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●明和2年(1765)
3月7日−講釈師の深井志道軒(84)没。
5月−後藤梨春が「紅毛談(オランダばなし)」を刊行し,エレキテルと称する電気
医療器を紹介するが,オランダ文字を文中に使ったため,幕府がら絶版に処される。
5月−川柳集「誹風柳多留」初編が刊行される。
7月6日−幕府が中国向け輸出品の鱶鰭(ふかひれ)増産のため,新しく鱶漁を始め
る浦々へは当分の間、運上(税の一種)を免除する。
8月−両国橋のたもとにマンボウの見世物がでる。
9月1日−幕府が新しく五匁銀を発行する。
11月−島田充房(みつふさ)・小野蘭山による,図に立体感をもたせるよう工夫さ
れた植物図説「花彙(かい)」が刊行される。
12月4日−奥医師多紀元孝の私塾躋寿(せいじゅ)館が神田佐久間町に完成
し,幕府が藩医や町医師などの聴講を認める。のち,医学館となる。
12月23日−幕府は,座頭らの高利貸が他人の金を預かって貸し付ける
こと,法外な高利子をとることなどを禁じる。
絵暦の交換会で,鈴木春信が錦絵を発表する。
賀川玄悦が「産論」を刊行する。
この頃、男の長羽織がもてはやされるようになる。
●明和3年(1766)
2月25日−幕府が難破中国船の回収費用について,漂着荷物の回収費用のみ長崎奉行払い,
その他は浦々の課役と定める。
3月7日−幕府が西国で、禁止されている絞り油売買が行われているとして、
その厳禁を命令し,ふたたび大坂への油絞り用種物の回送を命じる。
3月−幕府が浄土真宗御蔵(おくら)門徒を異端として逮捕し、9月29日ごろまでに処刑する。
11月18日−幕府が,職人の勅許受領(ずりょう)名について,親の跡を継ぐときに
は新たに勅許をうけて名乗るよう触れをだす。
●明和4年(1767)
3月21日−幕府が、大坂送り分を除いた関東産綿実の集荷問屋を,
江戸小網町と神奈川宿の2か所に定める。
3月−幕府が、関八州と甲斐へ,博徒など不良の者の逮捕を命じる。
春−これまでの藩主と門閥層の対立を題材に,「阿淡夢物語」が書かれる。
ついで続編も出るが,1771年,発禁処分となる。
4月15日−農民出身の代官川崎定孝が勘定吟味役に任じられる。
6月−幕府が,朝鮮人参価格を決定し,7月の発売および
江戸・京都・飛騨高山の下売り商人を定める。
閏9月8日−幕府が,諸国農民の強訴・徒党・逃散を厳禁し,あわせ
て西国筋の逃散農民の帰村徹底を厳命する。
10月−思想家三浦梅園が思索の一端を「敢語(かんご)」として著す。
12月5日−竹内式部が八丈島流刑の途中,三宅島で病没(56)。
大口屋治兵衛が札差を廃業する。
大田南畝の「寝惚先生文集」初編が刊行される。
●明和5年(1768)
1月−平賀源内が,本邦初の寒暖計である寒熱昇降器をつくる。
4月6日−吉原の大火で、一般居住地域での仮宅営業が許可される。
4月28日−幕府が真鍮四文銭を鋳造し,通用について触れをだす。
6月7日−幕府が葵紋の使用を許可した大名へ,菩提所以外の寺社へ葵紋
付きの調度類を寄付することを禁じる。
9月−幕府が、役職にある旗本の俸禄について、所領を与える知行取
りから現米・米切手を支給する蔵米(くらまい)取りへ切り替えるさいの条件を定める。
11月−賀茂真淵が「万葉考」巻6までを著す。
この年、杉田玄白・前野良沢らがオランダ人外科医の手術を見学する。
●明和6年(1769)
1月9日−前年末からの近畿の農民の騒動にたいし,幕府が各領主に所領を
越えての取り締まりを命じる。
2月21日−幕府が一揆禁令を発し,諸領主に他領の騒動にたいしても出兵を命じる。
6月−浪人風の者が関東や伊豆・甲斐の村々で銭をねだり、また止宿す
るため,幕府が逮捕と公事方勘定奉行への報告を命じる触れをだす。
8月18日−側用人田沼意次が老中格に,西の丸老中板倉勝清が本丸老中となる。
8月26日−午後2時ころから大風が吹き,多数の家屋が倒壊,深川三十三間堂も破損する。
9月13日−幕府が新真鍮銭の通用をはかるため,江戸から諸国への銭の輸送制限をとく。
9月−10月にかけて尾張・江戸のほか、諸国に感冒が流行する。
10月12日−世に甘藷先生とよばれた青木昆陽(72)没。
10月30日−国学の大家,賀茂真淵(73)没。
12月27日−天文方佐々木親子にかねて命じられていた暦書が完成し、
「修正宝暦甲戌元暦」「同解義」「暦法新書続録」が献上される。
この年、
唐衣橘洲・大田南畝らが狂歌会を開く。
「名代娘六花撰」など娘評判記の刊行が流行する。
●明和7年(1770)
