Toppage | Critic | 談話室(BBS) | 図書室 | リンク | Emigrant |
THE SEVENTH EMIGRANT |
|||
沖縄を考える 沖縄で考える |
【2009.5.24】 「お客様の下記ホームページに対し、海外からの不審なFTP接続がございました。/……一部のHTMLファイルの中身(HTMLとJavaScript)が改変された模様です。/改変されたホームページを閲覧した場合、悪意のあるプログラムがインストールされ、閲覧者の方にご迷惑がかかってしまうこともございます。/つきましては、……ホームページのご利用を一旦停止させていただきました。」との事。
いつ、再開されるかわかりませんが、アップだけはします。
ということで(笑)、「沖縄タイムス2009.5.11」に載った萱野稔人のコラム。大浦作品(ヒロヒト天皇を扱った「遠近を抱えて」)を検閲−不許可にした「アトミックサンシャインin沖縄」展のクロージングシンポジウム「『お国は?』『沖縄ですが、何か?』−ネイションとアイデンティティの対話−」(2009年5月15日に開催された。)の前宣伝のもの。
どうして、こんなに浅薄・粗雑な論理がまかり通るのだろうか。萱野さん、まず、「基地平等負担」運動を始めて下さい、それからです、議論が成立するのは。単なるレッテル貼りにすぎない「無意識の植民地主義者=差別者」という「恫喝」に迎合することほど不潔なものはない。国家(批判)論者とは思えない論旨です。「基地お持ち帰り運動」をしているとは思えない米国人/日本人の存在は、決して恣意的に裁断して済まないのに。
閑話休題。風游子は、彼女の脇の甘さも含めて上野ファンを自認しているが、彼女が「国民国家を超えるとはどういうことかという問題についてあまり深くは考えていない」と言い切る大胆さには驚かされた。
シンポジウム<「お国は?」「沖縄ですが、何か?」>に寄せて 萱野 稔人(津田塾大学准教授) ポスト国民国家を探る 過剰・安易な期待に危うさ 15日に県立博物館・美術館でネイションとアイデンティティーの問題をめぐるシンポジウムが開かれる。私も登壇者として参加させていただくことになった。おそらくシンポジウムでは反復帰論の可能性をどう考えるかということも議論になるだろう。反復帰論のいくつかは、日本という国民国家へと沖縄が統合されることに異議を唱えるなかで、国民国家という政治システムそのものへの批判を深めていったからだ。 そうした反復帰論のなかでも、川満信一さんの「琉球共和社会憲法C私(試)案」はとりわけ評価が高い。たとえば上野千鶴子さんはこの草案の第11条を引いて「おどろくべきポスト国民国家の思想」がそこには表明されていると評価した。また西川長夫さんもこの憲法草案が引いて、沖縄のクレオール性が国民国家を超える可能性をもつことを論じている。 私もこの川満さんの憲法草案が、沖縄の歴史的経験から生まれた稀有な反国民国家の思想となっていることは確かだと思う。しかし私はそこに、国民国家を超える可能性を過剰に、そして安易に読み込むには慎重でなくてはならないとも思う。なぜか。理由は2つある。 ひとつは、川満の憲法草案に自らのポスト国民国家への思いを重ね合わせる論者たちが、その反面、国民国家を超えるとはどういうことかという問題についてあまり深くは考えていないからだ。たとえば上野さんが引く第11条は、琉球共和社会の人民たる資格をこう規定している。「琉球共和社会の人民は、……この憲法の基本理念に賛同し、遵守する意志のあるものは人種、民族、性別、国籍のいかんを問わず、その所在地において資格を認められる」と。 しかし、たとえ人種や民族、性別や国籍を問われないとしても、言語の共通性という問題はどうしても残る。ひとつの政治共同体が多数の人間によって設立・運営されるためには、少なくともある程度の言語の共通性を前提とせざるをえない。ドイツの哲学者フィヒテは言語の同一性(アイデンティティー)こそ国民国家をなりたたせる最重要な要素だと述べたが、人種や民族の制限を取り払ったとしてもその要素はけっして消えないのである。 もうひとつの理由は、日本本土の知識人が国民国家を超えるという理想を(それが具体的にどのような内実をもつのか示すことなく)沖縄に投影することの危うさにある。