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自立解放をめぐる参考資料3 |
国連の先住民族権利保護勧告をめぐって <上> 国家の枠超え議論を/「反基地・開発」運動と連動 上原こずえ(うえはら・こずえ 1981年うるま市出身。ハワイ大学大学院修士課程修了。現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科研究生。) 10月30日、国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は日本政府に対し、琉球民族にアイヌ民族と同様に「民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の文化に関する教育も導入」し、さらに「琉球民族の土地の権利を認めるべきだ」と求めた(本紙2008年11月1日朝刊)。 人権・自由の尊重 そもそも、B規約(市民的および政治的権利)人権委員会からの勧告とは何か。 「市民的および政治的権利に関する国際規約(B規約)」は、1966年の国連総会で採択された国際人権規約の一部で、76年に発効した。締約国は国内の人権や自由を尊重・遵守するよう求められており、定期的に政府報告書を提出する義務を負う。委員会は、締約国において規約の実現のために十分な措置が取られているかについて、締約国の政府および市民団体、個人が提出する報告書を審査し、最終所見として勧告する。 同委員会の今回の琉球・沖縄の人々の土地の権利、言語や文化について学ぶ権利に関する勧告は、琉球弧の先住民族会(AIPR)や沖縄市民情報センター、その他の市民団体が、90年代半ばから国連の先住民作業部会で訴えてきたことの結果であろう。 先住民との出会い 国連の先住民作業部会という、国家の枠組みを超えた空間で琉球・沖縄の言語や文化、土地の問題を語ることには大きな可能性がある。作業部会では、日米という「大国」の挟間に置かれ、常に両国の利害に対峙してきた琉球・沖縄と同様、ハワイやグアムをはじめとする地域の先住民族も米国という国家の枠組みに取り込まれてきたということを知る。 世界の先住民族が、それぞれが大国に包摂されていく過程で経験した近代化、植民地化の影響について知ることで、自らの経験について再考する必要にも迫られる。さらにそれだけではなく、近代化、植民地化の過程で生じてきた差別や抑圧に普遍性を見いだし、多くの先住民とつながっていく可能性を見いだすのである。 ニュージーランドの先住民族マオリ女性の知識人アロハ・ミード氏は1994年、自らが参加した国連の先住民作業部会の状況について触れ、そこでなされる訴えは言語と地域主義の境界を越える、と言及した。あるマオリ女性が植民地主義の問題を指摘した瞬間、ある人々は勝利の合図を示し、ある人々は目に涙を浮かべ、ある人々は大きくうなずくのを、参加した人々は互いに目の当たりにする(Te Pua Journal of Maori Women's Writing,Vol.3,No.1)。 それは、国家という枠組みの中で見えない存在であった人々が出会い、言語や地域を超え、身体レベルで共鳴する瞬間である。琉球・沖縄の言語や文化、土地に関する権利を国連に対して主張する運動は、さまざまな先住民族の自立を模索する思想や動きと出合ってきた。さらにそれを機に、国連という枠組みをも超えて連帯してきたし、今後もその動きは続いていくであろう。 「歴史」に問題提起 今回の勧告の意義は、第一に、琉球・沖縄の言語や文化が、琉球処分や米軍占領、復帰の過程で抑圧されてきたという歴史を次世代に伝えていく必要性が日本政府に求められたことである。 第二の意義は、日本政府が、琉球・沖縄の人々に対し「国民」であることを理由に琉球・沖縄の土地や海、空を「国防」や「国益」の名の下で強制使用してきたことが、国際的に認められたということだ。これは国家が、海を画一的な経済尺度を前提に埋め立て、ある地域を「過疎」であるとして軍事基地や迷惑施設を押しつけるなど、そこに暮らす人々の生活のあり方を否定してきたことへの問題提起である。 したがって90年代半ば以降の国連への先住民族部会への訴えは、これまで琉球弧において脈々と続いてきた軍事基地や経済開発に抵抗する運動とも重なる。琉球弧における軍事基地や開発に反対する住民連動は、「漁業権」や「生存権」を認められずとも、自らの生を支えてきた土地や海に座り込み、そこで生活しながら、24時間態勢で反対の意思を表明してきた。 