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●延宝3年(1675)
●延宝4年(1676)
●延宝5年(1677)
●延宝6年(1678)
●延宝7年(1679)
●延宝8年(1680)
●天和元年(1681)
●天和2年(1682)
●天和3年(1683)
●貞享元年(1684)
●貞享2年(1685)
●貞享3年(1686)
●貞享4年(1687)
●延宝元年(1673)
1月−浅草に正直蕎麦(しょうじきそば)を開業する。
2月11日−幕府が火災現場への火消し以外の立ち入り厳禁など,消防規則を定める。
4月5日−幕府が黄檗僧にまぎらわしい者の市中徘徊取締まりを,
芝の黄檗寺院瑞聖(ずいしょう)寺に命じる。
5月−幕府が出版統制令を出す(出版取り締まりの初め)。
6月−幕府が初めて分地制限令を出す。
8月−伊勢松阪の商人、三井高利が江戸本町1丁目に呉服店を開業する。
9月−初代市川段十郎が中村座で「四天王稚立」を上演する(荒事歌舞伎の初め)。
12月−幕府が火付・盗賊の逮捕令を出し,火付盗賊改役の先手頭(さきてがしら)
久永重之、筧正明に巡察させる。
この年
市中で大八車が使われはじめる。
山鹿素行の武士修養書「武家事記」が刊行される。
隆達節(りゅうたつぶし)、弄斎節(ろうさいぶし)、土手節(どてぶし)、加賀節などの小唄が流行する。
●延宝2年(1674)
2月−幕府がキリシタン禁制を再令し,訴人に対し銀50枚から500枚の褒賞を定める。
5月−幕府が五街道の宿場と江戸伝馬町に銭14万1,700貫文を貸与する。
10月7日−絵師狩野探幽(73)没。
11月−相模三崎村ほか17浦の漁民が江戸本小田原町・本船町の魚問屋と口銭をめぐって争
い,本材木町に新肴場(しんさかなば)を開設する。
この年
関孝和の数学書「発微算法(はっぴさんぽう)」が刊行される。
北村季吟(きぎん)が「枕草子」の注釈書「春曙抄(しゅんしょうしょう)」を著す。
1月19日−幕府が,旗本,御家人が極度に困窮したため,冬分の蔵
米の半量を春に支給することとする。
1月−幕府が東海道・中山道などの人馬賃,木賃宿代の2倍値上げを許す。
2月14日−幕府が飢民のために柳原で粥を施し、非人小屋を建てる。
2月27日−幕府が芝金杉に新堀・船入り堀の掘削を始める(翌年12月完工)。
4月20日−徳川家光の25回忌が寛永寺で行われ,将軍家綱・諸大名・旗本らが参詣する。
閏4月20日−幕府が浄土宗僧侶の壇林入院制について下知状を出す。
11月4日−幕府が日蓮宗徒に自宗礼賛・他宗誹謗および争論を禁じる。
この年
俳諧集「談林十百韻」が刊行される(談林派俳諸の確立)。
3月29日−幕府が勘定衆を諸国に派遣し,堤防の欠損状態を調査する。
春−藤林左式次保武が忍術の百科全書「万川集海」を著す。
7月7日−幕府が開京8国の鉄砲改めを行い,とくに牢人・農民の所持を禁じる。
9月−鉄砲洲築地で宝生太夫が勧進能を興行する。
12月7日−新吉原より出火し,浅草寺町・花川戸から本所中ノ郷まで延焼する。
1月7日−幕府が火災現場に無用の者の立ち人りを厳禁し,違反者の斬り捨てを定める。
2月25日−幕府がオランダ人に、禁止規則を徹底する。
2月−斐川師宣のさし絵入り地誌「江戸雀」が刊行される。
3月−幕府が幕府領の総検地を近隣の諸大名に命じる。
4月6日−浅草黒門町から出火し,浅草寺が延焼する。
4月−幕府が市中での町駕籠の乗用を禁じ、違反者を家主・五人組・名主とともに処罰する。
10月−幕府が市中で流行の踊りを禁じ、違反者を本人のほか名主・町役人ともに処罰する。
12月18日−幕府が普化(ふけ)宗に対して後任住職や弟子取りに開する法令を定める。
1月6日−遊女夕霧(27)没。
1月12日−幕府が過失による出火の罪を加重し,失火者を斬罪,名主・五人組を入牢とする。
1月−幕府は大名火消の法規を定める。
