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江戸(宝永・正徳年間)


●宝永元年(1704)
1月−市中に流行の富突講(とみつきこう)を賭博行為として禁じる。
2月13日−幕府が幕臣・寺社・山伏・農民・町人に対して倹約令を出す。
2月19日−初代市川団十郎が市村座の楽屋で刺殺される(45)。
2月24日−俳人内藤丈草(じょうそう=44)没。
2月−幕府が捨て子・捨て犬・捨て馬・捨て牛を禁止する(生類憐みの令)。
3月−幕府が諸街道の宿駅困窮により拝借金を貸与し,問屋場に改役を置く。
3月−幕府が時局風刺の小歌・狂歌を禁じる。
7月8日−幕府が諸国の洪水,江戸の地震群発により護持院など8寺に祈祷させる。
7月11日−幕府が勘定奉行萩原重秀,関東郡代伊奈忠順(ただのり)らに本所の堤防修築を管掌させる。
7月−幕府が女巡礼・念仏講の夜間群行を禁じる。
8月−幕府が薬種商に辰砂(しんしゃ)の販売を禁じる。
9月10日−俳人向井去来(54)没。
9月−神田明神が再建される。
11月25日−湯島聖堂が再建される。
12月5日−将軍綱吉が甲府藩主徳川綱豊を養嗣子とする。12月9日綱豊は家宣と改名する。

●宝永2年(1705)
1月7日−幕府が間部詮房(あきふさ)を西の丸(徳川綱豊)側衆とする。
3月12日−儒学者伊藤仁斎(79)没。
4月−幕府が年季奉公人請け人の不正を取り締まる。
閏4月−幕府が金・銀箔座を設け,金・銀箔のほか上澄み粉・ 梨地金具・下金(したがね)の売買を箔座に限定する。
6月3日−幕府が牛・馬に重荷を背負わせないよう命じる(生類憐みの令)。
6月15日−俳人で古典学者の北村季吟(82)没。
6月21日−将軍綱吉の生母桂昌院(79)没。
7月4日−根津権現が建立される。
7月22日−幕府が市中の乞食1万500余人に米500俵を施す。
8月9日−幕府が諸大名に藩札の発行年度,発行額について報告を命じる。
9月21日−幕府が大久保忠増・若年寄井上正岑(まさみね)を老中、奥詰松平忠周 (ただちか)を御用人,寺社奉行久世重之を若年寄とする。
12月−幕府が蝦夷地特産の強壮剤塩漬オットセイの売買を許可する。

●宝永3年(1706)
1月11日−幕府が西の丸側衆間部詮房に8,000石を加増し,1万石の諸侯とする。
1月15日−幕府が慶長金銀の引き替え停止期限にさいし,引き替え督促令と 新旧両貨通用令を出す。
1月19日−幕府が市中の奉公人不足のため旗本に知行地の農民を召し使うことを奨励する。
3月4日−前関白近衛基煕(もとひろ)が幕府の招きにより江戸に下り,将軍綱吉に謁見する。
4月14日−国学者戸田茂睡(78)没。
5月−幕府が市中の豆腐屋7軒を暴利追求により逼塞処分とする。
6月6日−幕府が財政窮乏を救うため元禄銀を改鋳して低品位の宝字銀を発行する。
6月−幕府が踊り子・奉公人・綿摘みら遊女まがいの者,また役者・浪人野郎らが市中を俳個する ことを禁じる。
8月−幕府が正月に大きな門松を飾ることを禁じる。
10月−幕府が,質屋が質物をとるとき,本人と証人の2人の確認を命じる。
12月19日−幕府が日蓮宗三鳥派(さんちょうは)の僧43人を処罰する。
12月−幕府が女性の踊り師匠を禁じる。
この年、楢林鎮山が西洋流外科医術書「紅夷外科宗伝」を著す。

