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江戸(寛永年間)


●寛永元年(1624)
1月1日−幕府が日光東照官造営のため法度を定める(1月21日、修築開始)。
1月11日−幕府が船手頭向井忠勝を三崎番とし,江戸湾の航路を監視させる。
2月15日−猿若(中村)勘三郎が猿若座(のちの中村座)を興し,歌舞伎興行を行う(江戸歌舞伎の初め)。
2月−幕府が二条城の修築を親藩・譜代大名に命じる。
2月−諸国に伊勢踊りが流行したため,幕府はこれを禁止する。
3月24日−幕府がスペインの貿易要請を拒否し,国交の断絶を通告する。
4月11日−林羅山が将軍家光の侍講となり,「論語」「貞観政要」を進講する。
8月3日−幕府が下級武士の秩序維持のため,番士の勤務規則を定める。
11月13日−諸大名の妻子を江戸住いにすることとなり,薩摩藩主島津家久が初めて実行する。
12月19日−朝鮮使節が家光の将軍職就任の祝賀に来日し,江戸城 で謁見。朝鮮の役のさいの捕虜の釈放・帰還を要請する。
浄土宗の僧霊巌が八丁堀の沖を埋め立て霊岸島を築き,霊巌寺を建てる。

●寛永3年(1626)
閏4月11日−幕府が銭貨の限定ならびに撰鋳を禁止する。
9月23日−シャム国より幕府重臣の酒井忠世・土井利勝に贈物が届く。
9月−徳川秀忠が,亡くなった正室崇源院菩提のため,増上寺で諸宗に読経を命じる。
11月13日−上野東叡山の東照社が完成する。
12月7日−幕府が絹・紬・木綿・布など織物の尺幅を公定する。

●寛永4年(1627)
1月21日−関東大地震が起こる。
8月−東海道・関東に大洪水がおこる。
9月8日−幕府が安南(ベトナム)国王の書を無礼として棄却する(17日,オランダ国王の書簡も 受理せず)。
9月17日−東叡山の東照社で神体を移す遷宮が行われる。
10月−幕府が紙幣の通用を禁止する。
11月5日−台湾人利加が将軍家光・徳川秀忠に謁見し,虎皮などの贈物をする。
11月23日−関東・中部―富士山が噴火し,江戸にも降灰がある。
幕府が内藤重次を初の諸国貢納金銀奉行に任命する。
上野寛永寺の二王門・法華堂などが建立される。
台湾貿易をめぐって対オランダ関係が悪化する。

●寛永5年(1628)
2月6日−幕府が駒井親直・徳山直政を上方目付に任命し,仙洞御所の造営や江戸から京都まで の道路・橋の整備,駄賃・宿賃,銭売買などの法度を定める。
2月9日−江戸幕府が旗本の従者の人数を石高により規定する。また,農民の衣服に制限を設ける。
2月28日−江戸幕府が参勤を怠っていた2大名を処分する。
5月−幕府がキリシタン禁教令を再びくだし,男は死罪,女は下婢(かひ),家財は没収とする。
5月−幕府がスペイン艦船による日本船攻撃の報復として,長崎入港中のポルトガル船を 抑留し,同国と断交する。
6月27日−幕閣の中心で活躍し,その後失脚した元小田原城主大久保忠隣(ただちか−76)没。
7月11日−大地震があり,江戸城石垣が破損する。
8月10日−目付豊島信満が江戸城西の丸で年寄井上玉就を殺害する(江戸城殿中刃傷の初め)。
11月18日−幕府が地震で崩れた江戸城石垣の修築を諸大名に命じる。 女歌舞伎が流行する。

