文化・文政年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●文化2年(1805)
●文化3年(1806)
●文化4年(1807)
●文化5年(1808)
●文化6年(1809)
●文化7年(1810)
●文化8年(1811)
●文化9年(1812)
●文化10年(1813)
●文化11年(1814)
●文化12年(1815)
●文化13年(1816)
●文化14年(1817)
●文政元年(1818)
●文政2年(1819)
●文政3年(1820)
●文政4年(1821)
●文政5年(1822)
●文政6年(1823)
●文政7年(1824)
●文政8年(1825)
●文政9年(1826)
●文政10年(1827)
●文政11年(1828)
●文政12年(1829)
●文化元年(1804)
1月1日−寛政暦を完成させた天文学者、高橋至時(よしとき=41)没(4月3日・子の景保
[かげやす]が天文方となる)。
2月5日−儒者中井竹山(75)没。
3月−鍬形恵斎画の「近世職人尽絵詞」上巻ができる(翌文化2年3月15日・中巻完成)。
5月17日−幕府が一枚絵・絵草子刊行に関する取り締まりを強化し、喜多川歌麿が
絵本太閤記」の挿絵で処罰される。
7月3日−4代目鶴屋南北の「天竺徳兵衛韓噺」が河原崎座で初演される。
7月23日−幕府が、いたずらに国政を論じたとして小普請植崎九八郎政由(まさよし)を処罰する。
9月−町人の武芸稽古が禁止される。
9月−幕府が、豊作のため、1万石につき1,000俵の備荒貯蓄用の囲米およぴ江戸への
廻米の2分滅を命じる。
11月21日−当年期限の倹約令がさらに7年間延長される。
12月−輪出用の海産物調査のため、最上徳内らが関東・東海各地の浦を回る。
この年、
幕府の刑事判例集「御仕置例類集」古類集が編纂される。
最上徳内の「度量衡説統」が刊行される。
谷文晁画「名山図譜(のち日本名山図会)」が刊行される。
1月11日−め組鳶の者と関取四ツ車大八が芝神明社の境内で喧嘩をする。
1月26日−幕府が、ロシア船来航に備え,沿岸諸大名に警戒を命じる。
2月−幕府が、唐物抜荷を固く禁止し,不審荷物・船舶の検査を強化する。
2月−伊能忠敬が幕命で伊勢・紀伊・山陽・山陰各地の沿岸の測量に向かう。
3月7日−幕府が、目付遠山景晋(かげくに)を長崎に派遣し、前年来航したレザノフの通商要求を
拒絶させる(19日レザノフ長崎退去)。
5月9日−幕府が、銀座以外で灰吹銀・潰銀を売買すること、京都以外の職人が
銀箔を製造することを禁止する。
5月−農民に、武芸積古・江戸町方火消人足の風体のまねを禁止する。
6月−関東取締出役(八州廻り)の職を設置する。
夏−江戸、千ぱつとなる。
9月−幕府が女浄瑠璃を禁止する。
9月−豊作により、諸国大名に高1万石につき籾1,000俵を貯蔵させ、江戸廻米を2割滅らす。
10月−元与力加藤千蔭が「万葉集略解」を幕府に献上する。
11月3日−米価が低落したため,幕府が町人に官金を貸与して米穀を買い上げさせる。
11月19日−若年寄立花種周(たねちか)が、秘事漏洩のため,役職を免じられる。
11月−畿内6か所の繰綿問屋57軒と江戸の繰綿問屋62軒が協定し、関東・奥羽へ送る荷物の
独占を申し合わせる。
1月26日−幕府が,ロシア船来着のさいの取扱令を出す(文化の撫恤(ぶじゅつ)令,薪炭給与令)。
1月30日−関東郡代を廃止し馬喰町御用屋敷詰代官役所をおく。
1月−山東京伝作・歌川豊国画「桜姫全伝曙草紙」が刊行される。
2月−米価が下落したため,関八州・陸奥の白米を江戸へ送ることが禁止される。
3月4日−芝車町からの出火で,530余町が焼け,死者1,200人余が出る(丙寅の大火)。
3月−さきの大火で白米が払底したため,幕府が地方からの白米買い上げを命じる。
3月−幕府が市中に御救小屋を設置し,窮民に施米する。