7月16日−幕府碁所(ごどころ)安井算哲(渋川春海)が麻布の自宅で秋分点を実測する。
8月17日−東国一帯30年来の大地震で陸奥花巻城の石垣が倒壊,同白石城
が損壊,江戸でも上野東照宮・宝樹院・崇源院などが破損する。
8月−幕府が茶店女の人数や衣服などを制限する。
この年、
浮世絵師斐川師宣の「吉原恋の道引」が刊行される。
畠山箕山(きざん)が遊里案内書「色道大鏡」を著す。
2月13日−幕府が市中に振売商人が増加したため,すでに営業中の者にのみ鑑札を与え,
新規の振売を禁じる。
7月−幕府が無鑑札者の日雇い・宿泊の禁止,賃金の制限を再令する。
11月3日−幕府が浪人平井権八を鈴ケ森で処刑する。
この年
古医方の先駆者名古屋玄医が「医方問余」を著す。
住吉具慶(ぐけい)が「日光東照宮縁起絵」を完成する。
2月10日−大老酒井忠清が将軍家綱を江戸城二の丸に迎えて宴を催す。
5月5日−儒者林鵞峰(がほう=春斎・63)没。
5月6日−館林藩主徳川綱吉が将軍家綱の嗣子となり,綱吉の子徳松が館林藩を継ぐ。
5月8日−将軍家綱(40)没。
6月26日−芝増上寺の家綱法会の場で,志摩国鳥羽藩主内藤忠勝が
丹後国宮津藩主永井尚長(なおなが)を刺殺。幕府は翌27日、忠勝に切腹を命じ、領
地を没収。
8月3日−幕府が諸代官に農民徳化・納税精励を説く。
8月5日−幕府が、老中堀田正俊および勘定頭に,農政担当を命じる。
8月23日−徳川綱吉が第5代将軍となる。
8月−幕府が町人が盂蘭盆会(うらぼんえ)で用いた諸品を江戸城の堀
に捨てることを禁じ、違反者を厳罰にする。
閏8月6日−暴風雨,地震・高潮ががさなり江戸城城門の瓦・壁が落
ち,市中の家屋3,420余軒が倒壊。本所・深川・八丁堀・築地・芝などで
浸水し,溺死者700余人,濡れ米20万石余に及ぷ。また両国橋が損壊する。
9月11日−将軍綱吉が儒者林信篤・人見友元と経書を論じ合
う。17日には林信篤から「大学」の進講をうけ,以後,恒例となる。
9月21日−府が寺社奉行板倉重種を老中とする。
10月9日−将軍綱吉が館林藩家老牧野成貞を御用人とする。
11月3日−幕府が館林藩士・小姓組柳沢保明(やすあきら)を小納戸とする。
11月3日−幕府が火つけ・盗賊追捕令を出す。
11月27日−将軍綱吉が徳松を将軍世子とする。
12月9日−幕府が「下馬将軍」と称される大老酒井忠清を罷免する。
1月12日−幕府が評定所の規則を定める。
1月28日−幕府が将軍の代替わりにつき,諸国へ巡見使を派遣する。
1月29日−幕府が市中の問屋・商人に米・麦・大豆の買い置き,買い占めを禁じる。
2月7日−幕府が上野碓氷八幡宮別当僧亮賢に高田薬園の地を与え,護国寺の創建を命じる。
2月28日−将軍綱吉がオランダ商館長イサーク・ファン・スヒネを引見する。
春−沼田藩月夜野の農民杉木茂左衛門が年貢の減免を要求して直訴する。
春−畿内・関東が飢饉にみまわれる。
春−黄檗宗の鉄眼道光(てつげんどうこう)が「大蔵経(だいぞうきょう)=一切経(いっさいきょう)」
の翻刻を完成する。
5月19日−前年大老を退いた通称下馬将軍,酒井忠清(58)没。
5月28日−将軍の行列を拝見のさい,妻が華美な服装を着用していたとして,
浅草の豪商石川六大夫が宅地を没収され,江戸から追放となる。
6月21日−将軍綱吉が3年にわたる越後高田藩の御家騒動にみずから裁定を下す。
6月30日−幕府が市中の塵芥の捨て場を永代島新田・砂村新田の2か所に定める。
10月−「浮世絵」の語が初めて俳書「それぞれ草」に見られる。
12月11日−幕府が老中堀田正俊を大老とする。
井原西鶴の俳諧集「西鶴大矢数(おおやかず)」が刊行される。
この頃、大名家の女性の間で夏の礼服に茶屋染(ちゃやぞめ)が流行する。
1月1日−将軍綱吉が読書始めに小納戸柳沢保明に「大学」を講じさせ,以後毎年の例とする。
2月28日−将軍綱吉がオランダ商館長ヘンドリック・カンジウス