かつて「国策」としての金武湾石油備蓄基地開発に反対した、金武湾を守る会の故安里清信氏は「行政への住民参加ではなく、住民・漁民に行政が参加すべし」(「東海岸」1976年、第1号)と主張した。今回の国連の勧告も、これまで琉球・沖縄の未来が、国家間の利害によって甚だしく決定されてきたことの問題性を指摘し、琉球弧の人々が未来を構想できる余地を確保すべきである、と提言しているのではないか。 国連という第三者が提供する国家の枠組みを超えた議論の場で問題を訴える活動は、したがって、琉球弧で今まさに起こっている土地や海を守る運動と連動していく可能性を秘めていると考えられる。 今回の勧告について、琉球・沖縄においては、他国の政府に対してなされた勧告の事例なども参照しながらさらに議論を重ねていく必要があるだろう。また日本政府はこの勧告に対し、どのような対応を見せるのか、注視していきたい。 【沖縄タイムス 2008.12.9】 <中> 沖縄の権利を裏付け/抑圧打開へ政府に義務 宮里護佐丸(みやざと・ごさまる 1966年金武町生まれ。琉球弧の先住民族会会員。整体師。) 今回多くの市民団体の協力で提出されたリポートによって、国連の市民的および政治的権利に対する条約(通称B規約)委員会が、日本政府に対し「琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」との歴史的勧告を行った。これは国連において、琉球民族が独立した一つの民族として公的に認識された初めてのことと言える。 世界基準での根拠 さてこの勧告の意味する所だが、もちろん「琉球王国時代の生活に戻れ」と言う事ではない。琉球・沖縄人が自分たちの考える価値観、思想に基づいて生活する権利を有しており、かつそれを実行し実現する権利を有すると言うことである。 「基地を受け入れなくても発展を阻害されない」と言うことであり、「基地拒否=補助金なし」か「基地受け入れ=振興策」といった二者択一の選択以外を求めることができる世界基準での根拠となるものである。 この条約の最初、第一部第一条にはこうある。「(1)すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、この政治的地位を自由に決定しならびにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追及する。(3)この規約の締約国は、国際連合憲章の規定に従い自決の権利が実現されることを促進し及び自決の権利を尊重する」と。私たち琉球・沖縄人には生まれつき「民族自決権」があり、国連中心主義を国是とし同条約の締約国である日本政府には「人民の自決権を尊重し促進する義務がある」ことが分かる。 日本政府がやらなければならないことはただ一つ、沖縄の権利を尊重し、かつ実行する手助けをすることで、まちがっても振興策か貧困かを選択させ、琉球・沖縄人同士を対立させることではない。 日米は人権後進国 また私たちが勘違いしてはいけないのは、今回の人権委員会の勧告は、琉球・沖縄人が国連から日本の先住民としてのお墨付きをもらったわけではないと言うことだ。私たち琉球・沖縄人は国連や国際条約などが規定する前から、当然の権利として民族自決権や幸福追求権など、他の日本人やアメリカ人や世界中の独立国がもっている権利と同等の権利を有している。 これは先祖代々子々孫々生まれながらに持っている固有の揺るがない権利である。誰かに認めてもらったから発生するものでもなく、誰かにかってに規制されるものではない。 私たちは世界の基準は日本やアメリカだと思い込みがちであるが、人権という観点から世界基準で見た場合、国連の各種人権条約委員会の度重なる勧告を見る限りにおいては、日本やアメリカは人権後進国であり、けっして世界のスタンダードとは言い難い。 私たちは長い間、沖縄の置かれている差別的な現状を、日本政府に陳情したり、アメリカ政府に訴えたりしてきた。しかし、人権後進国である日米両政府は沖縄の置かれている問題を「人権」の視点からとらえる事はなく、沖縄は日本の国益の名の下に不平等と人権の抑圧を受け続けてきた。私たちは自らの現状を変えるために訴え話し合う相手を間違えてきたのではないだろうか。私たちが自らの現状を自らの力で変えるべく共に話し合うべき相手は、世界基準の条約の下にあるのではないか。 