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江戸(万治・寛文年間)


●万治元年(1658)
1月10日−本郷吉祥寺辺より出火,駿河台・鎌倉河岸から本町・日本橋・京橋・新橋,さらに 霊厳島・八丁堀・馬喰町に延焼する。
1月18日−幕府が10日の火事に罹災した大名に貸与金,旗本に下賜金を出す。
幕府が日木橋の四日市・銀町・飯田町の町屋を補償銀2000貫目で没収する( 翌月,防火用の長堤を築いて松を植える)。
鉄砲洲の埋め立てが始まる。
江戸城本丸の石垣普請が始まる。
歌舞伎役者初代中村勘三郎没。
幕府が会津藩主保科正之に1万両,水戸藩主徳川頼房に2万両を与える。
8月1日−幕府が府内の地図作製を命じる。
8月22日−幕府が正月の大火で罹災した町人に銀3,000貫目を与える。
8月−幕府がキリシタン訴人の報奨金を増額する。
8月−幕府が髪結床の株を新設し,1町内に1軒とする。
9月8日−幕府が定火消を新設する。
10月−幕府が町屋新築のさい,軒の高さを3尺5寸から4尺に制限する。
11月1日−将軍家綱が江戸城内で黄檗僧隠元隆gを引見する。
11月−幕府が人身売買を禁止し,また年季奉公を10年以内とする。
11月−江戸幕府が江戸からの駄賃を公定する。
12月19日−茶人千宗旦(81)没。
12月−幕府が府内の船着き場を定める。
閏12月3日−幕府が凶作のため,諸大名に今年・来年の酒造半減と, 新規酒造業・密造の禁止を命じる。
この年
幕府が暦をかってに頒布することを禁じる。
西洋の天文学を陰陽五行説をもって批評した向井元升の「乾坤弁説(けんこんべんせつ)」がまとまる。
この頃浅井了意の「東海道名所記」が刊行される(道中ものの初め)。

●万治2年(1659)
1月19日−江戸幕府が市中の振売商人(行商人)および髪結いに鑑札を出し, 無鑑札での営業を禁じる。
1月−幕府が1年季奉公人の保証期限を2月20日とし,違反者には罰金10貫文あるいは 禁固を科す。
3月3日−江戸城外の土手に松を植える。
3月−幕府が辻番所令を出し,昼間は2人,夜間は4人勤務とする。
4月14日−江戸城総石垣の普請が終わる。
6月19日−幕府が秤の諸器具の改造を禁じる。
6月28日−彦根藩主井伊直孝(70)没。
6月−幕府が江戸から他国へ行く女性の関所手形には,南北町奉行の裏判が必要と定める。
7月2日−大雨による洪水で,深川・両国の橋が多く流失し,浅草の米蔵に水が入る。
7月23日−紀州藩主徳川頼宜隷の正室が江戸に住む。これを機に諸大名の妻子が 江戸に住むこととなる。
8月3日−江戸城本丸の造営が竣工。天守閣は廃止となる。9月5日,将軍家綱が江戸城本丸に入る。
11月12日−幕府が寛永寺・増上寺・伝通院・智楽院(ちがくいん)の境内・門前・寺領 および代官支配地の開発・家屋建築を禁止し,明暦の大火後に建てられた家屋を取り壊させる。
12月5日−吉原三浦屋の遊女高尾太夫(19)没。
12月13日−隅田川の大橋(両国橋)架橋工事が完成する。
この年
幕府が江戸城中の茶坊主に服務規程を示す。
明から渡来した儒学者朱瞬水が日本に亡命し,帰化する。
仮名草子「伊曽保(イソップ)物語」(絵入り本)が刊行される。
中川喜雲作,斐川師宣画「私可多咄(しかたばなし)」が刊行される。