沖縄はなぜ、内実もよくわからないポスト国民国家として独立することを期待されなくてはならないのだろうか。沖縄が独立を目指すとしても、それは日本本土の進歩的知識人の理想を実現するためではないだろう。彼ら知識人は沖縄が国民国家として独立したら、そのことをもって独立に反対するのだろうか。私は、ポスト国民国家の理想を一方的に投影することで沖縄が現に直面している問題をあいまいにするより、たとえば米軍基地をまず日本全土で平等に負担することを考えるほうが、本土の知識人として沖縄と対等に向き合う態度だと思う。 ◇ ◇ 「アトミックサンシャインin沖縄」展のクロージングシンポジウム「『お国は?』『沖縄ですが、何か?』−ネイションとアイデンティティの対話−」は、15日午後7時から、県立博物館・美術館3階講堂で萱野稔人、知念ウシ、渡辺真也、前嵩西一馬の4氏が登場。(沖縄タイムス2009.5.11) |
||
このシンポの報告がタイムスに載っていた。 | ||
ネイションとアイデンティティの対話 「沖縄の声 外に届かず」 復帰の日 アラフォー世代が議論 基地や国家、アイデンティティーなどのテーマで議論を交わすパネリスト=15日、那覇市・県立博物館・美術館 15日の「復帰の日」にちなみ、あらためてその意味を問い直そうと県立博物館・美術館でシンポジウム「『お国は?』『沖縄ですが、何か?』−ネイションとアイデンティティの対話」が同日開かれた。同館で17日まで開催された「アトミックサンシャインの中へin沖縄」展最後の関連イベント。 萱野稔人津田塾大学准教授、むぬかちゃーの知念ウシ氏、インディペンデント・キュレーターの渡辺真也氏が登壇、コーディネーターを早大琉球・沖縄研究所客員研究員の前嵩西一馬が務めた。同展のテーマでもある平和憲法と、基地、安保について意見を交わした。 萱野氏は「本土も平等に基地負担をすべき、という簡単なことがなかなか通用しない。基地のために闘っている日本の知識人も、このことには批判的だ。彼らはそれは利権の問題につながるといい、政治的な後退になると見ている。だが、理想のためにくさい物にフタをしていいのか?」と問題提起した。 国民国家について研究している萱野氏は、川満信一氏が唱えた「琉球共和社会憲法C私(試)案」を上野千鶴子氏ら本土の知識人が評価していることを挙げ、「結論から言うと、川満さんが唱えたような国民国家でない形での独立は不可能だと思う。そう考えている本土の知識人たちは、沖縄に理念とか夢を過剰に投影している気がする。だから、現実的な沖縄の声が聞けないのではないか」と指摘した。 知念ウシさんは、沖縄の米軍基地負担がいかに大きいかを「75%の基地が沖縄にある」という表現で強調。「この言葉は単に反戦平和のことではなく、公平じゃあないよ。ということ。こう言うと右翼も左翼も『沖縄ナショナリズム』だ、と言う。だけど逆に言えば『日本ナショナリズム』ではないか」と批判した。 基地の県外移設について、前嵩西氏が「県外移設論になると、本土では右項化になりかねないとの見方もあるが」と投げ掛けると、知念氏は「それはむしろ『日本問題』だと思う。県外移設を利用して右傾化が進むのであれば、それに取り組むべきは本土だ。沖縄だけがそこまで背負う必要はない」と返した。 続けて「日本側は沖縄がもっと声を上げてください、と言うが県外のマスコミでは基地のことはそんなに報道されない。知ってもらいたいけれど、認められないフラストレーションがたまっている」と現状について強調した。 同展を企画した渡辺氏は「困難なテーマを自由な作業で語られるのか美術」と語り、「沖縄で巡回させたのは、戦後の九条の下で本土が享受してきた平和の矛盾が沖縄にあると感じたからだ。だが、あまりの現場性にとまどいも感じた」と沖縄展を振り返った。 シンポジウム開始前、FFCによるコントのパフォーマンスがあった。シンポジウムのタイトルにもなっている通り、「お国は?」とFFCがパネリストらに問い掛け、それに対し渡辺氏は「首里ですが、何か?」、萱野氏は「石垣島ですが、何か?」と答えるものだったが、途中で関係者が「5・15なのに、ふざけたことをやるな」と壇上に上がり抗議する一幕があり、途中で終了となった。「人をバカにした印象で、内容に入り込めず異様に感じた」(70代)、「途中でやめたのはもったいない。最後まで見たかった」(30代)とフロアの美術関係者の受け止め方はさまざまだった。 パフォーマンスを提案した前嵩西氏は「今回のパネリストは“アラフォー”と呼ばれる世代。この若い世代が、国家とアイデンティティーのトピックを『復帰の日』に行うことはこれまでなかった。復帰に関しても、沖縄の多様な世代が必ずしも一つの答えを共有しているわけではなく、このパフォーマンスをきっかけに考えてみたかった」と狙いを説明した。 (沖縄タイムス090520) |