新大統領の可能性 今回の国連の勧告に対し、日本政府は反論をしてくるであろう。しかし琉球・沖縄人が文化的社会的に抑圧されてきた経緯は、歴史的にも日米地位協定の不平等の害悪をまともに受けている現状やほとんどの県民が反対する北部への基地移設をはじめとした、過重な基地負担などの現状を見ても明らかであり、委員会の勧告が覆ることはありえないであろう。 繰り返すが、「人権」という観点から琉球処分以降続く現代沖縄の状況を人権の世界基準からみた場合、その現状はあからさまに不公平・不平等で、その不平等な状態に置かれている民族の権利を回復するには、抑圧されている民族が抑圧者の都合のよいように態度を改めるのではなく、その民族を抑圧している政府およびその政府を支持する人々が態度を改めなければならないということなのだ。 この一文を書いている最中に、アメリカの第44代目の新大統領が選出されたニュースが流れた。差別された経験と人権擁護の感覚をもった弁護士でありかつ、国際人権法を順守する国際感覚を持った人物なら、「差別」と「不平等」にあふれた沖縄の現状を「人権」の側面から説明すれば、現在のアメリカの政策とそれに追随する日本の政策を変える可能性があるかもしれない。 【沖縄タイムス 2008.12.10】 <下> 自己決定権の行使を/抑圧者にならぬ沖縄人に 渡名喜守太(となき・もりた 1964年那覇市生まれ 沖縄国際大学非常勤講師。著作に「有事法制下の沖縄戦書き換え」(『オキナワを平和学する』法律文化社)。) 中山成彬前国交相の「日本は単一民族的」という発言や日教組を攻撃する言動が問題になった際、アイヌ民族の団体ウタリ協会は逸早く抗議したが、沖縄側からは抗議の声があがらなかった。中山氏は辞任後も雑誌上で、学力テスト最下位の沖縄では、最近まで教職員の勤務評定も行われなかったと述べている。当然、中山氏の「日教組の強いところは学力が低い」という発言は、沖縄を念頭においてのものだろう。 発言の既成事実化 中山氏は昨年9月29日の教科書検定意見撤回を求める県民大会の当日、それに対抗するかたちで「教科書改善の会」が開いたシンポジウムで開会の挨拶を務めた。中山発言が沖縄にとって重大な問題を含んでいるにもかかわらず、沖縄側から抗議が起こらなかったことに対して、中山発言が既成事実化し定着しないかと危惧していた。 そんな折、図らずも国連のB規約(「市民的及び政治的権利に関する国際規約」)人権委員会がアイヌ民族と共に琉球民族を先住民族と認め、文化遺産や伝統生活様式の保護を求める勧告を出したことが報じられた。 国連が琉球人民を日本国内における先住民族と認めた意義は大きい。これにより昨年国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」(以下「権利宣言」)が琉球にも適用されることになる。 「権利宣言」に使用されている「先住民族」とは、国連憲章や世界人権宣言、B規約(「市民的及び政治的権利に関する国際規約」)、ILO169号条約(「独立国における原住民及び種族民に関する条約」)などから「独立国における自己決定権を有する人民で、征服、植民又は現在の国境確立のときにそこに住んでいた住民の子孫」と定義できる。また、市民外交センター発行の解説書によると「先住人民」とも翻訳可能であるという。琉球人民が自己決定権を有すると国連に認められたのである。 先住民の権利尊重 「権利宣言」は前文で国民的出自や民族的、文化的差異に基き民族や個人の優越を説く教義、政策、慣行は人種差別主義であり、科学的に誤り、法的に無効、道義的に非難に値し、社会的に不正義であると謳っている。また、先住民族は植民地化と土地、領域の奪取の結果、歴史的不正義に苦しんだと述べ、先住民族は自らの政治的、経済的、社会的構造と文化、精神的伝統、歴史、哲学に基く生得の権利、特に土地、領域、資源に関する権利を尊重すべきであることを述べている。 そして本文で先住民族は自己決定権を有し、生存・安全に対する権利、文化・言語・宗教・歴史などアイデンティティーに対する権利、経済に対する特別措置、土地や領域に対する権利、軍事活動の禁止、文化的遺産に対する知的財産権などが認められ、それらの保障に対する国家の責任が記されている。これにより琉球人民が他の日本人と違うことを理由に差別されず、違いが尊重されるべきであり、日本による沖縄への同化政策が否定される。 