●寛永6年(1629)
1月−江戸城の大規模な拡張工事が始まる。
3月−前年より市中に辻斬りが横行し,幕府が辻番を置く。
4月−幕府が幕府領の代官・農民に年貢・縁組・養子などの法度を定める。
6月−目黒の不動堂が霊験あらたかとのうわさで繁盛する。
8月−幕府がオランダ特使ウィルレム・ヤンスゾーンの入京を拒絶する。
9月−シャム(タイ)使節が江戸城に入城し,国王の交代を伝え,贈物をする。
10月2日−将軍家光がシャム使節に返書する。翌日には山田長政から要請があったシャムとの 通商を許可する。
10月23日−幕府が女歌舞伎・女浄瑠璃などの女性芸能を風紀上の理由で禁止ずる。

●寛永7年(1630)
2月21日−幕閣の重臣,金地院崇伝・南光坊天海・林羅山らが,受不施(じゅふせ)派の 日暹(せん)と不受不施派の日樹の論争を聴取する。
4月1日−将軍家光が不受不施論争を裁決する。
6月23日−大地震がおこり,江戸城西の丸門口石垣が崩れる。
6月25日−将軍家光が御座船の天地丸を建造し,水軍を閲兵する。
7月7日−幕府が配流された日樹に代わって,池上本門寺住職に日遠(にちおん)を任じる。
7月−ポルトガル使節ゴンサロ・シルベイラが長崎に来日し,通商再 開を要求。幕府は許可を与え,2年ぶりに通商が再開される。
7月−幕府が旗本の養子規則を定める。
12月−林羅山が上野忍ケ岡に学寮の建設を始める(昌平坂学問所の初め)。
狩野探幽の弟尚信(なおのぶ)が幕府の御用絵師となる。

●寛永8年(1631)
1月−林羅山が,明国で刊行された「本草綱目」を和名で校訂した「新刊多識編」を刊行する。
2月20日−徳川秀忠が富士見宝蔵の金銀張点検を命じる。
3月10日−幕府が未進年貢の年内取り立てを代官・給人(きゅうにん)に督促する。
4月2日−浅草寺が炎上する。
4月19日−尾張藩主徳川義直が阿部正室(まさむろ)作製の地球儀を将軍家光に献上する。
6月20日−幕府が海外渡航の貿易船に朱印状のほか、老中による奉書の交付が必要であることを定める。
8月−老中土井利勝が徳川秀忠の病気快癒を祈願し、上野寛永寺に鐘楼・五重塔を建立。
9月21日−幕府が関所に対し、通行手形のない者の通行禁止を通達する。
9月−幕府が仏教諸宗に末寺帳の提出を命じる。
11月5日−幕府が御目見得以下の下級武士である徒士(かち)の衣服・家屋・供応など について法度を定める。
11月25日−幕府が加賀藩に嫌疑をもっているとの風評のため,藩主前田利常・光高父子が出府。 しかし12月10日,将軍家光は謁見を許さず。
糸割符制に江戸・大坂商人の参加が許される。

●寛永9年(1632)
1月24日−大御所徳川秀忠(54)没。年寄・森川重俊が殉死。
6月9日−幕府が譜代大名らに知行地年貢の10年平均額の報告を命じる。6月14日,旗本にも 同様の命令を出す。
7月17日−幕府が紫衣事件で配流した大徳寺の王室(ぎょくしつ)沢庵、妙心寺 の単伝(たんでん)・東源(とうげん)を赦し召還する。
9月5日−幕府が金地院崇伝に命じ、五山十刹(ござんじっつさつ)の本末寺の寺領高を記録させる。
9月29日−幕府が旗本に対し,奢多・闘争・末期養子・商売などを禁止した法度(旗本諸法度)定める。
10月2日−幕府が捕らえていたオランダ人と船を,オランダの元台湾長官ノイツと引き換えに返す。
10月3日−幕府が作事奉行を設置する。
11月18日−幕府が甘縄藩主松平信綱を老中に準じる。
12月17日−幕府が水野守信・御生宗矩ら4名を総目付に任命する(大目付の初め)。
寛永期の江戸図ができる。