1月16日−外記座で福内鬼外(平賀源内)作の「神霊矢口渡」が初演される。
3月−幕府が人参座扱いの品目を増すが,中国から輸入の人参
は品が払底しているため,6月29日,その販売を中止する。
4月16日−幕府が,徒党・強訴・逃散の禁止と密告者の褒賞などについて,
諸国に高札を立てることを命じる。
4月−幕府が本多大学の願いにより,その鉄砲稽古場として
牛込肴(さかな)町の横町火除け空地200坪を預ける。
5月7日−幕府が,2年後の日光社参随行者の服装・人員について触れをだす。
6月15日−錦絵の創始などで浮世絵画法を革新した鈴木春信(46)没。
夏−諸国が旱魃に襲われる。
7月17日−幕府は,米・大豆などの年貢を貨幣で納める石代納の換算相場
を個人的にたてる者がいるため,勘定所書出しにもとづく幕府相場に任せるよう厳命する。
11月17日−将軍家治が碁・将棋の家元らを招き,幕府役人との対局を上覧する。
この年、
会話文体による小説的構成の「遊子方言(ゆうしほうげん)」が刊行され,以降の
洒落本の定型がつくられる。
●明和8年(1771)
3月4日−杉田玄白・前野良沢らが千住小塚原で死体解剖を観察する。
4月5日−前年夏の干ぱつによる年貢収納減のため,幕府がむこう5か年間の倹約を命じる。
5月20日−幕府は,農民が大挙して江戸の領主屋敷へ門訴するこ
とを厳禁し,首謀者にたいする遠島などの刑罰を定める。
10月−国学者,本居宣長が「直毘霊(なおびのみたま)」を著し,日本古来の姿への復帰を説く。
升屋宗八が深川に高級料理店「枡屋」を開く。
●安永元年(1772)
1月15日−田沼意次が老中に就任する。
1月−江戸質屋仲間の結成が許され、新規の質屋営業が禁止される。
2月29日−目黒行人坂・大円寺より出火、江戸の1/3を灰にし、明暦の大火以来の大惨事となる。
4月23日−幕府が,密貿易横行のため、各地への漂着船検査など厳重な取り締まりを命じる。
6月7日−幕府が2月の大火の類焼地再建にあたり,防火のため屋
根を瓦葺き・蠣殻(かきがら)葺きとするよう命じる。
9月7日−幕府が新たに南錬鐐二朱銀を発行する。
9月25日−銭の鋳造許可出願が相つぎ、幕府は金座と銀座以外での鋳銭を禁じる。
秋−7月に九州,8月初旬に江戸から東海地方,下旬に瀬戸内から近畿が大風雨に襲われる。
11月16日−2月の江戸の大火,夏以降の天災などにより,幕府が人心一新のため改元を実施する。
12月−幕府が、11カ国朝鮮種人参売り広め人として,前年許可の2
名のほかに,江戸町人4名・大坂町人1名を加える。
12月−幕府が刑罰について、15歳未満の幼少者にも敲(たたき)を認める。
この年、
御家人木室卯雲(きむろぼううん)の「鹿の子餅」が刊行され,関西の軽口(かるくち)
本から脱却した江戸小噺本の体裁ができる。
●安永2年(1773)
1月−建部綾足(たけべあやたり)の「本朝水滸伝」前編が刊行される。
2月17日−歌舞伎の舞台装置と脚本執筆に活躍した並木正三(しょうざ=44)没。
4月−幕府が菱垣廻船問屋株9軒を公認する。
4月−諸国で疫病が大流行する。
6月21日−幕府が薪炭高値のため,高値取引をする者の名前書き出しを命じて
引き下げをはかる。9月,その徹底のため,薪炭ともに仲買組合15組を結成させる。
6月−木内石亭の「雲根志」前編が刊行される。
7月−洒落本「当世風俗通」が刊行される。
9月25日−「万病一毒説」を唱えた医者の吉益東洞(72)没。
9月−前年からの銭相場安値と物価高が改善されないため,幕府は,鋳銭額を滅らして
銭相場を高値に導き,諸物価の引き下げをはかる。
10月23日−幕府が各地神事での素人相僕の木戸銭徴収横行をとがめ、
職業相撲以外の木戸銭を禁じる。
●安永3年(1774)
1月17日−幕府がこの年豊作の場合、1万石につき1,000俵の囲い籾(もみ)と
江戸廻米の2分減額を実施するとの触れをだす。
1月19日−幕府が,施しや止宿を強要する虚無僧風の者の取り締まりを村々に命じる。
3月30日−幕府が,諸大名の留守居役らに茶屋での寄合いを禁じる。
8月11日−新内節で一世を風靡した鶴賀新内(62)没。
8月−前野良沢、杉田玄白らが「解体新書」を刊行する。
8月−本木良永が「転地二球用法」を完成する。
9月5日−幕府が、銭相場安値による米価下落・物価高騰を是正するため,
江戸・伏見での鉄銭鋳造を停止し、真鍮銭の鋳造高を半減する。
9月−幕府が諸藩銀札の新規発行を禁止する。
10月17日−隅田川に大川橋(吾妻橋)が架設される。
10月28日−幕府が,関八州・伊豆・甲斐の村々へ、村内を徘徊