5月25日−松平信明(にぶあきら)が老中に再任され,首座となる。
7月8日−天文学者・オランダ通詞の志筑(しづき)忠雄(47)没。
9月20日−浮世絵師喜多川歌麿(54)没。
9月22日−米価が下落したため,酒造量の制限を解除する。
10月11日−幕府が臨時支出が増大したため,3年間の倹約を命じ、その間は,幕府や諸大名からの
貸付金を許可しないこととする。
10月12日−若年寄松平乗保(のりやす)が大坂城代,水野忠成(ただあきら)が若年寄となる。
10月14日−米価の下落により,米を買い土げ,江戸町人にも買持米を命じる。
10月−幕府が江戸町人およぴ幕府領の農民に御用金を課す。
11月23日−将軍家斉が琉球使節を引見する。
11月−江戸・大坂で裕福な商人に米の買い上げを命じる。
12月16日−「藩翰譜(はんかんふ)」につづく,各大名の年譜「続藩翰譜」の編集が終わる。
冬−「五海道其外分間延絵図」が道中奉行所により完成する。
この年、
式亭三馬の「雷太郎強悪物語」が刊行される(合巻の初め)。
山東京伝作・歌川豊国画「昔語稲妻表紙」が刊行される。
1月−曲亭馬琴作・葛飾北斎画の「椿説弓張月」前編が刊行される。
5月16日−儒者皆川棋淇園(きえん=74)没。
8月19日−深川富岡八幡祭の人出で氷代橋が落ち、多数の死者を出す。
9月18日−幕府が、絵入読本改掛(あらためかかり)名主を設置する。
12月1日−寛政の3博士の一人柴野栗山(りつざん=72)没。
12月4日−幕府が、天文方高橋景保に洋書による万国地図の作成を命じる。
この年、
蘭方医杉田玄白が「野叟(やそう)独語」を著す。
山東京伝作・歌川豊国画「於六櫛(おろくぐし)木曽仇討」が刊行される。
1月−江戸とその近隣諸国に50年来の大雪が降る。
1月−伊能忠敬が、幕命で畿内・四国沿岸の側量に出発する。
2月2日−歌舞伎台本作者、初代並木五瓶(62)没。
2月6日−幕府が、本木正栄(まさひで)ら長崎通詞6人にオランダ商館長ズーフのもとで
フランス語を学ぱせる。
3月29日−幕府が、朝鮮使節応接費用を調達するため、以後5年間、臨時賦役の上納を諸大名に命じる。
3月日−幕府が、オランダ通詞馬場佐十郎を天文方に任命し、「万国全図」の補訂作業を命じる。
3月−銅版画家亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)が、「医範提綱」(宇田川玄真訳撰)の付図として
銅版解剖図を刊行する。
4月7日−幕府が、ロシア人の択捉島上陸事件の処置の不始末につき、松前奉行戸川安論(やすとき)を罷免する。
6月−関東の長雨・洪水により、米価が高騰。幕府が窮民を救済し、旗本に惜米を許可する。
夏−蒲生君平が、荒廃した歴代天皇陵を調査した「山陵志」を刊行。
9月2日−歌人・国学者加藤千蔭(74)没。
10月2日−幕府が、米価騰貴により米穀の払い下げを行う。
この年、
司馬江漢が「刻白爾天文図解」を刊行し、地動説を紹介する。
農政学者佐藤信淵(のぶひろ)が「西洋列国史略」を著す。
上田秋成が、評伝的随筆「胆大小心録」を著す。
1月1日−日本橋で出火し、本所に飛火、大火となる。
1月12日−画僧月僊(げっせん=69)没。
1月−式亭三馬の「浮世風呂」前編が刊行される(4年後完結)。
2月−菱垣廻船積仲間十組問屋が大川筋の3橋の普請を引き受け、三橋会所の設立の許可を幕府から得る。
6月21日−蘭方医で幕府の医官桂川甫周(ほしゅう=56)没。
6月27日−上田秋成(76)没。
8月23日−江戸と周辺が暴風雨に襲われ,大災害を受ける。
8月−伊能忠敬が、幕命で九州沿岸の測量に出発する。
秋−与謝蕪村関係の俳諧選集「蕪村七部集」が刊行される。
12月−徳川家康から10代家治までを扱った徳川家の歴史書「徳川実紀」の編集を開始(1849年完成)。