●万治3年(1660)
1月14日−湯島天神前がら出火,119町2,350軒余を焼失し,死者70人余に及ぶ。
1月−幕府が失火者の処罰,橋上の積み荷禁止,橋の両側に住む者に橋の防火を命じる。
2月3日−1月は火災多発のため,幕府がオランダ人の参府を次の年から3月と改める。
2月9日−幕府が武家屋敷内に町人の住むことを禁じる。
2月10日−幕府が仙台藩主伊達網宗(つなむね)に牛込から和泉橋までの小石川堀(仙台堀) の開削を命じる(1661.4.11完成)。
2月23日−幕府が防火のため市中に家屋建築規則を出す。
2月29日−幕府が江戸城の防火令を出す。
3月25日−幕府が書院番士徳山重政・山崎重政を初の本所奉行に任じ,両国橋以東を管轄させる。
4月27日−硫黄贈与の返礼として将軍家綱に朝鮮国王から礼物が届けられる。
5月−歌舞伎俳優の森田太郎兵衛が木挽町に森田座を設立する。
7月18日−幕府が仙台藩主伊達綱宗に不行跡を理由に逼塞を命じる(伊達騒動の発端)。
8月21日−幕府が神田明神に金2,000両,芝神明社・西窪飯倉八幡および三河の偏光明寺 に各金1,000両を修理費として与える。
8月23日−幕府が酒造量を前年に引き続き例年の半分とし,新規の酒造業者・密造を禁じる。
11月12日−幕府が東海道の城下宿駅に各300両を貸与する。
12月−医師板坂ト斎の収集本をまとめた浅草文庫が整備される。

●寛文元年(1661)
1月20日−江戸小石川の岩槻藩下屋敷から出火,京橋に至る42町が被 災し,大名屋敷110軒,民家780軒余が焼ける。
2月18日−幕府が大目付に江戸図の改定を命じる。
3月22日−幕府が諸大名に城米の半分を江戸・大坂・大津の幕府米蔵へ,運賃幕府負担で送らせる。
3月−明暦の大火を記録した浅井了意の「むさしあぶみ」が刊行される。
4月−幕府が隠元隆埼に黄檗宗の布教を許す。
5月12日−幕府がふたたび銭貨の価格,新銭鋳造に関する禁止条令を出す。
6月6日−深川番所を中川口に移す。
8月1日−幕府が女手形の記載法を定める。
8月27日−江戸幕府評定所の造営が成る。
閏8月27日−幕府が問屋以外の諸商人の掛け売買に関する訴訟を 受理しないこととする。
11月−幕府が御台所の経費を年500両増額し,計1,000両とする。
12月−幕府が芝居興行を堺町・葺屋(ふきや)町・木挽町に限り, また町中での勧進相撲・的矢(まとや)を禁じる。
この年
金平浄瑠璃が流行する。
伊勢参りがさかんに行われる。
小瀬甫庵(おぜほあん)の「太閤記」が刊行される。
この頃、初代須原屋茂兵衛宗元が出版業を始める。

●寛文2年(1662)
1月18日−江戸幕府が若衆歌舞伎を取り締まる。
1月28日−古筆鑑走の祖古筆了佐(こひつりょうさ=91)没。
2月22日−幕府が若年寄を再置し,側衆久世広之・土屋数直を任じる。
2月30日−幕府が,老中と若年寄の職務・所管を定める。
3月16日−知恵伊豆と呼ばれた元老中松平信網(67)没。
6月22日−幕府がキリスト教禁止令を出し,キリシタンの捜索を厳命する。
6月−幕府がポルトガル船の来航を拒否する。
6月−幕府が市中の掘割・溝をさらい、さらった泥土で道普請 をさせる。また塵芥船の収集日を定める。
7月12日−元大老酒井忠勝(76)没。
8月14日−幕府が朝廷に藤原定家の日記「明月記」を献上する。
8月−京都の材木商白木屋が日本橋に小間物店を開く。
9月−幕府が猟師以外の鉄砲所持禁止を再令する。
10月13日−幕府が碁・将棋の棋士を寺社奉行に管掌させる。
11月7日−幕府が江戸城郭内で小者・中間・農民・馬方の乗馬を禁じる。
11月10日−幕府が南北町奉行所の同心を50名ずつ増員して,各100名とする。
11月15日−幕府が金銀相場令を出す。
仮名草子作者浅井了意の「江戸名所記」が刊行される(江戸地誌の初め)。