一方、日本には沖縄人がアイデンティティーに目覚めるのを妨害する者がいる。彼らの真の狙いは沖縄に対する領有権・既得権益確保であり、住民は邪魔な存在なのである。太田良博氏は著書で、復帰当時、本土から来た学生に「沖縄の土地は必要だが住民はいらない」と言われた体験を語っている。 小林よしのり氏も著作のなかで「沖縄は誰のものか」と述べているが、要するに小林氏は、沖縄は日本のものであり、沖縄人のものではないと言いたいのである。これに関連して「満州は誰のものか」と言って満州侵略を正当化する主張を想起した。 沖縄人の同化志向 現行法制度では外部の者が金の力に物をいわせて沖縄の土地を取得し、共同体を破壊し、住民を追い出すことは可能であり、それが合法的行為として正当化される。沖縄への「移住者」には、沖縄の過去や現実に向き合わず、土着の生き方も尊重せず、不平不満を吐き、「権利」を主張して沖縄を自分たちの思い通りに変えようとする者も多い。実質的植民である。ハワイは移住者が既得権を主張し乗っ取り、奪った。沖縄では「移住者」ばかりでなく、本土在住の人間が投資目的で沖縄の軍用地を買いあさっているといわれている。現行法制度で沖縄が外部に供されているのである。 沖縄人が先住民族ということを自覚し、自己決定権を行使すれば基地問題、沖縄戦問題、経済問題、外部の者による文化遺産の収奪、知的財産権の侵害(例えば空手など)、土地の収奪、開発による共同体破壊、聖地を含む文化財や生活文化の破壊(西表における大手開発業者による聖地の破壊など)や自然破壊、琉球語消滅の危機など、さまざまな問題が主体的に解決できる。 しかし、それを妨げているのは沖縄人自身の同化志向である。日本人化することで種々の特権を得ようとする意識は必然的に他の弱者に対する優越感と一体であり、それは他民族に対する差別意識として現れ、また、沖縄人をも差別の対象とし、自分自身さえも否定する。 我々はアジアの人々への差別意識を持ち、同じ沖縄人でありながら、沖縄らしい生き方をしてきた人々への差別を行ってきた。琉装をまとい、針突をいれ、琉球語しか話せず、歴史に根ざした生き方をしてきた先人たちに何の罪があったのだろうか。 本当に誇りある沖縄人とは何か。日本人としての特権を享受する為や、他者に優越感を抱く為に日本に同化し、長いものに巻かれる者が誇りある沖縄人だろうか。それとも本来の自分を取り戻し、他者に対しても抑圧的にならない者が誇りある沖縄人だろうか。 【沖縄タイムス 2008.12.11】 |
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沖縄ミニ講座 in YOKOHAMA | ||
「琉球・沖縄人の権利回復運動と私」 | ||
2003年4月11日 平良識子(恵泉女学園大学大学院・人文学研究料・国際社会文化専攻) |
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1.ウチナーンチュ・アイデンティティの目覚めと、琉球弧の先住民族会(AIPR)」との出会い |
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・米軍基地のない町で育った、基地・沖縄戦・平和・アイデンティティ形成 ・95、96年の沖縄民衆運動の盛り上がり−沖縄への強烈なおもい ・「先住民族というコトバとの出会い−国際人権法の捉える「先住民族」に「琉球・沖縄民族」が適用範囲内にあるということについて |
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2.国連機関での琉球・沖縄人の権利回復運動と未来の可能性 |
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・国際人権法から「先住民族」というフレームから沖縄を問い直し、国連機関に訴えるということについて →資料1参照(1.先住民族の定義 2.先住民族の権利 3 国際社会における先住民族の権利回復運動 4.「先住民族」と「先住民」の用語法について 5.「先住民族」と「少数民族」の違いについて 6.先住民族としての琉球・沖縄民族の証明 7.沖縄問題と国際人権機関の活用 8.先住民族の権利と沖縄) ・「先住民族」「ポストコロニアリズム」から確認する沖縄−日本の構造関係 ・排他的にならずに他文化・民族との共生できる社会としての沖縄像…沖縄版コスタリカの可能性 ・「人権」の視点から見直すことの有用性−開発・環境問題などもカバー |