この年、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」8編が完結する。
3月−天文方高橋景保が、間重富・馬場佐十郎らの協力で「万国全図」を完成する。
6月5日−1,000体以上の木彫仏を残した僧木食五行明満(93)没。
8月11日−御金改役11代後藤庄三郎らが御小普請金を使いこみ、処罰される。幕府は
後藤三右衛門を後任にする。
8月−洋画家・思想家の司馬江漢が「独笑妄言」を著す。
10月−豊作のため、幕府が諸大名に1万石あたり非常用囲籾(かこいもみ)1,000俵(囲米ならば500俵)を命じる。
この年、
蘭学者藤林普山(ふざん)の蘭日辞書「訳鍵」が刊行される。
八隅蘆庵の「旅行用心集」が刊行される。
2月11日−市谷田町からの出火で赤坂・青山より芝まで延焼し、死者200人に及ぶ。
2月13日−国学者村田春侮(66)没。
2月−オランダ通詞本木正栄(まさひで)が「譜厄利亜(あんげりあ)言語和解」を著す。
3月−間宮林蔵の北方地理誌「東韃(とうたつ)地方紀行」が刊行される。
3月−鳥亭(立川)焉馬の「花江都歌舞妓年代記」が刊行される。
5月−天文方に蛮書和解御用掛が設けられ、馬場佐十郎らがフランスの家庭百科事典のオランダ語
からの重訳「厚生新編」の翻訳を開始する。
5月−式亭三馬の滑稽本「浮世床」初編が刊行される。
5月−幕府が谷中感応寺の博変の一種である影富(かげとみ)を禁止する。
7月17日−画家松村月渓(呉春、60)没。
8月−幕府が入れ墨を禁止する。
11月−伊能忠敬が幕命で屋久島・種子島・九州北部の測量に出発する。
12月15日−幕府が、翌年から新たに5カ年の倹約を命じ、その期間中の拝借金(幕府からの恩貸金)
を禁止する。
12月18日−諸国河川の自普請を奨励し、幕府が賦課する国役普請出願を制限する。
三橋(さんきょう)会所が、米価引き上げのため江戸・大坂で大量の買米を行う。
力士雷電為右衛門が引退する。
1月−幕府が、前年12月の倹約令に従い諸経費の2割以上を節約させる。
4月−白河藩主松平定信が役職から隠退し、楽翁と号する。
6月24日−幕府が、集団で村々をうろつく浪人をきぴしく取り締まる。
9月−幕府が、不正の無尽・頼母子講を禁止する。
9月−幕府が、組合仲間以外からの古鉄買いを禁止し、買い入れの規則を守るよう命じる。
9月−幕府が、普請費用倹約のため関東の諸河川に自普請を奨励する。
10月−豊作のため、幕府が諸大名に江戸・大坂への廻米を例年より2割減少させる。
11月−幕府が、真鍮製造所を江戸・京都・大坂・山城国伏見の4か所にかぎり、
大坂銅座以外での諸国真鍮地金・荒鉛の売買を禁止する。
12月−若年寄堀田正敦(まさあつ)の建議で編纂を始めた、大名・旗本らの
系譜「寛政重修(ちょうしゅう)諸家譜」1,530巻が売成する。
3月5日−4代目鶴屋南北作の「お染久松色読販(うきなのよみうり)」が森田座で初演される。
3月28日−幕府が,菱垣廻船積問屋仲間65組1,995株の株札を交付して、以後の新規加入を禁止する。
4月−幕府が、伊勢町に米会所を設置し、120人に株札を免許する。
5月20日−戯作者・狂歌帥朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ=手柄岡持、79)没。
6月−関東諸国の幕府直轄林の木材価格が定められる。
7月5日−尊王家で寛政の三奇人の一人、蒲生君平(46)没。
7月−米価が下落したため、幕府が諸大名に大坂廻米量の半分を領地て囲籾(かこいもみ=非常用の
貯蔵粧)とするように命じる。
7月−幕府が、米価引き上げのため、鴻池善右衛門ら有力町人41人に御用金を命じる。
9月−銭相場が下落したため、銭の江戸回送を厳禁する。
秋−「都風俗化粧伝」出版。
冬−経世家海保青陵が「稽古談」を著す。
2月3日−天文方高橋景保(かげやす)が書物奉行兼任となる。