●寛文3年(1663)
1月26日−幕府が年季奉公人の出替わり時期につき宗門改めを行う。
2月25日−兵法家小幡景憲(92)没。
3月−幕府が市中の辻番所に職務規定の詳細を定める。
4月17日−将軍家綱が日光東照官に参詣する。
5月23日−幕府が武家諸法度を改定し,殉死の禁止などを命じる。
5月−幕府が,旗本が持参金つきの養子を迎えることを禁じる。
6月−幕府が市中での花火の製造・使用を禁じる。
8月5日−幕府が旗本・御家人に諸士法度を出す。
9月28日−幕府が米手形の売買防止のため,決済期限30日のものを10日に短縮する。
9月−幕府が大名・幕臣の宴席での奢侈を禁じ,三汁十菜か二汁五菜を限度とする。
10月25日−幕府が女院(にょいん)・御台所などの衣服代金の上限を定め, 京都・江戸の呉服商にも通達する。
11月−幕府が日蓮宗に対しで浄土宗同様,自宗礼賛他宗攻撃を禁じる。
12月15日−幕府が銀座に運上銀および銀座役人の跡目相続について法令を出す。
12月26日−将軍家綱が儒官林春斎の家塾に弘文院の称号を与える。
町飛脚が仲間を結成する。

●寛文4年(1664)
1月12日−幕府が評定所の訴訟審理の規則を定める。
3月7日−幕府が諸大名に領知朱印状・領地目録を提出させる。
3月27日−幕府が旗本水野十郎左衛門に不行跡のかどで切腹を命じる。
3月29日−幕府が老中の連署を大事に限り,小事は月番老中だけの署名 ですませることとする。
4月28日−幕府が諸大名に,領知の判物・朱印状を与える。
7月28日−幕府が永井尚庸(なおのぶ)「本朝 編年録」の編纂を統括させ,また書名を「本朝通鑑」と改める。
8月3日−幕府が絹・紬反物の長さを定めた法令を出し,寸尺不足の絹・紬の販売を禁じる。
8月22日−幕府が関東8国に巡見使を派遣する。
8月−幕府が定飛脚を町飛脚問屋に委託する。
9月14日−幕府が町奉行に博打禁止と火の用心の徹底を命じる。
9月−幕府が町地内にある大名・旗本・御家人・僧侶・医師の宅地の査察を行う。
11月1日−幕府が国史館を上野忍ケ岡に置き,林春斉に「本朝通鑑」の編修を続けさせる。
11月25日−幕府が諸藩に専任の宗門改めを置かせ,旗本には名主・年寄 から五人組手形の提出,代官には手代中に専任者を置くことを命じる。
12月7日−柳生宗冬が将軍家綱に剣法を指南する。
この年、
幕府がオランダの要求に応じ,長崎貿易の半額まで金貨での支払いを許す。
市村座で4番続きの興行が始まり話題を呼ぶ。

●寛文5年(1665)
1月29日−幕府が魚・鳥・野菜の食用時期を定める。
2月2日−幕府が千駄ケ谷に火薬庫を築造する。
2月9日−幕府が徒士・若党・農民の衣服制限令を出す。
2月18日−幕府が旗本の養子相続令を出す。
2月−江戸幕府が江戸府内で駕籠・輿に乗ることを禁じる。
3月27日−幕府が日傭座(ひようざ)を置き,雇い人の管理と札銭(ふだせん)の徴収を行う。
3月−幕府が金座・銀座・両替商以外に潰し金銀の売買を禁じる。
3月−幕府が後藤四郎兵衛の極印のない金銀用の分銅の使用を禁じる。
5月16日−江戸市中のゴミ溜め場が定められる。
5月−幕府が伊達男の若者の無法を取り締まる。
7月11日−幕府が諸宗寺院・諸神杜に法度と下知状を出す。
7月13日−幕府が諸大名の証人制を廃止する。
7月−幕府が寺領・社領の売買・質入れを禁じる。
7月−水戸藩主徳川光圀が明の儒者朱舜水を招聘する。
8月−幕府が寺社に領知朱印状を与える(日蓮宗の不受不施派を弾圧)。
11月1日−幕府が先手頭(さきてがしら)水野守正に関東の強盗追捕を命じる。
11月−江戸幕府が市中の隠し売春婦を新吉原の者に取り締まらせる。