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3.「国連先住民族作業部会」(Working Groupon IndigenousPopuIation)参加報告 |
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第1回参加ステートメント:「不発弾と開発」(主要議題「先住民族の開発と権利」) 第2回目参加ステートメント:「米軍基地による環境破壊」(前年と同じ主要議題) |
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4.自己確認の場としてのAIPR運動 |
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・ウチナーンチュ・アイデンティティの体現手段としてのAIPR運動 (私の中の同化政策・沖縄団体のお花見におけるアイデンティティの再生産) ・琉球・沖縄民族としての「アイデンティティ」について考える |
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5.「沖縄問題」を解決するために−想像力をもって生活レベルで考え続けるということ |
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ありがとうございました | ||
資料1 「先住民族と沖縄人」 |
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1.先住民族の定義 国連〈United Nations〉の推計における先住民族は、言語や文化的差異、あるいは地理的分離によって、世界中に少なくとも5,000のグループがあるとされ、現在その人口は世界中で約3億人、70カ国以上の国々に住んでいるとされている。 先住民族問題に関する最も新しい人権基準であり、現在唯一具体的に先住民族の適用範囲と権利を明記した国際条約が「ILO169号条約」である。 |
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☆独立国における先住民族及び種族民に関する条約(第169号)(先住民条約) | |||
1 この条約は次のものに適用する。 (a)独立国における種族民族であって、その社会的、文化的及び経済的な条件が、その国民社会の他の部分とは異なり、かつその地位が全部又は一部それ自身の慣習もしくは伝統、又は特別の法律もしくは規定によって規定されている者。 (b)独立国における民族であって、征服もしくは植民地化又は現在の国境が画定されたときに、その国又は国の属する地域に居住していた住民の子孫であるために先住民族とみなされ、かつ、法律上の地位のいかんを問わず、自己の社会的、経済的、文化的及び政治的制度の一部又は全部を保持している者。 2 先住民族又は種族民としての自己認識が、この条約の規定が適用される手段を決定するための根本的な基準と見なされるべきである。 |
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近代国家が「国民形成」の各目のもとで、「野蛮・未開」と見なした民族の土地を一方的に奪ってこれを併合し、その民族の存在や文化を受け入れることなく、さまざまな形の「同化主義」を手段としてその集団を植民地支配した結果生じた人々が「先住民族」と呼ばれうる民族的集団である。 どの民族が先に住んでいたのかという「先住性(indigenousness)」は、「先住民族」の資格要件の一つにすぎないことを述べている。先住か、後住か、ということは問題ではなく、植民地支配や同化政策が行われていたか、が重要である。 ☆「二風谷ダム裁判」判決 日本国内において国際社会に広く認知されている日本の先住民族・アイヌ民族が札幌地方裁判所に起こした「二風谷ダム裁判」におけるその判決内容は、国際人権法を適用し、法レベルではじめてアイヌ民族を先住民族と認めるものであった。その二風谷ダム判決より、先住民族の定義を見てみる。 |