5月−幕府が、咄(はなし)の会を禁止する。
6月−幕府が、唐薬・和薬ともに本町3丁目薬種問屋・大伝馬町組薬種屋以外、直取引を禁止する。
7月−徳本上人が小石川伝通院で人々に十念を授け、参詣人が多く集まる。
9月−地理学者伊能忠敬が「沿海実測全図」を完成する。
11月−曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」第1集が刊行される。
11月−富本斎宮太夫(初代清元延寿太夫)が市村座に出演し、清元節を興す。
12月−鉛の価格が下落したため、諸国荒鉛の大坂銅座買い上げをやめて、売買を自由にする。
この年、葛飾北斎の「北斎漫画」初編が刊行される。
1月−幕府が、諸国の荒鉛の大坂銅座買い上げを廃止する。
2月17日−座頭金(ざとうがね)などの高利の全融の不正を取り締まる。
3月−司馬江漢の長崎紀行「江漢西遊日記」ができる。
4月−杉田玄白が「蘭学事始」を著す。
6月5日−浮世絵師鳥居清長(64)没。
8月−散逸していた「類聚国史」(892年菅原道真編)を仙石政和がまとめて出版する。
9月−幕府が,日光社参のため国役(くにやく)金(臨時の賦課)を関東・東海諸国に命じ、
以後5年間の1年ごとの上納金を定める。
9月−幕府が、諸大名に大坂廻米の2割削減を命じる。
12月−幕府が、武家屋敷での博変を禁止する。
1月16日−幕府が,諸国の人口調査を行う。
2月−文化11年(1814)禁止された咄の会が、落語・昔物語は忠孝を説くという条件つきで許可される。
4月−司馬江漠の「天地理談」が刊行される。
9月7日−戯作者・浮世絵師山東京伝(56)没。
9月−幕府が年貢の不足米を正米(しょうまい=実物)で納めるよう幕府領の各村に命じる。
12月4日−文化10年(1813)に遭難した尾張国名古屋の督乗丸船頭らが、江戸へ帰還する。
12月18日−幕府が、文化9年(1812)以来の倹約令年限が終了したことを大名・旗本に通達する。
本草学者岩崎灌園(かんえん)が、「救荒本草通解」を著す。
1月−幕府が文化9年(1812)に発令した倹約令の期限終了時にあたり、諸大名に以後も諸経費の
節約を命じる。
3月23日−両国柳橋の万八楼で大酒大食の会が催される。
4月17日−蘭学者の杉田玄白(85)没。
5月3日−儒学者で寛政の三博士のひとり古賀精里(せいり=68)没。
5月29日−経世家海保青陵(63)没。
8月29日−老中首座の松平信明(55)没。
9月10日−奏者番(そうじゃばん)水野忠邦が寺社奉行を兼務する。
秋−画家石崎融思が「ブロンホフ家族図」を描く。
11月−幕府の右筆である国学者屋代弘賢(ひろかた)が、諸国に風俗問状を発し、諸国古来の風俗を問う。
深川芸者が帯の太鼓結ぴを始め、流行する。
女流文学者只野真葛が「独考」を著す(1819、曲亭馬琴に送る)。
1月−幕府が塙保己一に和学講談所勤務を命じる。
1月−岩崎灌園(かんえん)が「草木育種」を刊行する。
2月15日−幕府が、京都定職以外の銀箔製造を禁じ、江戸呉服町に京都銀箔所を再建する。
3月7日−3代目尾上菊五郎が、清元「保名(やすな)」(篠田金治作詞)を都座で初演する。
4月13日−伊能忠敬(74)没。
4月16日−幕府が、真文二分判金を発行する(文政期の貨幣悪鋳の始まり)。
6月−蘭学者大槻玄沢らが連署して、西洋新薬をオランダに注文することを幕府へ建議する。
7月−画家亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)が、油絵の具の製法を門人に伝える。
10月17日−浅草寺法善院より出火し、本所・深川、さらに砂村まで延焼する。
10月21日−洋風画家司馬江漢(72)没。
12月−幕府が、みだりに本田畑に甘藷をつくることを禁止する。
この年、幕府が地図上で江戸城を中心に朱引きの範囲を定め、御府内とする。
農学者大蔵永常が「老農茶話」を刊行する。
