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江戸(延享・寛延・宝暦年間)


●延享元年(1744)
1月12日−幕府が寛保2・3年(1742・43)の2年間に評定所で取り扱った訴訟数を調査する。
2月15日−初代中村勘三郎以来中村座が120年続き,寿興行が行われる。
4月7日−幕府が徳川氏を詐称する者の追捕を諸国に命じる。
6月19日−幕府が代官見立ての新田開発については代官退職後も10分の1給付することを定める。
6月19日−幕府が江戸七軒飛脚問屋の請願により継早(つぎはや)飛脚の廃止を命じる。
6月−幕府が諸役人の江戸城中での詰所・席次,また老中支配・若年寄支配の役を定める。
6月−幕府が田畑永代売買禁止令を緩和する。
9月12日−幕府が蔵米を担保とした御家人の借金帳消し令をだす。
9月29日−幕府が病気で退任する30年以上勤続の大奥女中に終身扶持米の支給を定める。
将軍吉宗が天体観測器械の簡天儀(かんてんぎ)をつくる。
「御触書寛保集成」が完成する。

●延享2年(1745)
2月12日−四谷千駄ケ谷から出火,青山から麻布・品川まで2万 8,000軒余が焼失,死者1,323人に及ぶ(六道(ろくどう)火事)。
5月3日−幕府は寺社奉行大岡忠相(ただすけ)の代官支配を免除する。
5月18日−幕府が各町書役(かきやく)に町内雑務を代行することを禁じる。
6月14日−幕府が2月の火事で焼失した亀戸天満宮再建の勧化(かんげ=寄付活動)を許可する。
8月−幕府が菱垣廻船の積み荷を他船に積むことを禁じる。
9月1日−幕府が,遠国代官が廻米を納入・皆済する月を定める。
9月1日−徳川吉宗が隠居し,徳川家重が家督を相続する。
10月9日−幕府が老中松平乗邑を罷免,1万石を減封して隠居を命じる。
11月2日−徳川家重が将軍となる。
11月14日−幕府が牛車・大八車の荷物に無断で御用札を立てて運送することを禁じる。
11月29日−幕府が奏者番秋元涼朝(すけとも)・本多正珍(まさよし)を判物(はんもつ)・朱印改と とし,諸家に旧判物・朱印状の提出を命じる。
市中に頬かむりが流行する。
元文4(1739)年に禁止された豊後節が大流行する。

●延享3年(1746)
2月30日−本所横堀および築地から出火,堺町・葺屋(ふきや)町の芝居 小屋が全焼し,浅草・千住まで延焼する(坪内火事)。
3月5日−幕府が参府中のオランダ人に,肥前長崎での貿易活動お よび日常の放埓な行動について戒告する。
3月6日−町奉行が,火災時に建具・家財を路上に持ち出し,大八車に積んで引き出すことを禁じる。
3月21日−幕府が武家諸法度を頒布。22日には諸士法度も頒布する。
3月24日−幕府が寛保3年(1743)末以前の金銀訴訟を受理しないこととする。
3月29日−幕府が市中に悪徳高利貸取締令を出す。
5月12日−幕府が小普請組支配組頭を創置する。
9月15日−幕府が田安宗武・一橋宗尹に各10万石を与える。
10月25日−幕府が,寺社奉行本多正珍を老中に,小姓組番頭格 大岡忠光を御側御用取次に任命する。
10月29日−町奉行が朝鮮人参の売り渡し薬種屋を定める。
12月−幕府が神田佐久間町に天文台を設ける。
青木昆陽の「和蘭(オランダ)文字略考」が完成する。

●延享4年(1747)
町医山脇道作(東洋)が医書「外台秘要(がいだいひよう)」を幕府に献上したことに対し、 銀10枚・時服2を与えられる。
幕府が天文方渋川則休(のりよし)・西川正休に貞享甲子暦(かつしれき)の改正を命じる。
5月19日−幕府が御家人の子に関し母が家出して行方不明の場合は、原則として家督相続を禁じる。
5月30日−古文辞学派の儒者太宰春台(68)没。
6月3日−漆芸家・俳人小川破笠(はりゅう=85)没。
7月15日−幕府が青木昆陽を評定所儒者とする。
8月15日−旗本板倉勝該が江戸城大広間の便所て熊本藩主細川宗孝に刃傷に及ぷ。
9月15日−幕府が田沼意次を小姓組番頭格とする。
10月25日−宮古路文字太夫が姓を常磐津と改め,常磐津節を始める。
11月28日−幕府が札差を10組に分け、定行事を定める。

●寛延2年(1749)
3月1日−幕府が御三家・大名・旗本が別荘地を新たに買い入れることを禁止し,また筋違いの譲渡を禁じる。
4月30日−幕府が大名・旗本に婚姻願いの届け出の厳格を命じる。
5月16日−幕府が代官8名を職務怠慢により免職・自宅謹慎にする。
5月20日−町奉行が町方の婦女が菅笠の代わりに青紙張りの日傘をさすことを禁じる。
5月-幕府が年貢徴収について定免法を全面的に施行する。
6月21日−幕府が持参金つきの養子縁組をした漆奉行粕谷金太夫と勘定方勘野喜四郎を死罪にする。
7月19日−幕府が非行の御家人3名を死罪とし,他の3名を遠島とする。
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が江戸3座で競演され、人気を集める。