●宝永4年(1707)
2月22日−幕府が落書・捨て文・流言・雑説を禁止し,また遊女の 市中俳個・抱え置き,牛馬の重荷・鳥獣の売買を禁じる。
2月30日−俳人榎本其角(47)没。
3月−幕府が海浜の浚渫費用を所有廻船数に応じて廻船問屋に負担させる。
3月−幕府が隅田川の航行安全のため松明・かがり火をつけての白魚漁船数を制限する。
4月22日−幕府が江戸常磐橋内の町奉行所を数寄屋橋内に移す。
7月−幕府が諸宿駅の困窮化により人馬賃を東海道は3割,その他は2割増しとする。
8月11日−幕府が鳥・うなぎ・どじょうの商売を禁じる。
9月−幕府が道心者・女巡礼が昼夜群れをなして市中を排佃することを禁じる。
10月13日−幕府が諸大名に軍用金の古金銀と新鋳金銀との交換を命じ,また藩札の発行・田畑の質入れに よる年貢先納を禁じる。
10月13日−俳人服部嵐雪(54)没。
10月−幕府が震災後の物資買い占めを禁じ,物価騰貴抑制令を出す。
11月16日−幕府が老中井上正岑(まさみね)・若年寄稲垣重富に地震によって破損した 道路・堤防の修理を命じる。
11月−幕府が朝鮮・中国産の人参の高値売買を禁じる。
この年、伊藤仁斎の古学書「童子問」が刊行される。

●宝永5年(1708)
1月−幕府が駿河・相模・武蔵3国の農民に富士山噴火による農地の降灰除去を命じる。
閏1月7日−幕府が富士山噴火による降灰被害村の救援費として,高100石につき金2両を諸大名に賦課する。
閏1月28日−幕府が京都の銭座で宝永通宝10文銭を鋳造する。
3月−西川如見の外国地誌「増補華夷通商考」が刊行される。
5月−浄瑠璃芝居興行で江戸の弾左衛門と京都の操り師小林新 助が争い,幕府は弾左衛門の興行特権を制約する。
5月−儒学者貝原益軒が「大和本草」を書き上げる。
9月−幕府が祭礼の触れ太鼓を火災時の太鼓とまぎらわしいとして祭りの当日に限る。
9月−はしかが全国に流行し,多くの死者を出す。
10月23日−江戸・幕府が乗り馬・引き馬・伝馬などの馬の愛護を命じる(生類憐みの令)。
10月24日−数学者関孝和没。
10月−貝原益軒が「大和俗訓」を著す。

●宝永6年(1709)
1月10日−将軍綱吉没(64)。
1月20日−幕府が生類憐れみの令を廃止する。
2月16日−上野寛永寺での綱吉の葬儀中,加賀大聖寺新田藩主前田利昌が 大和柳本藩主織田秀親を刺殺する。
3月2日−幕府が,歌舞伎役者が外出時に帯刀し,紗綾(さや)・縮緬を着用することを禁じる。
4月15日−幕府が御用人間部詮房を老中に準じ,1万石を加増する。
5月1日−徳川家宣が将軍位につく。
6月3日−甲府藩主柳沢吉保が隠居し,柳沢吉里が後継する。
6月27日−幕府が鳶の者の乱暴狼藉多発により,彼らを日傭座(ひようざ)の支配下に 入れ札銭を徴収する。
6月−幕府が新井白石を旗本に登用する。
6月−幕府が女巡礼の市中勧進・夜間の舞踏を禁じる。
7月29日−幕府が恩貸金につき大名は3分の1返納,旗本には全免とする。
8月−貝原益軒の本草書「大和本草」が刊行される。
9月−絵師英一蝶が赦免され,三宅島から江戸に帰る。
10月25日−将軍宣下による幕府の大赦は8,834余人に達する。
11月1日−歌舞伎役者坂田藤十郎(63)没。
11月22日−新井白石がイタリア人宣教師シドッチを尋問する(12月4日、尋問終了)。
この年、
松尾芭蕉の紀行文「笈(おい)の小文」が刊行される。
熊沢蕃山の政経論書「集義外書」が刊行される。