大田南畝が狂歌狂文集「万紫千紅」「蜀山百首」を刊行する。
渡辺崋山が「一掃百態」を売成する。
3月20日−渡辺崋山が日本橋百川(ももかわ)楼で書画会を開く。
3月−幕府が、飛騨国森部(もりぶ)蔵柱金山,和佐保・三ツ谷銅山の経営を試みる。
閏4月23日−幕府が,江戸・京都・大坂・伏見以外の真鍮製造禁止をやめ,各地での自由製造を許す。
6月25日−幕府が三橋会所頭取杉本茂十郎を罷免し、三橋会所・伊勢町米会所を廃止する。
6月−幕府が本船町の油会所を廃止する。
7月8日−幕府が、米価下落のため全国に諸物価引き下げを命じる。
7月−小判一分判を改鋳し、草文小判・草文一分判が鋳造される。
9月−米価の下落により蔵米取りを救済するため、冬季給金が張紙値段(公定値段)100俵につき5両増で
渡されることとなる。
10月26日−浮世絵帥勝川春英(58)没。
10月−幕府が、伊豆諸島の産物交易を江戸鉄砲洲の島会所扱いとする。
この年、
塙保己一が編纂した「群書類従」正編の刊行が完結する。
小林一茶の随筆・発句集「おらが春」ができる。
1月21日−浮世絵師、北尾派の祖北尾重政(82)没。
1月−亀戸天満宮の鷽替(うそかえ)神事が始まる。
4月26日−幕府が,金箔・下金(したがね)類の取り扱いを御金改役後藤三右衛門の一手引き受けとし,
金座以外での取引を禁止する。
4月−幕府が1813年9月からの大坂商人の買米の制限をやめる。
6月28日−幕府が,草文丁銀(ちょうぎん)・小玉(豆板)銀を新鋳する(7.20通用開始)。
6月−幕府が,江戸の砂糖問屋株(1808年発足)と大坂の江戸積砂糖仲間を禁止し、自由取引とする。
7月27日−幕府が大砲・昼夜合図の火術練習を佃島沖で行う。
8月−町人学者山片幡桃が「夢の代」を完成する。
9月−幕府が、前薩摩藩主島津重豪(しげひで)の治績を賞する。
10月8日−幕府が倹約令を文政4年(1821)よリ3年間延長する。
10月11日−幕府が、書画・活花・詩歌などの芸名披露の集会などを取り締まるよう命令する。
10月17日−書物奉行兼天文方高橋景保が、翻訳・編集した満州語辞典「増訂満文輯韻」を幕府に
献上し,褒賞を受ける。
12月22日−開国・貿易と北防の急務を主張した経世家本多利明(78)没。
12月−幕府が、大名・旗本が領地転換をみだりに願い出ることを禁止する。
この年、
滝亭鯉丈の「花暦八笑人」初編が刊行される(1849完結)。
大田南畝の随筆「一話一言」ができる。
宇田川玄真が「和蘭薬鏡」を訳し、刊行する。
2月28日−町人学者山片幡桃(74)没。
2月30日−幕府が、風邪の大流行で、御目見以下3万5,000余人に薬を、窮民30万人に
銭7万5,000余貫を与える。
3月15日−深川永代寺における成田不動尊開帳で、唐人踊り(看看踊り)の見世物が評判となる
(1822.2月、唐人踊りが市中の流行となり禁止)。
4月24日−幕府が、暦書・天文書・オランダ翻訳書の出版はすべて町年寄奈良屋市右衛門へ届け出て、
江戸町奉行所の許可を得るよう命じる。
4月−幕府は,銀座以外での銀の売買およぴ民間でみだりに銀を使用することを禁止する。
5月−幕府が,古金銀と新金銀の引き替えを督促する。
7月10日−日本初の実測地図「大日本沿海輿地全図」と「大日本沿海実側録」が完成し,
幕府へ献上される。
9月12日−幕府が、徴禄の堂上方(どうじょうがた=昇殿を許される位の者)ヘ金25両を貸与する。
9月12日−国学者塙保己一(76)没。
為永春水・滝亭鯉丈(りょうていりじょう)、歌川国直・渓斎英泉(けいさいえいせん)画の人情本
「明鳥後正夢」初〜3編が刊行される(1824完結)。
1月−科学者宇田川榕庵(ようあん)が体系的植物学を日本に最初に紹介した「菩多尼詞経(ぼたにかきょう)」を刊行する。
閏1月6日−戯作者式亭三馬(47)没。
2月16日−幕府が、全国の人口を調査。
