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●承応2年(1653)
●承応3年(1654)
●明暦元年(1655)
●明暦2年(1656)
●明暦3年(1657)
●承応元年(1652)
1月4日−幕府が諸国の代官に、服務競走・堤防修築・年貢米の納入・農民教化
などについて法令を出す。
1月9日−幕府碁所初代安井算哲(63)没。
1月20日−幕府が2月2日以降市中のかぶき者を捕らえることを諸大名に通達し、かくまうことを禁じる。
2月3日−幕府が町人の帯刀、無許可の振売を禁じる。
5月−幕府がキリシタン探索に賞金を出す。
6月10日−幕府が,将軍家綱が幼年のため、尾張・紀伊・水戸の御三家に
在府して補佐するよう命じる。
6月20日−幕府が歌舞伎役者の前髪を剃らせ、6月27日,若衆歌舞伎を禁じる。
8月14日−幕府が江戸〜大坂間の廻船救難に関する法令を出す。
9月13日−町奉行神尾元勝・石谷貞清が、老中の暗殺・騒乱を計画
した浪人別木庄左衛門ら4人を捕らえる(承応事件)。
10月26日−幕府が市中の浪人を調査する。
11月10日−幕府が徒目付組頭・火の番組頭を設ける。
12月21日−幕府が歌舞伎狂言4座,操(あやつり)3座,小芝居8軒の興行を禁じる。
12月−佐倉藩領内の公津・高野村ほかの農民が年貢の増加と金納化に反対して
将軍に越訴する(佐倉宗吾一揆)。
市中に旗本奴・町奴が横行する。
女のたしなみ,作法などを説いた心得集「女鏡秘伝書」が刊行される。
1月13日−幕府が麹町・芝ロの町人らに玉川上水の敷設を許可し,
工事費7,500両を与える(1654.6.20完成)。
1月18日−将軍家綱がオランダ商館長を引見し、通商に関する法令を読み聞かせる。
1月−幕府が一季・半季の武家奉公人について、再就職の日限を定める。
2月4日−幕府が市中に強風時の外出禁止,消火用の水桶とはしごの設置、火事場での無法の取り締まりなどを命じる。
2月7日−幕府が諸大名に参勤交代の従者数の減員を命じる。
3月−幕府が歌舞伎興行を許可する(野郎歌舞伎の初め)。
6月29日−幕府が江戸城天守の修理を松平信綱に命じる。
閏6月5日−幕府が酒井忠清を老中とする。
閏6月27日−幕府が,東33国は守随彦太郎,西33国は神善四郎の秤を使用することを命じる。
9月28日−将軍家綱が琉球使を引見する。
9月29日−幕府が日雇いの鑑札を定め,不所持の者には宿所の提供を禁じさせる。
10月3日−幕府が腰物奉行頭を置く。
11月−風呂屋の始業時刻が明け六つ,終業時刻は暮れ六つと定められる。
「承応年間江戸図」が刊行される。
2月2日−幕府がキリシタン禁制の高札を立て,バテレン(司祭)の訴人の褒賞金を銀300枚に増額する。
2月4日−江戸・幕府が旗本に対して,男色および足軽・中間の両刀帯刀・華美な服の着用を禁じる。
4月26日−浪人山中半左衛門が市中で9人を斬殺、12人に重傷を負わす。
6月20日−玉川上水が完成する。
10月6日−幕府が馬の提供を近在の村に課して大小伝馬町の助役をさせる。
11月2日−幕府が壮健な旗本が編み板の乗り物や馬に乗るのを禁じる。
11月−町奴34名が捕らえられる。
12月−幕府が関所通行規則を出す。
1月20日−市中での子供の紙鳶(たこ)遊びが禁じられる。
2月10日−幕府が東海道各宿場の鐚銭の両替率を改定する。
2月15日−幕府が市中の下水の泥さらいを命じる。
3月−幕府が市中で馬子が乗馬すること,路上・橋上に牛馬をつなぐことを禁じる。