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歴史的に国家の統治が及ぶ前にその統治に取り込まれた地域に、国家の支持母体である多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ少数民族が居住していて、その他多数民族の支配をうけながらも、なおかつ建前と連続性のある独自の文化及びアイデンティティを喪失していない社会的集団。 |
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国際法でのILO169号条約や日本国内の裁判判決としての二風谷ダム判決など、法レベルでの先住民族の定義の重要なポイントは、先住民族とは近代国民国家成立時に、支配的集団によって民族としての存在を否定され、同化を強制された民族的集団であり、その子孫でアイデンティティがあるかどうか、である。先生が、後住か、という問題ではなく、同化政策と植民地支配が行われたか、もしくは現在も植民地的状況が続いているか、先住民族自身の自己認識がカギなのである。 2.先住民族の権利 先住民族の権利の中核をなすものは、「民族の自己決定権(TheRightofPeople’sSelf detemination)」である。これは、植民地政策や差別、同化主義によるエスノサイドが行われてきた人々にとって、自分たちの土地の使用について、また文化教育についてなど、自分たちで計画し決定することができる重要な権利である。 民族の自己決定権の中には、“脱植民地化”政策に関連する権利としては土地権、資源権、非軍事権、外交権などがあり、“多文化主義”政策に関する権利としては、教育権、言語権などが議論されていて、いくつかの国では実現している。 |
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・「土地権」は、土地そのものに設定されず、これに付属する大気、水系、沿岸、海氷、動植物および資源を含む、総合的な環境を保全する権利。 ・「資源権」は、動物資源や水資源などを対象としていて、その開発や利用にあたって占有民族は権利を有する。特に、有害物質の貯蔵や処分(廃業)の禁止が求められている。・「非軍事権」は、先住民族は、その意思に反して徴兵されてはならず、また、軍事目的の作業に動員されてはならないとする。さらに、合意なしにその領土内で軍事活動を行ってはならないなど、特に非軍事権は先住民族の権利を特徴付けるものである。 ・「外交権」は、国境によって分断されている多くの先住民族によって、文化や社会を発展させるために必要な権利。 ・「教育権」は、伝統的文化や慣習を復興・発展させることに重複していて、子どもに民族固有の言語で、自己の文化による教授法で、教育を行う権利を指している。このために、国家の援助を受けながら大学を含む自らの教育機関の設置が必要である。 ・「言語権」は、自らの民族的アイデンティティを確保するために不可欠の権利。言語の禁止は、民族の世界観や自然界と共生する知識について学ぶ手段を奪ってきた。先住民族の言語が、政治上、法律上、行政上、教育上、平等に扱われるよう求められている。 |
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これら先住民族の権利は、国際法上保障される権利であり、憲法と同等あるいはこれを超える権利を意味する。従って、公共の福祉より重視されるのである。 3.国際社会における先住民族の権利回復運動 先住民族は、極めて多様な文化的、民族的、宗教的背景をもっている。しかしこのような多様性とは裏腹に、先住民族は等しく似通った困難に直面しており、外国による征服や植民地政策に始まり、国家の形成にいたる様々な歴史的、政治的理由により、先住民族の多くは自らの土地において劣悪かつ従属的な生活を強いられてきた。この数十年間、開発や軍事基地などにおける最も悲惨な局面の被害者であり続けているのである。そして多くの場合、優勢な国民社会への適応を強いられてきた先住民族は、伝統的な生活様式も破壊され、迫害、搾取、そして差別に直面している。また、彼らの天然資源とともにその文化的アイデンティティを失いつつある状況に現在ある。 このようなかで国連をはじめとする国際社会において、奪われた先住民族の権利回復を目指す行動が行われている。 ☆日本の国内法は先住民族の権利を認めているかどうかについてであるが、ILO169号条約などは国家法として確立されているが、日本政府は批進していないため先住民族の権利は認めていない。