●寛永10年(1633)
1月6日−幕府が諸国巡見使を全国に派遣する。
1月20日−歴代将軍の政治顧問だった金地院崇伝(65)没。
1月20日−関東大地震がおこる。小田原宿が全壊し,箱根山の巨石が崩れる。
2月10日−林羅山が上野忍ケ岡の先聖殿で,孔子を祀る儀式の釈奠(せきてん)を再興する。
2月−幕府が200石から10万石の大名・旗本の軍役・月俸を定める(寛永軍役令)。
3月23日−将軍家光が6人衆に政務を合議させる(若年寄の初め)。
5月1日−平戸のオランダ商館長が将軍家光に拝謁する(以降通例となる)。
5月5日−幕府が6人衆の阿部忠秋・堀田正盛を老中に準じる。
7月19日−幕府が公私領・寺社領で越訴の禁止などを定めた訴訟手続きと、隠し田畑厳禁の布告を出す。
8月11日−幕府が川船奉行を設置する。
8月13日−幕府が,町人の遺産相続・遺言・訴訟手続きなどを定めた公事裁許(くじさいきょ)の法度を出す。
12月20日−幕府が書物奉行を新たに設置する。
長唄三味線方の杵屋喜三郎が猿若座で初めて三味線を伴奏する。
湯女風呂が流行する。

●寛永11年(1634)
1月1日−中橋北町から出火、延焼する。28日にも神田・本郷・番町に火災が発生する。
1月29日−幕府が安藤重長ら6人に江戸市中の消防の指揮を命じる。
2月22日−幕府が前長崎奉行で豊後府内藩主竹中重義を改易,浅草海禅寺で自害させる。
2月−京都の座元村山又三郎が上堺町に常芝居を許可され,3月に村山座(のちの市村座)
をおこす。 3月3日−将軍家光が老中と若年寄の職務分掌を定める。
5月1日−幕府が将軍家光に火傷をおわせた奥坊主体庵を八丈島へ流罪とする。
5月11日−幕府がイエズス会宣教師セバスチャン・ビエラらを処刑する。
6月20日−将軍家光が上洛の途につく(7.11京都に到着)。
閏7月23日−江戸城西の丸が全焼する。
8月4日−幕府が譜代大名の妻子の江戸居住を命じる。
12月−老中で留守居役酒井忠世が江戸城西の丸全焼の責任を取り,寛永寺に蟄居する。
冬・幕府が連年の不作のため,江戸・京都・大坂・堺などの代官・地頭に 酒造の半減と農民救済措置の実行を命じる。
この年・紀州みかんが初めて江戸に入荷する。

●寛永12年(1635)
1月28日−仙台藩主伊達政宗が江戸城で将軍家光を供応する。
2月−幕府が難破船救助法を諸国の港に命令じる。
3月11日−将軍家光が対馬藩主宗義成と重臣柳川調興との争いを裁決する。
6月2日−将軍家光が大型船安宅丸を諸大名とともに試乗する。
6月21日−幕府が武家諸法度を改定し,諸大名に参勤交代を義務づける。
9月−幕府が譜代衆・物頭に領内のキリシタンの取り締まりを命じる。
11月9日−幕府が寺社と遠国の訴訟を管轄する寺社奉行を設置する。
11月10日−幕府が老中・若年寄・寺社奉行・町奉行・勘定頭などの職務権限を定める。
12月2日−幕府が江戸城内評定所寄合の令を定める。
12月12日−幕府が旗本に対し,冠婚葬祭の倹約などをうたった諸士諸法度を定める。
この年―全国で,キリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。

●寛永13年(1636)
1月8日−江戸城惣郭の造営を諸大名に命じる。
1月20日−暴風雨のため,造成中の江戸城石垣が崩れる。
3月19日−家康以来の重臣酒井忠世(65)没。
5月19日−幕府が日本人の海外渡航を厳禁し,ポルトガル人とその家族を国外追放とする (第4次鎖国会)。
6月1日−幕府が寛永通宝を鋳造するため江戸の芝と近江坂本に銭座を開設する。
11月9日−幕府が全国の寺社に所領安堵の朱印状を与える。
12月13日−朝鮮通信使・任絖らが泰平を祝賀して江戸城で将軍家光に謁見する。 20日,一行は日光東照宮に参拝する。
幕府が歌舞伎役者の衣裳を華美であるとして,座元勘三郎を罰する。
牛込市ケ谷に牛車置場がつくられる。
米価が騰貴し,幕府は米蔵を開け放出する。