●寛文6年(1666)
1月−仮名草子作者,浅井了意が「御伽婢子」を刊行する。
2月2日−幕府が水害防止のため,幕府領代官に山川原野に関する法令をだす。
3月29日−幕府が老中酒井忠清を大老とする。
4月18日−幕府が武家の嫁取り行列について定める。
7月−幕府が農民と商人の訴訟は町年寄・肝煎・十村頭を経由することなどの法令を定める。
7月−儒者中村タ斎(てきさい)「訓蒙図彙」が刊行される。
9月8日−幕府が初めて鉄砲組与力を置く。
9月12日−幕府が市中の生薬商(きぐすりしょう)に独占販売・偽薬の販売を禁じる。
10月−幕府が町奉行所の与力・同心,配下の岡引および町年寄・名主の職権濫用を禁じる。
10月−幕府が,数人が連帯した証書で借金して毎月輪番で返金する車借金を禁じる。
11月8日−幕府が凶作により酒造量を半減し,酒造業の開業を禁じる。
11月11日−幕府が諸国農民に人身売買・田畑売買と質入れ・隠し田の禁止, 年季奉公の10年限度などを命ずる。

●寛文7年(1667)
2月28日−金剛太夫の勧進能で金剛座方と弾左衛門が対立し、 幕府は弾左衛門の興行特権を認める。
2月−幕府が質屋の営業について規制する。
閏2月18日−幕府が諸国の港に難破船救助・積み荷・出港・城米運送など に関する法令を発する。
閏2月18日−幕府が関八州を除く全国に巡見使を派遣する。
3月4日−幕府が諸大名に酒造半減令の延長・酒造戸数調査を命じ,また 煙草の本田畑での栽培をふたたび禁じる。
3月22日−幕府が渡船の制度を定める。
4月−幕府が大名の進物を復活する。
7月25日−幕府が朝鮮に武具を密売した商人88人を処罰する。
8月9日−幕府が岡山藩主池田光政に,翌年の麻布・三田掘割り工事助役を命じる。
9月4日−幕府が市中の辻・橋畔での古銅類や門扉の銅具・銅瓦などの売買を禁じる。
9月−山森六兵衛の名所記「京童跡迫(きょうわらべあとおい)」が刊行される。
10月28日−幕府が空き地での家屋の新築,御家人宅地の商人への賃貸, 寺社地の農民への賃貸を禁じる。
11月9日−幕府が先手頭岡野成明(しげあき)に関東諸国盗賊考察を命じる。
11月−幕府が雛祭りの調度や端午の節句の兜・人形などの華美を禁じる。

●寛文8年(1668)
2月1日−牛込ほか2か所から出火し,武家屋敷2,407、寺36、町屋132町,農家170を焼く。
2月6日−小日向から出火,小石川・代官町から江戸城本丸大奥まで延焼する。
2月11日−江戸幕府が火災頻発により松平忠昭ら諸大名に市中の巡察を命じる。
2月15日−将軍家綱が家門・諸大名に奢多を戎める。
2月27日−市中の問屋・商人の買い占め・買い置きに対して,幕 府が米・大豆・塩など15品目の在庫数量を書き上げさせる。
2月28日−幕府が酒造量をさらに前年の半量とし,また本田畑での煙草栽培を禁じる。
2月−幕府が1反銀300回以上の小袖表の販売を禁じる。
3月14日−幕府が,農民に衣食住・冠婚葬祭の倹約を命し,勧進能・相 撲・操(あやつり)の見物を禁じる。
3月−江戸幕府が新吉原条目を定める。
4月6日−幕府が各藩に特産品・津留商品・通用の枡を報告させる。
5月−幕府が長崎貿易の支払いを銀から金に改める。
10月12日−江戸浅草掘割が竣工する。
10月26日−幕府が紺屋の藍瓶税を銭納とする(関東)。
10月−幕府が商人・職人に茶屋で寄り合いを開くことを禁じる。
11月4日−幕府が守随(しゅずい)彦太郎に秤売買の券, 土屋五郎右衛門に紺屋査検の券を授ける。

●寛文9年(1669)
1月18日−幕府が無許可の酒屋営業を翌月1日より禁じる。
2月18日−幕府が江戸市中の枡を京枡に統一する(閏10月1日から実施)。
3月13日−幕府が五番方の番頭(ばんがしら)に命じ,過去10年間の諸番士の勤務状態を調査する。
3月21日−幕府が5,000石未満の旗本に,京都方広寺大仏を溶かして鋳造し た新銭の買い請け法をくだす。
4月3日−幕府が日蓮宗不受不施派の寺請を禁じる。
9月28日−幕府が諸藩に酒造畳半減・本田畑での煙草栽培禁止の順守を命じる。
小石川後楽園ができる。