加えて、日本が未批准の国際条約は人権や環境保護を中心に230を超えている。 4.「先住民族」と「先住民」の用語法について 日本では「先住民族」と「先住民」は一般的にあまり区別なく使用されている観があるが、国連をはじめとする国際社会においては民族の自己決定権との関連で、それは明確に区別されている。「先住民族」は自己決定権など権利の行使を有すると位置づけられるのに対して、「先住民」はそれら権利を持たない民族集団とされている。そのため、土地権など先住民族の権利を認めたくない日本政府は、先住民族として国連においても認知されているアイヌ民族に対しても「先住民族」とは決して言わないということが背景にある。 「先住民族」と「先住民」の日本における用語法については、indigenous populationsやindigenous peopleには「先住民」、indigenous peoplesに対しては「先住民族」という訳し分けが「国際先住民年」を経てこれら用語法は定着したとされる。また日本政府では、国際労働機関(ILO)との関連深い労働省は第2次大戦後「土民」と訳していたが、現在は「原住民」、外務省は「原住民」あるいは「先住民」の訳を使用している。 5.「先住民族」と「少数民族」の違いについて 「先住民族」は、「少数民族」との違いは、ある民族が合意や自由な意思に基づいて国家に総合されたとすれば、その民族は「少数者(少数民族)minorities」に当たる。しかし、植民地化などの不当な強制力によって合意もなく一方的に国家に統合された民族は、国際法上の民族としての完全な権利、自決権の保持している「先住民族」である。 6.先住民族としての琉球・沖縄民族の証明 |
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(1)近代国民国家成立時に日本に一方的に統合されたことの証明 →【ウィーン条約違反の琉球併合】 1872年に明治政府が軍事力を背景にして一方的に統合した琉球処分が、16世紀から世界で起きた植民地主義を含む近代国民国家成立の動きが、日本国の南方の国境画定として琉球併合に相当する。 (琉球併合の過程:1871年7月に日本本土の廃藩置県が実施されたが、琉球王国は薩摩にとって貴重な資金源であるとし、鹿児島藩は旧来の両属状態にしておくことを主張し、琉球は当面のあいだ王国のまま鹿児島県の管轄地となった。薩摩従属状態のち、1872年に王府を維持したまま琉球藩が設置され、その7年後、1979年に琉球王国は廃止され沖縄県として大日本帝国に編入された。) 「琉球併合」は「条約法に関するウィーン条約」第51条(国の代表者に対する強制)「条約に拘束されることについての国の同意の表明は、当該国の代表者に対する行為又は脅迫による強制の結果行われたものである場合には、いかなる法的効果も有しない」に抵触し、韓国併合と同じレベルで琉球併合であり、国際法上、無効の可能性がある。 (一般的な歴史解釈は「琉球」は中国清と薩摩藩を介在させた日本の「日清両属」であったとするものである。そのため、両属であったから日本には領土権がある、という議論がある。琉球王国は近代的な意味での独立国家ではなかったが、19世紀までの東アジアでは、朝貢冊封関係と呼ばれる、近代国民国家としての主権国家とは異なる国際原理が存在していた。そして琉球政府にとって「日清両属」は、服従の意思を表す朝貢貿易によって中国からの安全保障を獲得するように、経済的権利の一部を薩摩藩に譲渡することで、薩摩藩からの武力侵攻を受けない状態を確保することができたのである。また琉球政府にとって、「琉球」は「日清両属」の状態だったのではなく、貿易を中心とする外交政策を駆使して、中国にも、日本にも帰属しない固有の民族の国家と領土を維持してきたとみなすことができる。) ☆もし琉球併合が「条約法に関するウィーン条約」において「違反」であったと日本政府が認めれば、沖縄の「民族の自己決定権」は憲法に優越する権利として留保される可能性がある。 (2)同化主義を含む植民地支配が行われた・行われていることの証明 →【沖縄同化政策】 同化主義を含む植民地支配において、明治以降、日本国は沖縄県行政において本土との同化政策を推し進めた。特に政府は教育面での同化政策を重視した、置県の翌1880年には日本語(普通語)教育に着手し、国民的同化政策の手段として、国家主義教育の柱となる教育勅語や御真影の下賜など皇民化教育を沖縄県にいち早く実施した。