江戸府内年代リンク
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元和(1615〜1623)
寛永(1624〜1643)
正保(1644〜1647)
慶安(1648〜1651)
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明暦(1655〜1657)
万治(1658〜1660)
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天和(1681〜1683)
貞享(1684〜1687)
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寛保(1741〜1743)
延享(1744〜1747)
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明和(1764〜1771)
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享和(1801〜1803)
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文政(1818〜1829)
天保(1830〜1843)
弘化(1844〜1847)
嘉永(1848〜1853)
安政(1854〜1859)
万延(1860)
文久(1861〜1863)
元治(1864)
慶応(1865〜1867)
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江戸(元文・寛保年間)


●元文元年(1736)
1月13日−幕府が米価維持のため奥羽・北国米の大坂・江戸回送を4月から6月以後に改める。
1月−幕府が享保17年(1732)の西国飢饉の相互救済状況を「仁風一覧」と して書物にまとめ,町方に購読を奨励する。
2月26日−幕府が盲人の統括職である江戸惣検校(そうけんぎょう)を廃止する。
3月28日−幕府が書物奉行に「類聚(るいじゅう)国史」の校訂を命じる(6月19日校訂完了)。
4月−幕府が江戸の石灰・蠣灰問屋保護のため他国産の蠣灰・蜆(しじみ)灰の購入を禁じる。
5月12日−幕府が金銀貨を改鋳し,質を下げて米価の上昇をはかる(元文金銀)。
6月1日−幕府が金銀改鋳によリ公定米価を廃止する。
6月5日−幕府が書物奉行に「園太暦(えんたいりゃく)」「日本後記纂(こうきさん)」 の校訂を命じる。
6月−浮世草子作者江島其磧(71)没。
7月17日−古義学派の儒者伊藤東涯(67)没。
8月12日−幕府が江戸町奉行大岡忠相を寺社奉行とする。
8月30日−幕府が市中および江戸城中での落書・雑説を禁じる。
9月15日−幕府が1693年の服忌令(ぶつきりょう)を増補・改訂し刊行する。
10月−幕府が上方米の江戸引き受け問屋9人を指定する。
拳(けん)相撲が流行する。
近藤清春の「今様職人尽(しょくにんづくし)百人一首」が刊行される。

●元文2年(1737)
2月−幕府が田畑の質入れ・売買の証文の時効期限を10年と定める。
2月−幕府が私領でも五人組帳を作らせる。
3月16日−幕府が元文金銀と古金銀の併用期限を今年限りと通達する。
3月−幕府が飛鳥山を王子権現別当金輪寺に寄進する。
5月3日−下谷相生町から出火,上野に延焼して寛永寺本坊ほかを焼失する。
5月8日−幕府が家主・五人組に相談せずに訴訟をおこすことを禁じる。
5月13日−幕府が江戸城表右筆(おもてゆうひつ)管掌の幕府日記記載について 大目付・目付も関与させる。
5月−幕府が,堤防などの修復費が1村で50両を超えた場合,各村別 に申告することを定める。
6月1日−幕府が勘定吟味役神尾春央を勘定奉行とし,14日老中松 平乗邑を勝手掛老中に任じる。
8月23日−幕府が元文金銀と古金銀の併用期限を明年4月に延期する。 また潰し銀を銀座以外に密売することを厳禁する。
8月−幕府が諸大名に参勤交代ほかで本陣・脇本陣で宿泊のさい,宿 代を規定どおり支払うよう命じる。
8月−幕府が,病気で離縁された女性が快癒後に再婚する場合, 離縁時期の明記を命じる。
12月21日−寛永寺本坊が富山・佐土原2藩の助役により完成する。
幕府が江戸亀戸・出羽秋田・紀伊名草に鋳銭(ちゅうせん)座を設置する。

●元文3年(1738)
2月22日−幕府が諸国に人口調査を命じる。
2月−将軍吉宗が穴八幡神社で流鏑馬を催す。
3月21日−江戸草創名主組合の年番が定まる。
5月7日−幕府が江戸・駿河の和薬改会所を廃止し,ついで12日に京 都,25日に大坂の和薬改会所も廃止し,和薬の販売を自由化する。
5月17日−幕府が日光産薬用人参の販売を御用商人岡肥後に許可する。
7月−幕府が市街地での花火を禁じる。
8月−幕府が関東での新田開発を始める。
8月−幕府が銭貨の新鋳請負志願者を募る。
11月30日−幕府が文字金銀の引き換え所を廃止し,以後金は江戸・京都 の金座,銀は江戸・京都・大坂の銀座で交換する。
11月−西日本・幕府が1732年の煌害の恩貸金を今年末までに返納 するよう諸大名に通達する。
国学者賀茂真淵が江戸へ出て古学を唱え,門人を集める。
浄瑠璃太夫宮古路豊後掾の風俗をまねた「文金風」が大流行する。