●寛延3年(1750)
2月−幕府が諸国に人口調査を命じる。その数は、男1,381万8,654人、女1,209万9,176人、 計2,591万7,830人。
4月19日−幕府が浅草寺に仁王門再興のための市中托鉢を許可する。
4月23日−桜町上皇(31)没。幕府は5月7日に10万石以上の大名に香資銀(こうしぎん)の献上を指令する。
7月19日−浮世絵師西川祐信(80)没。
10月-雑俳(ざつはい)集「武玉川(むたまがわ)」初編が刊行される。

●宝暦元年(1751)
6月20日−前将軍徳川吉宗(68)没。
7月28日−大伝馬町の木綿問屋らが,江戸に入る木綿の独占をは かり,競争相手の白子組木綿問屋を町奉行に訴える。
11月2日−大岡忠相(75)が病気により寺社奉行職を辞任する(12月19日没)。
11月11日−岡崎藩主水野忠辰が重臣により江戸屋敷座敷牢に押しこめられる。

●宝暦2年(1752)
1月5日−赤坂の紀州徳川邸が焼失し,幕府は見舞金2万両を与える。
8月8日−幕府が東33か国で西33か国の秤が使われているとし て,東の守随(しゅずい)秤の使用をふたたび命じる。
8月8日−幕府が,会津産の蝋の密売禁止を近隣へ通達する。
11月13日−浮世絵宮川流の始祖宮川長春(71)没。
11月−日光廟修理のさいの事件により,宮川長春の高弟一笑が新島へ配流となる。
12月15日−琉球の使者今帰仁王子が登城して将軍家重と会う。

●宝暦3年(1753)
3月−中村座で「京鹿子娘道成寺」が初演される。
8月23日−町方での銀道具のの流行をおさえるため,材料となる灰吹(はいふき)銀・潰(つぶし)銀 などの銀座以外での売買禁止をふたたび通達し、11月には諸道具の銀座での交換率を定める。
11月8日−幕府が米価下落のため倹約令を発し,1,000石以下の旗本御家人に貸付金をだす。

●宝暦4年(1754)
2月19日−千住大橋が架け直される。
4月−幕府が,遠島者を運ぶ船について,従来のように囚人が10人ほ ど集まるまで待たず,判決後6、7か月て随時出すことを決める。
夏−平瀬徹斎編「日本山海名物図会」が刊行される。
10月21日−幕府が,退蔵されている古銀の割増引き替えを宝暦6年(1756)5月ま でとし,銀座役人を巡回させて,畿内・北陸・西国筋の引き替え促進をはかる。
11月12日−幕府が貞享暦を廃し,翌宝暦5年(1755)より宝暦戌暦を使うことを決める。
11月22日−幕府が1715年の酒造制限令を廃し,1697年の額に復活させる。
この年、役者評判記の形式で江戸の新版談義本13種を評した,十文字 屋他笑の「千石篩(とおし)」が刊行される。

●宝暦5年(1755)
2月29日−幕府が,諸役所の経費節減のため勝手向御用掛を任命 し,4月には,むこう3年間の各役所の年額を定める。
4月−幕府が,加賀藩の請願にたいして銀札のみの発行を許可し,諸 藩にたいし,以降,新規の金札発行を禁じる。
11月26日−郡上藩領の農民代表が,老中へ駕籠訴する(郡上藩宝暦騒動)。
12月−幕府が不作による米価高騰のため,幕府領および諸大名の 備蓄用の米である囲籾(かこいもみ)うち1年分の払い下げを命じる。

●宝暦6年(1756)
1月3日−元禄歌舞伎の立役者,初代沢村宗十郎(72)没。
2月12日−幕府が,出羽庄内藩へ領内凶作の救助金として1万両を貸し 与え,以後も,熊本藩・津軽藩などへ救済措置をとる。
11月4日−「仮名手本忠臣蔵」など多くの傑作を生みだした,浄瑠璃作者の竹田出雲(66)没。
11月−幕府は,貯蔵米である囲籾(かこいもみ)の払い下げや米の買い占め禁 止を通達してきたが,新米豊作で米価が安くなったため,必要な米の買い置きを認める。

●宝暦7年(1757)
6月−国学者の賀茂真淵が,枕詞に関する「冠辞考」を著す。
夏−各地で洪水が頻発し,大きな被害がでる。
7月−田村藍水が湯島で初の物産会である「薬品会」を開く。
8月5日−勘定奉行中山時傭(ときつね)、大坂町奉行時代の不正で免職・閉門と なる。27日、現職の大坂町奉行2人も,開墾用地の税金横領で罷免される。
8月25日−柄井川柳が「万句合」を始める。
9月7日−幕府は,改暦がなったため,神田佐久間町の測量所(天文台)を廃止する。
12月21日−幕府が,この夏の洪水で大きな被害をうけた7藩へ恩貸金を だし、関東・北陸・東海道筋の旗本にも貸与の申請をするよう命じる。
この年、
杉田玄白が日本橋に蘭方外科を開業する。
相撲に縦1枚の新しい番付が現れる。