を引見し,のち二の丸でオランダ人の音楽を聴く。
3月12日−幕府が駿河国富士郡今泉村の農民五郎右衛門の孝行ぶりを誉め,年貢を免除する。
3月22日−幕府が側衆稲葉正休を若年寄に任じる。
3月28日−俳諧師、談林派の祖西山宗因(78)没。
4月11日−将軍綱吉が琉球の王子を引見する。
4月17日−明の僧朱舜水(しゅしゅんすい=83)没。
5月22日−備前・名君とうわさの高かった岡山藩主池田光政(74)没。
5月−幕府が諸国に高札を立てて忠孝を奨励し,奢侈および毒薬・偽薬の販売,キリスト教を禁ずる。
6月14日−幕府が勘定吟味役を設置する。
7月16日−幕府が「天下一」の字句を使用することを禁じる。
7月28日−加賀藩士木下順庵が幕府儒官として召し出され,将軍綱吉の侍講となる。
8月18日−将軍綱吉が三奉行,大目付に対して庶民の風俗の乱れを改めるように命ずる。
8月27日−将軍綱吉が将軍就任祝賀のために来訪した朝鮮通信使を引見する。
9月8日−蒔絵師初代山本春正(しゅんしょう=73)没。
9月16日−垂加神道の創始者,山崎闇斎(65)没。
9月18日−幕府が倹約の範を示すため,巨艦安宅丸(あたけまる)の破却を発表する。
10月−井原西鶴の「好色一代男」が刊行される(浮世草子の初め)。
11月28日−牛込河田窪がら出火,四谷・赤坂・芝まで延焼する。焼失
した大名屋敷23,武家屋敷230余,寺社24に達する。
12月25日−幕府が吉田神道の継承者吉川惟足(これたる)を神道方に迎える。
12月28日−駒込大円寺から出火,江戸市中の広範囲が焼失する(お七火事)。
松永貞徳の「狂歌集」が刊行される。
1月23日−幕府が先手頭中山直守に火付改めを命じる(火付改役の始まり)。
2月3日−幕府が長崎奉行に羅紗・猩々緋・金糸などの奢侈品,珍しい鳥獣などの輸入を禁止する。
2月5日−幕府が衣服制限令で女性に金紗・縫い物・総鹿子の着用を禁止し,
小袖表一反の最高値を銀200匁と定める。
2月20日−幕府が前年末の大火で焼失した市中の橋を急ぎ修復した大工たちを表彰する。
2月29日−幕府が公儀辻番・大名辻番,組合辻番の人員や勤務形態などについての規則を定める。
3月29日−本郷追分片町の八百屋・中村喜兵衛の娘お七が放火の咎により鈴ケ森で火刑になる。
5月−三井高利が日本橋本町1丁目の呉服店を駿河町に移し、両替店も開業する。
閏5月28日−将軍世子猫松(5)没。
7月3日−家康の6男,松平忠輝(92)没。
7月25日−幕府が武家諸法度を改定し、文治主義を明確にする。
8月26日−徳川光圀が「天地球図」を将軍綱吉に献上する。
9月25日−幕府が土御門泰福(やすとみ)諸国陰陽師支配とする。
9月−幕府が市中に借家条令を出すとともに、店借人にも五人組を結成させる。
10月19日−豊作続きにさいし、幕府が諸大名に飢饉用の備荒貯穀を命じる。
12月−幕府が諸藩の猿楽師・画工とともに後藤・本阿弥両家の者の帯刀を禁止する。
この年、
榎本其角編の「虚粟(みなしぐり)」が刊行される。
戸田茂睡(もすい)の「紫の一本(ひともと)」が刊行される。
1月22日−幕府が「三河記」を校訂するため諸家に家康直書きの感状など
、書き上げの提出を命じる(貞享書上)。
2月21日−幕府が路上や橋上での古銭売買を禁止する。さらに古鉄・
古銅類の売買も許可制とし,また古着売買令を出す。
2月27日−幕府が関東の譜代大名に半年ごとの参勤交代を命じる。
2月28日−将軍綱吉がオランダ商館長コンスタンチン・ランスト2
世を引見、西洋の風俗などをたずねる。
2月30日−幕府が儒官林信篤に服忌令の改定を命じる。
2月−幕府が市中の問屋・商人・職人が協定して賃金や物価を高下させるのを禁じる。
4月11日−幕府が出版取締令を出し,流行していた小歌などの版行,売買を禁じる。
5月−幕府が無断で出家した旗本を忠孝条令違反で処罰する。
7月11日−勧進相撲が深川永代寺境内で行われる。