●宝永7年(1710)
3月1日−幕府が諸国巡見使を派遣する。
4月15日−幕府が新井白石の改定になる武家諸法度および法度の語句解説を出す。
4月15日−幕府が金貨改鋳を行う。
4月25日−幕府が勘定奉行荻原重秀を蔵米価格の書き出し誤りで拝謁停止とする。
4月−幕府が職人らが受領名(ずりょうめい)を武蔵守と称えることを禁じる。
6月−幕府が江戸近郊で餌差以外の者の捕鳥を禁じる。
8月−幕府が市中の口入れ業者の不正を禁じ,同業者390余人に組合をつくらせる。
9月−江戸幕府が上方から江戸への為替延着を取り締まり,過度な場合には両替屋を処罰する。
11月18日−将軍家宣が琉球使を引見する。
この年、
貝原益軒の「和俗童子訓」が刊行される。
遠近道印(おちこちどういん)の「宝永江戸大絵図」が開版される。

●正徳元年(1711)
2月7日−幕府が対馬藩主宗義方に朝鮮通信使に対する礼遇を改め ること,将軍の称号を「日本国王」とすることを伝える。
2月−幕府が粗悪な四宝銀を新たに鋳造する。
3月25日−幕府が新井白石の推挙により三宅観瀾(かんらん)・室鳩巣を儒官として 召し抱える。
4月11日−幕府が奏者番阿部正喬(まさたか)を老中とする。
5月−幕府が痘瘡除けのために子供を僧侶姿で寺に参詣させるのを禁じる。
6月27日−幕府が寺社奉行鳥居忠英を若年寄とする。
9月−幕府が,両替商の手数料を制限し,また宝永金と元禄一分金の 交換を停止して元禄小判との交換を奨励。10月,交換停止を解除する。
11月1日−将軍家宣が江戸城中で朝鮮通信使を引見、国書捧呈の儀式が行われる。
11月15日−朝鮮通信使が幕府の朝鮮国王宛返書の改正を要求し,18日に改められる。
11月−幕府が深夜に市中横行の者を拍子木を打って1町ごとに送らせる。
12月23日−幕府が奏者番水野忠之を若年寄とする。
12月−幕府が盗品を質取り・買い取りした質屋・古着屋を厳罰とする。
この年
江島其磧の浮世草子「傾城禁短気」が刊行される。

●正徳2年(1712)
1月−幕府が大手門・桜田門下馬所での飲食物・履物商売を禁じる。
2月25日−新井白石が参府中のオランダ商館長コルネリス・ラルダインに西洋事情をたずねる。
2月−幕府が,両替商・商人が京都・大坂ほか遠国へ大判金を送ることを禁じる。
3月7日−幕府が宿駅での人馬通行法規を定める。
7月1日−幕府が新井白石の建議により勘定吟味役を再置する。
7月−幕府が江戸城大奥女中に対し諸役人への請託を禁じる。
9月5日−幕府が評定所・三奉行に評定所規則の順守,裁判の公正,目明の任用禁止などを命じる。
9月11日−幕府が勘定奉行荻原重秀を罷免する。
9月23日−幕府が新銀(四宝銀)の改鋳を中止し,古銀・元字(げんじ)銀・宝字(ほうじ)銀の混用を禁じる。
9月−幕府が盲人の貸し金(座頭銀)取締令を出す。
10月14日−将軍家宣(51)没。
11月−幕府が銭の蓄蔵・他国への持ち出しを禁じる。
12月−幕府が灰吹銀の私的売買を禁じる。