2月−八百善主人栗原善四郎著「江戸流行料理通」初編が刊行される(翌年完結)。
5月7日−銅版画家亜欧堂田善(あおうどうでんぜん・75)没。
6月2日−狂歌師・戯作者烏亭焉馬(うていえんば=80)没。
8月17日−幕府が、流行の投扇の遊ぴを賭事として禁止する。
8月−幕府が、水油高値により大坂油問屋以外への売買を禁止する。
8月−塙保己一編の「続群書類従」が完成する。
8月−西国で10月にかけてコレラが流行(日本最初のコレラ流行)。
11月27日−玉露童女(6)没。
12月16日−佐藤信淵の「経済要略」ができる。
国学者本居宣長の古事記注釈書「古事記伝」の刊行が終了する。
農学者大蔵永常の「農具便利論」が刊行される。
幕臣松田伝十郎が、間宮林蔵とともに樺太を探検したときの記録「北夷談」を著す。
十返舎一九の「続膝栗毛」12編が完結する。
3月24日−松平定永・松平忠尭・阿部正権の三方領地替を行い,松平定永の海岸警備を免除する。
4月6日−狂歌師・戯作者大田南畝(蜀山人・75)没。
4月14日−幕府が、道中通日雇(どうちゅうかよいひよう=旅行のさいの人足)宿を営む者を六組飛脚問屋仲間に加入させる。
4月22日−西の丸書院番松平外記(げき)が、江戸城中で本多伊織らを斬り、自殺する。
9月−幕府がさらに5年間の倹約令を出す。
10月−幕府が民間での暦の作成を禁止する。
11月−幕府がオランダ翻訳物の出版統制を強化する。
儒学者青山延于(のぶゆき=拙斎)が神武天皇から後小松天皇までの歴史書「皇朝史略」を漢文休で著す。
2月3日−幕府が、南鐐二朱銀の改鋳を命じ(文政二朱銀)、3月から通用を始める。
3月22日−「近世職人尽絵詞」などを描いた浮世絵師鍬形寫ヨ(けいさい=北尾政美[まさよし]64)没。
5月18日−幕府が、一朱金の新鋳を命じ(文政一朱金。江戸時代の金貨のうち最悪質なもの)、
7月から通用を開始する。
8月14日−関東・東北大風雨による大洪水。江戸では隅田川の出水で永代橋が破損し、本所・深川が浸水する。
閏8月9日−両国で、らくだ2頭が見世物となる。
9月19日−天文方足立佐内が「魯西亜学筌(ろしあがくせん)」を翻訳し、幕府に献上する。
9月−国学者平田篤胤の「古道大意」が刊行される。
儒学者佐藤一斎が、「言志四録」の1巻「言志録」を刊行する。
中沢道二(どうに)の道話(心学)を編集した「道二翁道話」が刊行される。
この頃、両国の花屋与兵衛がにぎり鮨を創案する。
1月7日−浮世絵師初代歌川豊国(57)没。
2月18日−幕府が、諸大名に異国船打払令を出す(無二念打払令)。
3月−幕府が市中の竹木薪炭問屋を524人に限定し、勝手な売買を禁止する。
4月23日−儒学者太田錦城(61)没。
5月26日−清元延寿太夫(49)が刺殺される。
7月26日−4代目鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が、初演される。
7月−幕府が、新金銀の引き換えが進まないため、古金銀の通用期限を翌文政9年2月まで延長する。
11月−諸国凶作のため、将軍家斉の日光社参が再度延期される。
12月29日−幕府が酒株を所有しない者、所有していても1807年以後休株・無営業である者の
酒造を禁止する(文政10年解除)。
12月−蘭学者青地林宗が日本最初の物理学書「気海観瀾」をまとめる(文政10年刊行)。
滝沢馬琴の合巻「傾城水滸伝」初編が刊行される。
国学者本居宣長の神道書「直毘霊(なおびのみたま)」が刊行される。
この頃、上方風に襟首に白粉を厚く塗る女性の化粧が流行する。
2月−幕府が、古金銀の適用期限をさらに延長する。
3月25日−ドイツ人医師シーボルトが、オランダ商館長の将軍謁見に随行する。
4月9日−天文方高橋景保が、日本地図を持参してシーボルトを訪問し、外国書との交換を約束する。
5月−夜間、市中が物騒なため、幕府が火付盗賊改めに強盗・殺人見回りを強化するよう命じる。
