慶応年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●慶応2年(1866)
2月28日−幕府は開港地への出稼ぎ・自由交易と、商人などの外国船購人を許す。
4月7日−幕府が、学術および商業のために海外へ渡航することを許す。
5月13日−幕府は英・米・仏・蘭4国と改税約書(江戸協約)を交わす。
5月−石川島造船所で、初めて日本人が設計した蒸気軍艦千代田型が建造される。
8月2日-小栗忠順、フランス経済使節ウクレとの間に借款契約成立。
9月−イギリス公使パークスが、英・米・仏・蘭4国への賠償金の代わりに、灯台を8か所に
建てることを要求し、幕府が承認する。
10月1日−江戸市中と五街道に、荷物輸送用馬車の使用が許可される。
10月12日−風水害による凶作で、幕府が外国米輸入・販売を許可する。
11月11日−凶作と米価暴騰による窮民が増え、幕府が施米などの救助のほか、強壮者の兵採用を布告する。
12月−福沢諭吉の「西洋事情」初編が刊行される。
●慶応3年(1867)
1月23日−幕府の軍艦、兵器、書籍購入のため、小野友三郎、福沢諭吉らがアメリカへ出発。
2月23日−イギリス代理公使ニール、江戸湾頭に進航し生麦事件の償金を要求。
4月18日−幕府、英仏軍隊の横浜駐留を承認。
9月12日−江戸-大坂間の蒸気飛脚船が開設され、農民・町人も乗船を許可される。
12月20日-江戸城二の丸が全焼。
12月25日-庄内藩を中心とする旧幕府軍による薩摩藩邸、佐土原藩邸焼き討ち。
●慶応4年(明治元年・1868)
1月19日−フランス公使ロッシュが江戸城に徳川慶喜を訪れ、再挙を促すが拒否される。
2月12日−徳川慶喜が、江戸城を出て上野寛永寺に謹慎する。
2月23日−旧幕臣が彰義隊を組織し、上野を占拠する。
3月14日-14・15の両日、薩摩屋敷で大総督府参謀西郷隆盛、旧幕府陸軍総裁勝海舟の会談が行なわれる。(無血開城で交渉成立)。
4月10日−美濃・郡上藩の凌霜隊、伊予松山藩・水戸藩・の脱走者から成る草風隊は会津に向けて出発。
4月11日-江戸城開城。受渡式の官軍代表西郷隆盛、徳川方代表大久保忠寛。慶喜、水戸へ退去。
4月−福沢諭吉が芝新銭座に英学塾を移転し、慶応義塾と改称する(1871.3−芝三田に再移転)。
4月−神田に西洋洗濯店が開業する。
閏4月3日−江湖新聞が倉創刊される(主筆福地源一郎)。
5月15日−上野にたてこもった彰義隊が新政府軍の攻撃で敗走する。戦火で1,200戸が焼失する(上野戦争)。
5月15日−新紙幣の太政官札5種(10両・5両・1両・1朱・1分)が発行される。
5月16日−中外新聞が、別段中外新聞を発行して彰義隊攻撃の戦況を報道する(新聞号外の初め)。
5月18日−福地源一郎が江湖新聞に載せた「強弱論」で新政府軍に逮捕され、同紙は発行禁止となる。
8月19日−東京旧幕府海軍副総裁榎本武揚が、艦船8隻を率い、品川より奥州へ向けて脱走出帆する。
11月19日−東京が開市する。築地に外国人居留地が設けられ、外国人を対象とした新島原遊郭ができる。