●正徳3年(1713)
1月−員原益軒の「養生訓」が刊行される。
2月6日−幕府が朝鮮人参の購入に金銀の使用を自由とする。
2月9日−幕府が新銭鋳造・大銭(おおぜに)改鋳を停止する。
3月2日−幕府が新銭改鋳を命じる。
3月22日−幕府が2挺立て・3挺立て船を禁止し,屋形船を100艘、 また町駕籠を300挺に限定する。
3月−新井白石がイタリア人シドッチに審問して得た外国知識をまとめて 「采覧異言(さいらんいげん)」を著す。
4月2日−徳川家継が将軍となる。
4月23日−幕府が幕府領の大庄屋・割元惣代を廃止する。
4月23日−幕府が幕府領を統治する代官所役人の綱紀粛正を指示する。
4月−2代目市川団十郎が「花舘阿愛護桜」を山村座で初演する(助六劇の初め)。
5月−幕府が山王・根津・神田の祭礼(天下祭)を3年ごととする。
閏5月−幕府が江戸近郊の町を町並地とし,人別を町奉行支配とする。
6月−新井白石が貨幣改鋳に関する意見書「改貨議」を幕府に提出する。
8月3日−幕府が若年寄久世重之を老中,側衆大久保常春を若年寄とする。
9月25日−元勘定奉行荻原重秀(56)没。
10月23日−幕府が銀銭改鋳を命じる。

●正徳4年(1714)
1月12日−大奥年寄絵島らの醜聞事件が発生する(絵島生島事件)。
3月1日−幕府がイタリア人宣教師シドッチを牢に閉じ込める。
3月16日−幕府が市中の寺社境内での猿楽・説経などの興行を禁じる。
3月−幕府が市中の芝居小屋に2階桟敷席・夜間輿行を禁止し, 役者の華美な衣服を禁じる。
5月13日−幕府が新金貨の鋳造を停止する。
5月15日−幕府が金銀を慶長金銀と同質同量に改鋳し,新旧金銀の交換レートを定める。
8月27日−儒学者貝原益軒(85)没。
8月29日−幕府が吉原通いの高速船猪牙船(ちょきぶね)を禁じる。
9月22日−将軍家継が根津権現の祭礼を江戸城内吹上御覧所から見物する(宝永祭)。
9月−幕府が深川と築地の橋・橋杭の修理費を幕府および地元町人の負担とする。
11月2日−柳沢吉保(57)没。
11月29日−幕府が参勤交代で東海道を通るべき諸大名の中山道通行を禁じ、 中山道通行の大名は金沢・高田など30藩とする。
貝原益軒の朱子学批判書「慎思録(しんしろく)」「大疑録」完成。

●正徳5年(1715)
1月30日−幕府が三笠付(みかさつけ)を賭博行為として禁止し,さらに9月19日に は諸国に禁止を通達する。
1月−幕府が江戸城下馬所での飲食物の販売禁止を再令する。
春−全国的に痘瘡が流行,夏まで病勢が収まらず。
4月−幕府が人身売買・永年季奉公・田畑永代売買の禁止を再令する。
4月−幕府が新金銀の通用を促すため両替商に組合をつくらせる。
4月−幕府が市中の辻番所に職務・辻番所人数などの規定を公布する。
7月5日−幕府が御用達商人の賄賂・請託禁止を諸国に通達する。
7月6日−本草学者稲生若水(61)没。
8月26日−俳人森川許六(きょりく=60)没。
10月6日−幕府天文方・暦法学者,渋川春海(77)没。
10月21日−幕府が豊作より酒造制限令を緩和し,酒造量を元禄10年(1697)の3分の1とする。
11月20日−幕府が養子・嫁取り・仕官に関する違法な申請を取り締まる。
11月20日−イタリア人宣教師シドッチ(47)が牢内で没。
12月16日−幕府が再来年(1717)末限りで元禄金銀貨の通用禁止を通達,また飛 脚宿・廻船問屋に対して元禄金・乾字金の上方ほかへの搬送を禁止する。
12月−幕府が武家地に地借・店借を置くことを禁じる。
新井白石が「西洋紀聞」を著す。
江島其磧の浮世草子「世間子息気質(むすこかたぎ)」が刊行される(気質物の初め)。