●寛永14年(1637)
1月14日−幕府が江戸城本丸修築のため,惣郭(そうぐるわ)助役以外の諸大名に工事を命じる。
3月10日−徳川家康・秀忠の執政を務めた元宇都宮藩主本多正純(73)没。
3月−幕府が道中助馬の制を定める(助郷の先駆け)。
3月−天海版「大蔵経」の印刷・刊行が開始される。
4月1日−将軍家光が,紫衣事件で幕府に抵抗した大徳寺の前住持沢庵を江戸に招く。
8月25日−諸国が大風雨に見舞われ,幕府は穀物の被害状況調査を目的とした巡見使派遣を決定する。
8月27日−将軍家光が,再建なった江戸城本丸は華美にすぎると苦言を呈する。
10月26日−幕府が五人組制度を強化する。
11月27日−幕府が老中の松平信網・戸田氏鉄に島原の乱鎮圧を命じる。
12月1日−江戸市中の風呂屋の湯女が3人以内に制限される。
12月18日−中橋より出火した火災が翌朝まで延焼。22日,町奉行3名が火災の責任を取り, 閉門する。
この年,幕府がルソン(フィリピン)遠征を計画し,オランダの東インド総督に軍船の提供を依頼する。

●寛永15年(1638)
1月−江戸周辺で100年に1度という暴風があり,多数の民家が倒壊する。
4月27日−幕府が前大徳寺住持沢庵のために品川に新寺建立を決定する(翌年5月完成し,東海寺 と称する)。
5月2日−幕府が諸大名に商船に限り500石以上の大船の建造を許可する。
9月20日−幕府がキリシタン禁教令を諸大名・旗本に重ねて布告し,密告者に褒賞を与える。
9月20日−関東地方の山境論争に関する訴訟法度を定める。
10月29日−幕府が麻布と牛込に薬園を開設する。
11月7日−幕府が土井利勝・酒井忠勝を大老に任命する。
11月7日−幕府は制限人数以上の遊女を抱える風呂屋11人を処刑する。
11月26日−四日市から出火し,日本橋・万町など広範囲を焼く大火となる。
この年,松江童頼の俳諸作法集「毛吹草(けふきぐさ)」が刊行される。

●寛永16年(1639)
2月1日−旗本で「三河物語」の作者大久保彦左衛門忠教(ただたか=80)没。
2月23日−幕府が中間・小者・草履取の給金を定める。
4月22日−幕府が諸大名に奢移禁制の倹約令を出す。5月23日には旗本にも発令される。
5月18日−江戸町奉行酒井忠知が小林正重とのいさかいのため,罷免される。
6月−幕府は宗門改役を設置し,宗門改帳を作成する。
7月4日−幕府がポルトガル船の来航とキリスト教の厳禁を通達する。
また諸大名に沿岸警備と外国船の長崎回航を命じる(浦御法度)。
7月8日−幕府が江戸城内の紅葉山に文庫を設立する(紅葉山文庫)。
7月28日−幕府が江戸城評定所に諸大名の家老を集め、キリシタン禁令と外国船追放令の遵守を命じる。
8月11日−江戸城本丸が大奥台所から出火して全焼する。
9月−幕府が奉書火消を制度化し,浅野内匠頭長直など6大名が奉書火消役専任となる。
この年、将軍家光の長女千代姫が尾張徳川家に嫁ぐ。