図書新聞090321号に「新城郁夫氏に聞く『沖縄・問いを立てる』全6巻(社会評論社2008)完結によせて」が巻頭インタビューとして1〜3面にわたって掲載された。 新城さんが語る<沖縄の固有性>、<積極的否定性>、そして<不可視の情動>というキーワードは、「政治的な主体を創るために立ち止まりながら激しく動く」という述懐と共に、大いに共感を覚える。しかし、さらに進んで、「政治」というタームを多用しての言説にいささかの危うさを感じてしまいます。 <戦後日本のレジューム>についても、後段での「あえていえば、日本なんかどうでもいい……」と言い切る事へのためらいが彼の中にあるのだろうか。もっとも、民族主義ともナショナリズムとも呼べないレトリックのみで事態を糊塗するファナティックな言説への批判には同意します。川満さんや岡本さんとは異なり、新川さんにその傾向無しとは言えないなぁ、とも思っています。つまり、「敢えて偏狭な民族主義者として振る舞う、というのも『戦略』かな」と言う気もします、あまりにも稚拙な言説ばかりですが。「反復帰論」からもう40年も経っています。 |
|
<……沖縄(研究)の固有性とは、地理的条件や歴史文化といった沖縄の特殊性から演繹されるような概念ではなくて、常に更新されていくべき実践であって、それは創出されていく運動体なのだと言うべきかもしれません。/そこで問われるのが、沖縄の固有性とは何かということですが、私は、それを、否定性だと考えているんです。……この否定性は、相対化や目的論的な止揚を前提としない、とても積極的な否定性です。 ……この否定性を突きつめていくと、必然的に、戦後日本というレジームをその基盤から掘り崩していくことができると、私は考えています。/戦後日本という政治的レジームには二つの根幹があります。それは日米安保条約すなわち日米軍事同盟と、天皇制です。この二つの不正義は、日本の内なる植民地的外部としての沖縄、取り込まれつつ抹消される他者としての沖縄を物理的基盤にしながら、その事実を隠蔽することによって初めて成り立っている擬制です。ですから日本の政治は、沖縄という内なる外部なしには成立しようがないのですが、そうではないかのようにふるまっている。言い換えると、沖縄を「沖縄問題」というフィクションのなかに封印しこれを救済するかのようにふるまうことで、崩壊の危機を回避しようともがいているのが戦後日本の政治体制ということです。 …… このことは逆に言うと、沖縄の固有性としての否定性を徹底していくことによって、日米軍事同盟と天皇制の二つを、廃棄に向けて批判していくことが可能だということです。沖縄の否定性はそういう可能性を持っているはずです。> |
|
安保も天皇も沖縄には全く関係のない事柄に属する、少なくとも沖縄民衆のレベルでは。否、それらは、日本からもたらされた「元凶」以外のなにものでもない。つまり、「否定性」ではなく、あえて新城さんの立論に楯突くようですが、「沖縄の積極的肯定性の刃」(Edge)を研ぎ澄ますことではないでしょうか。それこそ、ヤマトンチューだけではなく、少なくとも東アジア人民連帯を照射するためにも、必要なことではないか、と思われます。 |
|
<新川明さんや岡本恵徳さん、川満信一さんをはじめ、何人もの反復帰・反国家論者の方達が拒否にこだわったのは、拒否がすぐれて政治的な実践だからです。ネオリベ的な流れが強くなるなかでは、用意された選択肢のなかで何かを選択しそれを効率よくこなしていくことが、あたかも積極的な対応であるかのようにいわれますが、そのことで逆にあらゆる潜在的な選択肢が排除させられていっています。それに対してはノーというしかない。そこからしか政治は始まらないと思いますね。/……今現在における、国政参加拒否やゼネストという直接民主主義そして非暴力による徹底した絶対不服従を発明していくことが可能になると思います。その意味で、党派的な駆け引きのなかで、不可視化されていっている人たちの情動に政治的な形式を与えていくこと、そこに沖縄研究の課題があると言えるかもしれません。沖縄では今現在、これまでのような系列化された労組中心の党派的駆け引きとは違った、イレギュラーなかたちの運動が始まっています。音楽や文学、映像などいろんな表現を含み込みながら、独自の運動や学問が始まりつつあります。沖縄研究もそうした動きと連動していくことで、真の意味でのアクチュアリティを発揮していけるようになると思います。> |