●宝暦8年(1758)
3月8日−幕府が,公用旅行者が規定以上の人馬を不法に徴発することなどを禁じる。
9月3日−田沼意次が加増されて大名となり,評定所へ出ることを許される。
9月5日−池大雅の師にあたる文人画家柳沢淇園(53)没。
9月24日−初代が創始した荒事を洗練した2代目市川団十郎(71)没。
10月28日−幕府が,郡上一揆に関連して勘定奉行らを改易,前老中らを処罰する。
12月22日−幕府が河川修理につき,諸藩が費用を負担する国役普請制の翌年からの復活を決める。
12月25日−戯作者馬場文耕が獄門に処される。
この年、2代目瀬川菊之丞(王子路考)が中村座の立女方となり,路考茶・路考結びが流行する。
この頃、女性の菅笠にかわって日傘が流行しはじめる。

●宝暦9年(1759)
2月−山県大弐が「柳子(りゅうし)新論」を著し、尊王論を説く。
5月−幕府が、華美取締りの役人になりすまし,町なかで衣類をはぎとる者の逮捕を命じる。
6月21日−荻生祖徠門下の逸材服部南郭(なんかく=77)没。
閏7月−幕府が,破魔矢・羽子板・雛人形などの華美を禁じた1721年の規定を守るよう命じる。
8月8日−幕府が,新規の銀札発行と金札・銭札の発行を禁止する。
8月29日−幕府が,油価格の高騰にたいし,西国産の絞り油や菜種・綿実の大坂回送を奨励する。
8月−幕府が,火付盗賊改に勤め方規則を定めさせ,密告した囚人を減刑し配下に使うことを禁じる。
9月−浜御殿(浜離宮)で砂糖の製造を開始する。

●宝暦10年(1760)
2月5日−早朝,赤坂から出火して品川まで延焼。6日、7日と連日火災がつづく。
2月−幕府が,江戸大火による職人の手間賃や物価の高騰にたいし2度にわたって引き下げを命じる。
7月11日−幕府が,将軍代替わり時慣例の諸国巡見使の派遣を決める。8月5日,巡見使への法度を公布。
9月2日−徳川家治が第10代将軍に就任する。
12月−幕府が,国産の明礬が専売以外で取引されているとして,定 められた会所で売買するよう触れを出す。

●宝暦11年(1761)
4月26日−東照官祠官で国学者の吉見幸和(ゆきかず=89)没。
6月3日−幕府が,江戸の外に菩提所がある旗本らにたいし,一生に一度は詣でるよう通達する。
7月6日−本草学者の野呂元文(69)没。
7月26日−幕府が,通用貨幣の文字金銀や古金銀が質物に使われているとして,その行為を禁じる。 本草学者田村藍水(らんすい)が「甘蔗製造法」を著し、栽培・製糖法について記す。

●宝暦12年(1762)
1月29日−高松藩主松平頼恭が魚譜「衆鱗」を将軍へ献上する。
2月18日−幕府は,願主が土地寄進の形をとって自由に寺院の移転や改 宗を行っているとして,寺院への土地の寄進を禁止する。
3月5日−幕府は,農民が江戸へ出て目安箱によらず門訴(もんそ)することを禁じる。
5月15日−清水重好が10万石を給される(御三卿の成立)。
5月22日−幕府が,無城の大名の在所陣屋普請について,堀・塀など新規普請のみ届け出るよう決める。
6月1日−幕府が倹約のため諸普請の経費限度額を決める。
8月13日−「蔵志(ぞうし)」を著した医師の山脇東洋(58)没。
吉原に扇屋の歌扇という女芸者が現れる。
幕府が石灰会所を設置し,八王子の石灰や江戸の蠣殻灰などの統制をはかる。
浄土真宗本願寺派が教義をめぐって分裂し,以降長く対立がつづく(三業惑乱)。

●宝暦13年(1763)
3月22日−幕府が,未産出や休山の諸国銅山および銅鉱脈有無の調査を命じ、銅の増産を奨励する。
3月−幕府が,神田明神社に祭礼道具修復料200両を寄進する。 さらに,8月に300両を貸与する。
4月5日−幕府が,御家人の息子が身分をわきまえない姿形で往来するため 町奉行組に見回りと捕縛を命じる。
6月22日−幕府が大名へ,生涯に一度は正室を迎えるよう触れを出す。
7月16日−煎茶を広めた禅僧,売茶翁(89)没。
7月−平賀源内が「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」を刊行する。
8月19日−幕府が,効能がないとして広東人参の市中販売を禁じる。
9月1日−暦にのっていない日食がおこる。
10月−幕府は,6月に諸役所から入用高を提出させたが,それ 以降,経費がかさんでいるため,節約を命じる。
11月23日−神田紺屋町に朝鮮人参座が創設される。
11月−平賀源内が、談義本「根南志具佐」前編と「風流志道軒伝」を刊行する。
この年、うなぎの大蒲焼きがはやる。