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●安政元年(1854)
●安政2年(1855)
●安政3年(1856)
●安政4年(1857)
●安政5年(1858)
●安政6年(1859)
安政年間神田・日本橋絵図
1月16日-ペリー、江戸湾に再来航。
1月−坂本竜馬、鍛冶橋の藩邸から築地の藩邸に移され、詰めきりとなる
。竜馬、二十歳。
3月−竜馬、築地藩邸から品川藩邸に移され台場の警備を命ぜられる。→
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3月 3日-日米和親条約調印。
4月30日-日米和親条約締結を不満として前水戸藩主徳川斉昭、海防参与を辞任。
5月25日-幕府、海防、禁裏造営のため江戸町民に献金を命じる(献金29万6000両にのぼる)。
7月9日-幕府、日章旗をもって日本国総船印とする。
8月23日−日英和親条約を長崎で調印。
10月−竜馬、安政1回目の地震(寅の大変)直後に江戸を発し帰国の途に着く。
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12月21日−幕府、日露和親条約を下田・長楽寺で調印。
2月−幕府、講武場(のち講武所)設立。
8月4日−幕府、松平乗全、松平忠固両老中を罷免。
8月14日−徳川斉昭、政務参与を命ぜられる。
8月25日−オランダ国王から汽船スンビン号を寄贈される(後、観光丸)
8月30日−幕府、洋学所(のち蕃書調所、開成所)を設立。
10月2日−夜四ツ過(午後10時頃)、江戸を中心に大地震発生。
10月 9日−堀田正睦、老中に復帰。
12月23日−日蘭和親条約調印。
8月 4日−老中阿部正弘、貿易開始の積極的方針を発表。
9〜10月−坂本竜馬、江戸到着。
10月17日−老中堀田正睦、外国事務取扱を命ぜられる。
村田蔵六(大村益次郎)、麹町新道一番町で私塾・鳩居堂を開く。蛮書調所教授方手伝、講武所教授方になる。
4月11日−幕府、講武所内に軍艦教授所(軍艦操練所)を設置。
5月26日−日米協約調印。
6月17日−老中阿部正弘、没。
8月29日−日蘭追加条約調印。7日、日露追加条約調印。
竜馬、北辰一刀流の最高位である大目録皆伝を得、千葉貞吉道場の塾頭になる。
10月3日−土佐藩主山内容堂の肝いりで安政諸流試合が行なわれ、鍛冶橋の土佐藩邸で選り抜きの剣客104名
が覇を競った。竜馬は斉藤道場の島田逸作を破る。
10月21日−ハリス、将軍家定に謁見。26日、老中堀田正睦と会見。
12月 3日−井上清直・岩瀬忠震の両人、対米交渉の全権委員に任命される。
12月25日−薩摩藩主島津斉彬、通商条約と将軍継嗣問題について幕府に上書。
1月 5日−老中堀田正睦、通商条約の調印の2ヶ月延期をハリスに要請。
1月12日−日米通商条約の交渉妥結。
1月21日−老中堀田正睦、上京の途につく。
4月23日−彦根藩主・井伊直弼、大老を命じられる。
4月27日−日米通商条約の調印、3ヶ月間再延期に決定。
5月23日−幕府、初めて陪臣の蕃書調所への入学を許す。
6月19日−幕府、勅許を得ないまま日米修好通商条約調印。
6月23日−老中堀田正睦、罷免。
6月24日−前水戸藩主徳川斉昭、尾張藩主徳川慶恕、不時登城し日米修好通商条約調印を巡って伊井大老を面詰。
6月25日−紀州藩主・徳川慶福(家茂)の将軍継嗣決定を発表。
7月 5日−徳川斉昭は謹慎、徳川慶恕と松平慶永は隠居謹慎を命ぜられる。
7月 6日−将軍家定没(35歳)。
7月 8日−海防掛に代わり外国奉行を置く。イギリス使節エルギン、江戸湾に来航。
7月10日−日蘭修好通商条約調印。11日、日露修好通商条約調印。
7月16日−薩摩藩主・島津斉彬没。
7月18日−日英修好通商条約調印。
7月以降−長崎に端を発したコレラが江戸に蔓延、死者3万余人を数える。
8月 8日−条約調印及び徳川斉昭らの処分に関する勅諚、幕府、水戸藩に下る。
9月 3日−日仏修好通商条約調印。
9月 5日−岩瀬忠震、作事奉行へ左遷。
9月15日−竜馬、江戸留学の期限が切れ国元へ戻るべく江戸を出発。24歳。→
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10月23日−橋本左内、江戸で逮捕。
10月25日−徳川家茂、征夷大将軍・内大臣に任ぜられる。
11月23日−伊達宗城、隠居を命ぜられる。
仏人シャロン、北斎漫画など美術・工芸品を購入して帰国。
神田相生町から出火し、神田一帯を灰塵に帰した。
2月26日−山内豊信、隠居を命ぜられる。
5月26日−イギリス総領事(のち公使)オールコック渡来、高輪東禅寺を居館とする。
5月27日−米国総領事ハリス、幕府に弁理公使昇格を通告。麻布の善福寺を居館とする。
8月10日−フランス総領事(のち公使)ド・ベルクール着任、三田済海寺を居館とする。
8月27日−徳川斉昭を国許永蟄居、徳川慶篤を差控、徳川慶喜を隠居謹慎に付する。
10月 7日−橋本左内、頼三樹三郎ら処刑。
10月27日−吉田松陰処刑。