|
やはり、新城さんとは「政治」をめぐる論議を闘わせたいものだと心底思いました。私は、国家・権力をめぐる民衆の主体的営為抜きに、「政治」を語ることは不可能ではないかと思っています。そして、忘れてはならないのが「階級」です。今ほど「階級」が露出している時はありません。マスメディアさえ「強欲資本主義」なる活字が踊っているのですから。 |
|
<ところが、いま沖縄研究は、そういう応答責任から逃げている。……そこに社会変革の契機はないし、まだその必要もないという空気が蔓延しつつあります。/そうなると今度は、もう大学やアカデミズムは要らないといった反動が、反知性主義的な装いをもって出てきはじめます。粗雑で危険な基地移設論やナショナリスティックな独立論などが最たるものですが、1960年代70年代からすると恐ろしく退行した議論が、堰を切ったように溢れ出ています。沖縄の自立性を訴えながら、しかし日本という全体に対する部分としての沖縄というドメスティックな構図を強化するような反動性が沖縄研究の内部でも垂れ流されているというのが実情です。/……沖縄を生きようとする者はいま、主体化されることに抗いつつ、政治的な主体を創出していく必要があると思います。しかもこの主体は、政治的な実践によって更新されつづけていく運動体であって、ロマン化された歴史ファンタジーとしての琉球人あるいは沖縄人という主体化であってはなりません。それでは、「さまざまな日本」「いくつもの日本」の周縁を演じるだけの媒介者で終わってしまいます。/いま求められているのは、沖縄人という既存の主体の回復などでは全くなくて、これから来たるべきものとしての沖縄です。そこでは、政治的な主体を創っていくポイエーシス(制作)が求められている。そのためには、立ち止まりながら、激しく動くことです。いろんな場所で、ゲリラ的に様々な構想を生み出すことが大切だと思っています。> |
|
新城さん、あまりにも結論を急ぎすぎているように思われます。帝国主義本国プロレタリアートの一員でしかない風游子ですが、「被抑圧民族」の民族主義の「両義性」については、400年/130年問題も含め、日沖プロレタリアート人民にとって決して看過できないもののように思います。もちろん「創造」ではなく「想像」の共同体指向が、退嬰的作用以上に危ういものを惹起してしまっている、ということは指摘はまったくその通りですが。 |
|
<新城インタビュー全文を読む> |
琉球・沖縄史を考える目次: | |||
■1■薩摩侵攻400年/徹底抗戦しなかった謎【沖縄タイムズ2009.1.5】 ■2■国家運営 日中両にらみ【沖縄タイムス2009.1.6】 ■3■日中緩衝地帯の琉球【沖縄タイムス2009.1.7】 ■4■「琉球処分」の意味とは【沖縄タイムス2009.1.8】 ■5■決着ない帰属問題【沖縄タイムス2009.1.12】 ■6■400年解きほぐす思考を【沖縄タイムス2009.1.13】 |
|||
座談会出席者プロフィール: |
|||
赤嶺 守氏あかみね・まもる/1953年那覇市出身。琉球大学教授。琉中関係史。主な著書に「琉球王国 東アジアのコーナーストーン」「清代中国の諸問題」(編著)など。 伊佐眞一氏いさ・しんいち/1951年那覇市出身。琉球大学法科大学院係長。日本近代史。主な著書に「伊波普猷批判序説」「謝花昇集」など。 金城正篤氏きんじょう・せいとく/1935年糸満市出身。琉球大学名誉教授。東アジア近代史。主な著書に「琉球処分論」「沖縄から中国を見る」など。 豊見山和行氏とみやま・かずゆき/1956年宮古島出身。琉球大学教授。琉球史。主な著書に「琉球王国の外交と王権」「琉球・沖縄史の世界」(編著)など。 司会:長元朝浩沖縄タイムス論説委員長 |
|||