●寛永17年(1640)
1月15日−幕府が譜代大名とその家臣,旗本らに倹約令を出す。
1月23日−幕府が大番組頭加藤良勝の分をすぎた居宅を破却させる。
5月−幕府が諸大名に領内のキリシタン弾圧を命じる。
6月12日−幕府が各宿場の常置人馬の数を改定し,宿場周辺の郷村に助郷を命じる。
6月−髪結い職人の数が増えたため,幕府が鑑札を出す。
12月1日−四谷から出火し,類焼数百町に及ぶ。
12月22日−幕府が貨幣新鋳過剰のため,長州藩はじめ7藩に鋳造中止を命じる。

●寛永18年(1641)
1月29日−京橋桶町より出火。焼失家屋約2000戸,死者380人を 数え,火消役相馬義胤が重傷,大目付加々爪忠澄が死亡する。
2月7日−老中太田資宗の監督のもと,林羅山・春斎父子の手で「寛永諸家系図伝」 の編纂が開始される。
2月8日−幕府が諸国巡見使の上方・関東派遣を決定する。
4月2日−将軍家光がオランダ商館長を引見し,商館の長崎出島への移転を命じる(5.17移転)。
5月10日−幕府が諸大名にキリシタンの徹底探索を命じる。
6月−幕府が旗本に領内の年貢額・軍役・人数などを報告させる。
7月5日−生糸価格を統制する糸割符仲間の要請で,幕府がオランダ船積載の生糸にも糸割符を適用する。
8月3日−将軍家光の嫡子竹千代(のちの家綱)が誕生する。
8月20日−倹約金のため家綱誕生慶賀は慶宴・猿楽までとし,風流踊りは禁止される。
9月1日−霊巌寺を建立した浄土宗の僧霊巌(88)没。
9月−幕府が医薬・航海・天文学関係以外の洋書の輸入を制限する。
10月幕府が明の商船にキリシタンの殺害とポルトガルとの貿易厳禁を通告する。

●寛永19年(1642)
2月1日−幕府が人身売買の禁止・諸駅駄賃などについて各街道に布告する。
2月19日−浅草観音堂が焼失する。
2月−5月にかけて全国的に大飢饉がおこる(寛永大飢饉)。
5月1日−幕府が諸大名にキリシタン探索と農民救済を命じる。
5月9日−幕府が譜代大名70人の参勤交代による江戸在勤期間を規定する。
5月22日−凶作による米相場の高騰を利用し,私利をはかった蔵奉行・代官・勘定役らの不正が 摘発される。
5月24日−幕府が幕府領・私領に本田畑での煙草栽培の禁止・雑穀常食などの法度を出す。
5月26日−幕府が全国を襲っている大飢饉への対応策を公布する。
7月8日−幕府が米を買い占めた空米相場の首謀者を処罰する。
8月10日−幕府が凶作に対処して新農業政策,郷村取締令を定める。
8月16日−幕府が財政担当の勘定頭を設置する(勘定奉行の初め)。
9月14日−幕府が農民救済・酒造半減・租税遅滞厳禁などを命令する。
11月21日−幕府が税取締令を制定する。
12月10日−幕府が旗本の養子相続に関する法規を定める。

●寛永20年(1643)
2月7日−幕府が物価高のため,諸駅駄賃の値上げを布告する。
2月11日−幕府がキリシタン禁教令を出すとともに,私鋳銭の流通を禁止する。
2月−三宅島雄山が噴火する。
3月11日−幕府が田畑永代売買の禁止を定める。
7月18日−朝鮮通信使が将軍家光に謁見し,世子誕生を祝す。8月3日,家光は朝鮮王への返書を託す。
7月22日−将軍家光が福岡・南部両藩より連行された外国人を尋問する。
8月1日−幕府が諸大名の将軍への拝謁順序を定める。
9月14日−将軍家光の乳母で権勢を振るった春日局(65)没。
9月25日−老中太田資宗が林羅山・春斎父子の編纂した「寛永諸家系図伝」を将軍家光に呈上する。
9月27日−幕府が大名火事番を設置し,4隊に編成する。
10月2日−天台宗の僧で3代の将軍に仕えた南光坊天海(108)没。
中江藤樹の「寛永年間翁問答」が刊行される。