映が併映で付いていた。

 前者は「日教組プロ」が製作した反戦映画で、後者は「子供たちに世界に被曝の記録を送る会映画製作委員会」が製作したドキュメンタリー映画で、どちらも実に貴重な上映だ。さすがは小夏の映画会!と、思わず快哉をあげた。

 『ひろしま』で、生徒たちが授業中に回していて床に落とし、先生(岡田英次)に見咎められた本のタイトルが『僕らはごめんだ』となっていたが、そのタイトルを見て黙って本を返したところからして、みち子(町田いさ子)の病室で生徒たちが読み上げていた「日本への原爆投下には有色人種への差別意識が働いている」とのドイツ青年の指摘が記されている本だったのだろう。篠原某との著者名が映っていた。この原爆投下に係る人種差別問題の指摘については、よく聞いたりはしていたものの、その出典がどの辺からなのか長年気になっていたので、「そうか、これだったのか」と妙に得心がいって嬉しかった。

 主催者である田辺氏の解説によると、本作は、新藤兼人監督の『原爆の子』['52]の製作支援をした日教組が、その出来栄えに不満を覚えて、自ら制作に乗り出した作品で、被爆当日の忠実な再現によって原爆投下の残虐性を訴えることに力を注いだ映画とのことだった。新藤監督の作品は、被爆者の見舞われた悲劇的ドラマに偏っていて告発力に乏しいということなのだろうが、確かに警察予備隊の隊員募集の巨大なポスターの貼られた壁を何度も映し出して印象づけたり、被災孤児となって施設暮らしの後ぐれていた遠藤幸夫(月田昌也)が更正して真面目に働き出した工場を辞める理由が兵器の製造を始めたからだったりするのも、制作サイドが明瞭な反戦メッセージを作品に求めたからなのだろう。

 しかし『原爆の子』を見て原爆の惨状の描出に生ぬるさを感じ、自主製作に及んだとの本作は、確かに月丘夢路や加藤嘉らの熱演と最後にクレジットもされた広島市民のべ8万5千人とのエキストラ参加の迫力は認めるものの、併映された『予言』を観ると、劇映画での再現の及ばなさを痛感せずにはいられなかった。日本側が撮っていたフィルムも含めて全てをアメリカが引き上げ、国立公文書館に封印してあった資料映像の凄まじさには本当に絶句した。遠い昔、広島の原爆資料館で観た資料以上のものがあったように思う。僕の隣席で観ていた女性が堪らずハンカチーフで眼を覆っていたが、撮られている人々みなに共通していた“表情の消失”が肉体以上に痛めつけられた心を浮かび上がらせていて、何とも強烈だった。「10フィート映画運動」による記録映画は三部作あるらしいのだが、残りの2作品『にんげんをかえせ』『歴史 核狂乱の時代』も是非とも観る機会を得たいものだと思った。
by ヤマ

'11.12.11. 龍馬の生まれたまち記念館



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>