また市中に消火用の井戸・水桶を整備させる。
4月24日−幕府が糸割符制を廃して相対商売とする。
4月−幕府が商取引に手形の使用を奨励する。
5月−幕府が狂言尽くしの者(声色こわいろつかい)が武家屋敷に出入することを禁じる。
夏−隅田川に屋形船を浮かべて船遊山を楽しむ者が増える。
8月2日−幕府が伝馬・駄賃馬の荷物の重量・値段を定め,品川・板橋・千住に高札を出す。
8月21日−幕府が職人の手間賃を定める。
8月−幕府が人身売買・長期年季奉公を禁じる。
10月8日−将軍家綱が朝鮮通信使を引見する。
10月12日−幕府が市中法度で町人に殺人・窃盗・財産譲渡・姦通・放火などに関する処分令を示す。
11月25日−幕府が市中の塵芥を船で永代島へ捨てるよう命じる。
12月−幕府が金銭交換を時価によることとし、銭の買い占め・買い置きを禁じる。
この年・丹前風呂の湯女勝山が人気を集める。
2月−幕府が頬かぶり・覆面および華美な服装,贅沢な装飾を禁じる。
3月12日−幕府が家屋・宅地の売買手続きを定める。
3月19日−大老酒井忠勝が高齢のため辞任する。
5月−幕府が西国諸大名にキリスト教徒の渡来警戒を命じる。
6月4日−左近重清が神田明神で勧進能を催す。
7月28日−幕府が諸番頭に市中で無頼をはたらく旗本・御家人の子弟を報告させる。
7月−幕府が隅田川の遊船の華美を禁じる。
10月13日−幕府が鋳銭所を浅草に新設する。
10月21日−幕府が辻髪結(つじがみゆい)を禁じる。
11月−幕府が新調する家具類などに金銀を施すことを禁じ,役人に経費節約令を出す。
12月12日−幕府儒官林羅山が初めて将軍家綱に「大学」を進講する。
12月24日−吉原遊郭が浅草寺裏への移転を決定する。
12月28日−幕府が関東諸国に盗賊・浪人などの取り締まり令を出す。
この年・本町2丁目和泉屋九左衛門が防火用に穴蔵をつくる(江戸で穴蔵の初め)。
松田秀任(ひでとう)が戦国エピソード集「武者物語」を刊行する。
1月18日−本郷丸山町本妙寺より出火。翌日にかけて江戸城はじめ、江戸市中500余町が焼失する(明暦の大火・振袖火事)。
1月18日−オランダ商館長ワーへテールが大火に遭遇する。
1月21日−幕府が大火による米価高騰を統制し,米7斗で金1両を限度とする。
1月23日−幕府儒官林羅山(75)没。
1月−幕府が市中での建物の本建築を禁じる。
2月9日−幕府が旗本に倹約令を厳命し、また大火に罹災した大名に石高に応じて恩貸金,
旗本に賜り金、町人に銀1万貫目を下賜する。
2月19日−幕府が大坂・駿府から各銀1万貫目を江戸に送らせる。10月20日,
大坂からさらに銀2万貫目を送らせる。
2月23日−幕府が関東各地に国目付を派遣する。
2月27日−水戸藩主徳川頼房の3男、光圀が神田別邸に支局を置いて史書の編纂を始める。
2月29日−大火の焼死者を本所牛島新田に埋葬し、回向院を創建する。
3月−幕府が大きな釘隠し・引き手や象眼・金細工の華麗な調度の製造を禁じる。
4月7日−江戸城本丸金蔵が再建される。
4月21日−江戸城二の丸が上棟される。
5月9日−江戸城本丸の造営が始まる。
7月18日−旗本水野十郎左衛門成之が町奴頭領幡随院長兵衛を殺害する。
8月21日−幕府が高騰している職人の手間賃を定める。
8月−新吉原遊郭が営業を始める。
9月10日−幕府が,商人・問屋・職人が同業協定して独占的に利益をはかることを禁じる。
9月25日−幕府が井上政重をキリシタン改めに命じる。
この年・焼失した中村・市村・守田・山村の4座が復興する。