6月16日−幕府が、武士が武家屋敷を町人に貸して利を得ることを禁止する。
7月21日−幕府が、市中の夜間警備強化の扶持として、57カ町の居住地主・名主に1,840両を交付する。
7月−青地林宗(りんそう)が世界各国地誌の大要を翻訳した「輿地(よち)志略」を完成する。
9月8日−大槻玄択増補訳「重訂解体新書」が刊行される。
9月28日−幕府が、関東の無宿人・農民・町人が長脇差を携帯することを禁止する。
10月6日−近藤守重(重蔵)が子富蔵の殺人事件に連座し、近江大溝藩に預けとなる。
12月4日−尾張藩が江戸に米立会所を設立する。
12月−儒学者岩垣松苗が編纂した、神代から1588年までの漢文編年体史書「国史略」が刊行される。
1月1日−幕府が、市中の消防に備え、竜吐水・水鉄砲を備え付けさせる。
1月−岡山鳥(さんちょう)作・長谷川雪旦(せったん)画「江戸名所花暦」が刊行される。
3月18日−将軍家斉が太政大臣に任命される。
3月30日−蘭学者大槻玄沢(71)没。
3月−産業振興・官営商業・貿易展開を説いた佐藤信淵(のぶひろ)の経世論「経済妻録」ができる。
5月21日−頼山陽が江戸で「日本外史」を完成し、松平定信に贈呈する(2年後刊行)。
5月26日−江戸・幕府が、衣服華美の禁を犯した芸妓ら22人を処罰する。
7月29日−幕府が、婦女と医師以外の日傘の使用を禁止する。
9月−前薩摩藩主島津重豪(しげひで)が、高輪の藩邸蓬山園内に聚珍宝庫(博物館)を設置する。
10月27日−幕府が、江戸三座の座元・役者に衣装の華美禁止・火の用心を申し渡す。
11月19日−俳人小林一茶(65)没。
11月27日−加賀藩邸の赤門(現東京大学赤門)が完成する。
2月16日−幕府が諸国に人別帳(人口調査帳)の提出を命じる。
2月−農政学者小西篤好(あつよし)が「農業余話」を刊行する。
4月−幕府が、関東諸村の組合仲間を取り締まるよう命じる。
6月−大風雨により東海・北国・西国の諸河川で洪水がおこり、被害が563万石余に及ぶ。
8月29日−江戸三座(中村座・市村座・森田座)の座元が、町奉行所に「三座永続願」を提出し、
役者20人を奢移僭上の罪で告発する。
10月10日−天文方兼書物奉行高橋景保らが、秘かに地図などをシーボルトに与えた罪で捕らえられる。
11月23日−幕府が、京都所司代水野忠邦を西の丸老中に任命する。
11月29日−画家・俳人酒井抱一(ほういつ=68)没。
11月−幕府が、二分判金を増鋳し,「文」の極印文字を草書に改めることとする(草文二分判)。
11月−幕府が翌文政12年から5年間の倹約を命じる。
12月−幕府が、肥前藩に秋の大雨による損害と長崎警備のため1万両を貸与する。
12月−岩崎灌園が、江戸で「本草図譜」を完成する。
この年、
全国の入口(公家・武家・陪臣を除く)は2,720万余人となる。
曲亭馬琴が読本「近世説美少年録」第1集を刊行する(未完結)。
桂園派の歌人香川景樹の歌集「桂園一枝」ができる。
1月−大奥の生活を風刺した柳亭種彦作・歌川国貞画の「偐紫田舎源氏」初編が刊行される。
3月21日−神田より出火し、日本橋・京橋の中心部を焼失する(己丑の大火)。
5月13日−寛政の改革を推進した松平定信(72)没。
6月16日−北地探検家近藤守重(重蔵,59)没。
6月24日−幕府が、南鐐一朱銀(文政一朱銀)を鋳造する(7月から通用開始)。
7月−幕府が、真文(しんぶん)二分判を草文二分判に引き替えるよう命じる。
8月−諸大名家の留守居役が茶屋などでの寄合を慎むように命じられる。
10月−植物学者伊藤圭介が訳述した「泰西本草名疏」が刊行される。
11月27日−「東海道四谷怪談」などの作者4代目鶴屋南北(75)没。
11月−旗本水野忠暁が「草木錦葉集」を刊行する。
12月5日−幕府が、キリシタン豊田貢を処罰し、キリスト教禁止を再度通達する。