●寛文10年(1670)
2月22日−幕府が奏者番堀田正俊を若年寄とする。
3月−幕府が,小者・中間・草履取・駕籠舁きなどの衣服を制限する。
4月17日−長崎代官末次平蔵が建造した洋式船が品川に回航される。
6月12日−林春斎「本朝通鑑」273巻の編纂を終え,将軍家綱に献上する。
6月−幕府が前年の新鋳銭と古銭とを混ぜての商取引・両替を禁じる。
7月−幕府が,市中の塵芥清掃・処理令を出す。
8月13日−幕府が農民の衣食住にたいして質素を命じ,町人の家督相続についても規制する。
8月−幕府が河岸の倉庫建造を瓦葺き・塗り垂れ倉とする。
9月−幕府が諸大名に対して石高に応じて新しい升の購入を命じる。
10月17日−江戸将軍家綱が江戸城内で渋川春海(安井算哲)と本因 坊道策の囲碁対局を見る(天元の局)。
11月3日−幕府が前京都所司代板倉重矩をふたたび老中とする。
12月28日−幕府が商人の前髪を禁じ,切らせる。
渋川春海が渾天儀を製作する。

●寛文11年(1671)
2月−幕府が年季奉公の出替わり時期につき,宗門改めの徹底を命じる。
3月5日−幕府が諸大名にキリシタン禁止令を再令する。
3月18日−幕府が古枡使用禁止令の順守を命じる。 3月27日−大老酒井忠清の屋敷で仙台藩伊達家内紛の裁判が行われ, 刃傷沙汰となる(伊達騒動)
7月28日−将軍家綱が琉球使節金武王子を引見する。
7月29日−幕府が前年江戸品川に来航の未次平蔵建造船の長崎帰港にさ いし,諸港に難破船の救助法を指示する。
7月−江戸の豪商河村瑞賢が陸奥幕府領年貢米の江戸輸送航路を開く(東廻航路の開発)。
8月27日−大風雨で市中の各川が洪水を起こし、30日に東海道の六郷橋が流失する。
9月2日−将軍家綱が巡見使に関東諸国の政情・民情を下問する。
10月19日−幕府が不良幕臣牧野正昌を処罰する。
10月22日−神儒一致を唱える山崎闇斎が,吉川惟足より垂加神道の号を贈られる。
10月−幕府が幕府領代官に宗門改帳の書式統一などの整備を命じる。
11月1日−幕府が偽薬・毒薬・偽造金銀の売買および諸商品の買い占め, 協定による職人手間賃の値上げを禁じる。
11月−幕府が橋脚保全のため隅田川出水時に船を厳重につなぐことを命じる。

●寛文12年(1672)
1月28日−幕府が諸大名に年季奉公人の出替わり日を江戸と同じ3月5日 にするよう命じる(翌月,各領内は自由とする)。
2月2日−元宇都宮藩士奥平源八が父の仇奥平隼人を討つ(浄瑠璃坂の仇討ち)。
3月3日−オランダ商館長ヨハネス・カムフアイスが将軍家綱に謁見し, 「万国地図」を献上する。
3月−市中に塵芥捨て場が増設される。
春−水戸藩が史局を江戸駒込の別邸から小石川の本邸に移し,彰考館と命名する。
5月2日−幕府が魚介類・野菜・果物など36種の食品の売り出し期日を定める。
5月23日−漢詩人石川丈山(90)没。
11月−江戸〜大坂間で手板組(ていたぐみ)による金銀運送が始まる。
12月18日−前会津藩主保科正之(62)没。
江戸の豪商河村瑞賢が出羽国幕府領の年貢米を江戸に輸送する(西廻航路の開発)。
遊女の間に三味線音曲が流行する。
熊沢蕃山の時勢批判書「集義和書」が刊行される。
浮世絵師斐川師宣が「北里図巻」の制作に着手する(1689年完成)。
松尾芭蕉の処女著作にして唯一の自著「貝おほひ」が刊行される。