する浪人風の者など,施し・止宿を強要する者の逮捕を命じる。
10月29日−幕府が,大名の持物や供の者の服装などについて制限を加える。
●安永4年(1775)
1月−恋川春町の「金々先生栄花夢」が刊行される(黄表紙の始め)。
2月18日−幕府が,東国で使用を定めた守随秤(しゅずいはかり)以外のものが
使用・売買されているため,役人を廻国させて秤の検査を行うことを命じる。
5月28日−近年、女関所手形証明がずさんになっているため,幕府が女性の身分の証明者に
ついてとり決め,触れをだす。
6月8日−幕府が、新たに関東綿実仲買として江戸に10軒,村々に40軒を定め,
他への脇売りを禁止する。
6月−専売品である銀の個人的売買がやまないため、幕府が銀座および下買人を
通しての取引をふたたび通達し,京都箔方職人のみ銀箔打ちを許可する。
閏12月26日−幕府が、脇道である山崎路を西国大名の参勤交代路として使用することを禁じる。
この年、蕉門十哲の一人,向井去来の著作「去来抄」が刊行される。
哲学者三浦梅園が「玄語」を著す。
●安永5年(1776)
2月29日−幕府が、江戸樽屋の印のない枡(ます)が横行しているため,枡改め人の東国廻国を命じる。
3月13日−幕府が諸家行列による往来渋滞を緩和するため,石
高・身分などに応じた供回りの人数を定める。
3月23日−幕府医官で本草学者,朝鮮種人参の栽培にも功があった田村藍水(らんすい=59)没。
4月1日−蘭医の桂川甫周が江戸に参府した植物学者ツンベリーを訪ねる。
4月13日−将軍家治が日光社参のため江戸を出立する。
4月13日−文人画を大成した池大雅(54)没。
4月−6月にかけて諸国に麻疹(はしか)が流行する。
10月10日−国学者の谷川士清(ことすが=68)没。
11月5日−幕府が、検校(けんぎょう)の支配に属さない盲人が多いため,一部の例
外を除き,盲人は出身・仕官の別なくすべて検校の支配と通達する。
11月−平賀源内がエレキテルを製作する。
八文舎自笑が「役者論語」を編集・刊行する。
●安永6年(1777)
5月23日−幕府が,村々からの出稼ぎ人を制限するよう触れをだす。
6月10日−賀茂真淵門弟の国学者・歌人で幕府大番士・加藤宇万伎(うまき=57)没。
8月23日−幕府が,西国での神(じん)善四郎判の秤の統一使用を厳命する。
9月7日−幕府が,米相場上昇により幕府領の囲い米制を停止し,大名も任意とする。
9月10日−幕府が強訴・徒党・逃散の禁止および罰則についての法令を諸
領主へ送り、高札場・村役人門前などへの張り出しと農民への毎月の講読を命じる。
幕府が清から「古今図書集成」5,200巻を輸入する。
「江戸じまん評判記」など,江戸名物を並べた評判記が多数刊行される。
初代富本豊前太夫の子が2代目を襲名する。
●安永7年(1778)
2月12日−日本橋より出火し、大火となり,とくに佃島に大きな被害がでる。
4月3日−幕府が,無宿者の佐渡送りの手続きについて触れをだし、
8日には江戸と近国の無宿者の取り締まりを厳命する。
5月19日−近年、傷がついたり量目の滅った金が通用しないため,幕府
が交換・売買を拒む者の取り締まりを命じ、通用をはかる。
閏7月19日−幕府が,武蔵と西国の43か国への朝鮮種人参売り広め人と
して,江戸・京都の5人を指定する。
8月12日−西国で福井作左衛門判の枡(ます)への統一を促進するため、
幕府が,枡改め人を廻国させることを発表する。
高利貸の烏山検校ら10人が不法貸付などで捕らえられる。
●安永8年(1779)
1月30日−幕府が,南鐐二朱銀のみ使用して小判・小粒金をため込むこ
とを禁じ、金銀まぜて使用するよう命じる。
春−長久保赤水が「改正日本輿地路程全図」を刊行する。
4月−全国的に異常寒波に襲われ,各地で大雪が降る。
10月2日−画家皆川淇園(きえん)の実弟で国学者の富士谷成章(なりあきら=42)没。
12月18日−平賀源内が獄死する。
塙保己一らが史料集「群書類従」の編纂を開始する。
●安永9年(1780)
4月−幕府が、江戸府内質屋組合の人数を決定して取り締まり方を申しつける。
5月19日−幕府が、江戸城の出火に備えて詰める城番役を創始する。
6月10日−幕府が、公用における人馬使用規定を定め、みだりに調達することを禁じる。
8月28日−幕府が鉄座・真鍮座を創設し、鉄座は大坂に新設、真鍮座は江戸・大坂・京都の
銀座扱いとし、専売方法を通達する。
8月−秋里籬島作・竹原春潮斎画の「都名所図会」が刊行され、ベストセラーとなる。
11月22日−本居宣長が、市川匡麿への反批判書として「葛花」を著す。