●元文4年(1739)
1月12日−幕府が尾張藩主徳川宗春に蟄居を命じる。
3月8日−幕府が儒者・蘭学者で甘藷を広めた青木昆陽を召し出す。
6月9日−幕府が,無鑑札の古鉄商・古着商・古道具商が火事場で古 鉄買いするのを禁じる。また,21日,庶民の火事場見物を禁じる。
7月20日−地理学者建部賢弘(76)没。
7月−石田梅岩の「都鄙問答」が刊行される。
8月−幕府が諸廻船に外国商船・不審な船の通報を命じる。
10月1日−将軍吉宗が本草学者野呂元丈(げんじょう)を引見し,物産研究を賞する。
10月7日−幕府が浄瑠璃の一派,豊後節を禁じる。
11月18日−深川木場の材木問屋12人が仲間組合を結成する。
11月−荷田在満(かだのありまろ)の「大嘗会便蒙(だいじょうえべんもう)」が刊行される。

●元文5年(1740)
1月29日−市中に疱瘡が流行。幕府は旗本・御家人の希望者に予 防薬陰陽二血丸を販売する。
4月14日−幕府が市中奉公人請け人の処罰規定を定める。
5月12日−幕府が勘定奉行・寺社奉行・町奉行の3奉行らに将軍の 側近および老中などの家臣から請託をうけないよう指示する。
5月12日−幕府が、3奉行・大目付・目付らに会合のときの遊宴・三味線を禁じる。
6月30日−幕府が機密保持のため,奥の右筆が大名・藩士と交 際することを禁じる。
閏7月−幕府が町奉行・道中奉行らに隠売女(かくしばいじょ)、踊子,茶汲女・飯盛 女などの取り締まりを命じる。
9月1日−浄瑠璃の一派、豊後節の創始者・宮古路豊後掾(ぶんごのじょう)(81)没。
9月−幕府が荷田在満の「大嘗会便蒙」の絶版・回収を命じ、在満を閉門にする。
11月18日−幕府が徳川宗尹(むねただ)に江戸城一橋門内に屋敷地を与える(御三卿一橋家の創立)。
この年、
植村政勝が「諸州採薬記」を将軍吉宗に献上する。
将軍吉宗が青木昆陽・野呂元丈にオランダ語の学習を命じる。

●寛保元年(1741)
1月−木村高敦(たかあつ)が徳川家康一代記「武徳編年集成」を将軍吉宗 に献上し,吉宗は紅葉山文庫に収蔵する。
2月−役者佐野川市松が中村座の芝居で用いた衣裳の模様が流行する(市松模様の初め)。
4月2日−幕府が勘定組頭堀江芳極(よしたか)を新田開発の功で褒賞する。
4月8日−幕府が品川沖で無許可の小船が諸廻船と密売買することを禁じる。
4月26日−幕府が取退無尽(とりのきむじん)・寺社建立講を賭博として禁じる。
5月−幕府が西国19大名に煌害のときの思貸金の返済を明年11月までと通達する。
8月7日−朝廷が将軍吉宗を右大臣に,嗣子徳川家重を右大将兼右馬寮御監(うまりょうごかん)に任じる。
8月9日−幕府が、旗本が知行所年貢の代わりに蔵米をうけるのは在職・勤番中のみとする。
11月18日−幕府が,諸宗寺院に対し本末・位階・宗義などについては本寺 に裁断をまかすことを命じ,不服のときは寺社奉行への提訴を認める。
12月−幕府が親孝行により町医師田村三知(さんち)に家伝薬大救丸の販売を許可する。
この年、幕府が農民の徒党・強訴・逃散に対して量刑を定める。

●寛保2年(1742)
4月−幕府が諸寺院に葬式のとき六道銭と称して貨幣を副葬することを禁じる。
5月9日−幕府が市中での辻駕籠の戸を立てることを禁止し,牛車・大八車・地車の通行・駐車による往来妨害を取り締まる。 また火を携行しての行商を禁じる。
6月6日−俳人早野巴人(はやのはじん=66)没。
9月9日−幕府が市中で富士山の加持水(かじすい)を薬と称して病人に飲ませる者を取り締まる。
10月4日−浄瑠璃作者紀海音(かいおん=80)没。
10月6日−幕府が岡山藩・長州藩・熊本藩など16藩に関東の諸河川堤防の修築助役を命じる。
10月−幕府が増水時に両国橋杭に漂流物が当たらない方法を公募する。
この年、荷田在満(かだのありまろ)の歌論書「国歌八論」が完成する。

●寛保3年(1743)
2月−幕府が代官・手代の出張手当を定める。
4月−幕府が風水干害による非常時以外,農民に夫食貸し・種貸しを行わないよう 勘定奉行・代官に通達する。
6月1日−幕府が,諸藩の留守居役が料亭で酒宴・遊興することを禁じる。
6月2日−絵師尾形乾山(81)没。
10月26日−幕府が覆面の着用を禁止する。
11月−上旬より東南の空に彗星が出現する。