7月−幕府が行商人,勧進,巡礼の江戸城内への立ち入り,およ
び僧侶・山伏が江戸市中を念仏を唱えて徘徊することを禁じる。
8月28日−江戸城中で若年寄稲葉正休が大老堀田正俊を刺殺し、自身も老中らに殺害される。
11月13日−幕府が諸大名に領地の判物朱印を頒布する。
12月1日−幕府が渋川春海を天文方とし,200俵を与える(天文方の初め)。
12月12日−寄合組松平忠冬が祖父の日記「家忠日記」の増補に加え
て,「東武実録」を将軍綱吉に献上する。
1月−井原西鶴の「西鶴諸国ばなし」が刊行される。
3月18日−江戸城大奥女中山崎が,三宝院門跡から勘当中の僧の処遇を寺社奉行の家人に請託した
のが発覚して追放となる。
3月26日−住吉具慶が幕府の奥絵師となる。
5月19日−浄瑠璃太夫の井上播磨掾(はりまのじょう)没。
6月10日−幕府が松平信之を老中にし,22日,大和国郡山より下総国古河に移封する。
太田資直、松平近陣、若年寄堀田正英を将軍への謁見を取り次ぐ奏者番とする。
7月14日−幕府は将軍が通行のさい、犬・猫をつながなくてもよいと定める。
7月19日−幕府が寺社奉行、勘定奉行、町奉行、大目付に対し,預金・買掛
の訴訟を却下せずに裁断するよう命じる。
7月21日−幕府が若年寄松平忠周(ただちか)を側用人とする。
8月5日−幕府が杉山流鍼術の祖・検校杉山和一に20人扶持を与える。
8月6日−幕府は浅草寺別当知楽院忠運が門前で犬を殺したため別当役を剥奪する。
9月26日−儒者・兵学者の山鹿素行(64)没。
9月27日−幕府が若年寄内藤重頼を大坂城代とし,2万石を加増する。
11月26日−幕府が宅地法で野屋敷の購入を許可、ただし増築は禁じる。
1月11日−幕府が若年寄太田資直を御用人とする(6月29日、病気で免職)。
2月27日−将軍綱吉が奥医師瀬尾昌琢に命じて参府中のオラ
ンダ商館長,医師に医術・薬種についてたずねさせる。
2月−大伝馬町に木綿問屋仲間ができる。
4月22日−幕府が諸国に鉄砲改めを命じる。
5月−幕府が市中に野菜・果物の販売期間を定める。
6月3日−歌学者下河辺長流(しもこうべちょうりゅう=60)没。
7月12日−幕府が諸国の関所に女手形の書式を定める。
8月21日−幕府が目付大沢基哲(もとのり)を長崎奉行とし、同奉行を3人に増員。
うち1人を江戸詰めとする。
9月18日−将軍綱吉が命名した「三河記」の校訂が終わり,書名を「武徳大成記」と改める。
9月27日−幕府が市中を横行する大小神祇組200余人を捕らえ,うち11人を斬罪にする。
10月21日−幕府が市中に蕎麦など火を使う屋台商売を禁じる。
この年
井原西鶴の「好色五人女」「好色一代女」「本朝二十不孝」が刊行される。
熊沢蕃残山の経済政策書「大学或問(わくもん)」が完成する。
鹿野武左衛門の一口咄集「鹿の巻筆」が刊行される。
吉田半兵衛の画人り「好色訓蒙図彙」が刊行される。
1月28日−幕府が最初の生類憐みの令を出す(この後、法令が頻発し、処罰される者多数)。
2月1日−幕府台所頭天野正勝が,生類憐みの令により台所の井戸に猫が落ちて死んだ罪
を問われて八丈島へ流される。
2月21日−幕府が市中の飼い犬の戸籍帳を作る(生類憐みの令)。
4月11日−幕府が捨て子の養育,質入れ田畑の年貢負担者規定・田畑永代売買禁止を発令する。
6月21日−幕府が勘定組頭に総代官の会計を監察させる。
6月22日−幕府がキリシタン転向者とその親族の査察を命じる。
7月12日−佐渡・幕府が法事を執行した日蓮宗不受不施派の僧日庭,日弘を佐渡に流す。
10月13日−幕府が京都所司代土屋政直を老中とする。
10月24日−幕府が天和元年(1681)に改易した越後高田藩主松平光長を赦免し、
合力米(ごうりきまい)3万俵を与える。
11月−幕府が勘定組頭・代官に服務心得22か条を示す。
12月18日−幕府が寺社奉行大久保忠増を若年寄とする。
この年、
三井高利が幕府の呉服御用達・払方(はらいかた)御用達となる。