明治から昭和前期にいたる近代沖縄の教育は、台湾・朝鮮の植民地となんら変わることのない皇民化教育そのものであった。それは、伝統的な土着文化を否定した文化の中央集権化であり、その具体策として国語教育と風俗改良が重視されたのである。 明治30年代に入ると政府は、土地整理と地租改正、徴兵制の施行など沖縄の同化政策をさらに徹底化させ、沖縄の「大和化」を図っていった。モーアシビー(野遊び)の禁止、ハジチの禁止、ユタの取り締り、琉装から和装への服装改良、改姓運動など、沖縄の伝統的風俗や習慣を廃止して、すべてを「大和化」することが奨励された。そして方言札などによって琉球語(ウチナーグチ)を廃止しようと、標準語励行を一大展開させたのである。 沖縄の歴史が否定された教育カリキュラムは、自己の独自の歴史や文化を尊重するアイデンティティを無意識に奪っていく。同化政策には自己否定を無意識のうちに生産する抑圧の維持の構造がある。同化政策はいまだ継続中であるといえる。 また文化とは、尊厳、価値観、適応力や創造力といった、人間としての存在の根源にかかわるものである。文化の否定は、人間として、また民族としての生存を否定されることであり、同化主義による「エスノサイド(民族文化の抹殺)」は深刻な人権侵害に当たる。 →【沖縄人差別】 江戸時代を通して日本本土から見た琉球は、異国として、日清両属の特殊な島国としての強い印象が、琉球に対する異民族観を定着させていった。琉球処分以後、新政府による収奪と差別政策によって国内の植民地的な様相を呈してきたのである。そして言語・風俗・習慣・信仰の特異性は、ますます本土人から異端視される結果となったのである。それは、生活の困窮から阪神などの工業地帯へ出稼ぎに行った沖縄の人びとに対して、「朝鮮人・琉球人お断り」の労働者募集広告などに表れている。 沖縄人差別として、アイヌ民族や台湾人、朝鮮人などと並べて「琉球人」として展示した1903年の人類館事件は顕著である。 また、歴史的に蓄積されてきた本土人の沖縄人に対する差別意識は、沖縄戦で最もいまわしいかたちで露呈した。沖縄は本土防衛の防波堤となるため、また沈まない空母艦として、軍民一体となった国内唯一地上戦「沖縄戦」が行われた。そのなかで、日本軍はウチナーグチを話すことはスパイとみなし住民虐殺が起こり、集団自決へと追い込まれていったのである。沖縄戦は、沖縄同化政策が行き着いた極地であるといえる。 また現在でも、同化主義を含む沖縄民族差別はその例をあげればきりがないが、高校野球の全国大会で知られる甲子園で、他国文化のチアガールなどの応援形式は問題視されず、沖縄文化のエイサーが禁止されたことについて触れておく。 →【植民地的沖縄の状況】 世界の植民地主義以降も日本国内の内的植民地として、沖縄はその状況にあると考えられる。証拠として「天皇メッセージ」があげられる。沖縄戦で多大な被害と犠牲を強いられ、さらに銃剣とブルドーザーに象徴される米軍基地建設のための土地略奪が戦後沖縄で起こっていた。このような中「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるように日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期措置による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。」という「天皇メッセージ」は出されたのである。 結果、1972年の日本復帰以後も沖縄住民の基地撤去意思は無視され続け、アメリカの世界戦略と日本政府の基地しわ寄せ政策の結果、日本本土と離れた沖縄に日本全土陸地面積の約0.6%に在日米軍基地75%が集中する現状、沖縄における米軍基地問題の改善がすすまず、SACO合意は結局、基地の県内たらいまわしである状況は、まさに依然として植民地政策や同化政策が続行中であるということが考えられる。 (3)集団としての意思を表示できるかという証明 →【ウチナーンチュの民族アイデンティティ】 沖縄人が先住民族であることを規定する重要なカギは、ILO169号条約第1条2にあるように、沖縄人自らが「先住民族」であるという意識を持っているかどうかになる。その自己認識があれば先住民族と主張することが可能である。 ウチナーンチュにおける先住民族としてのアイデンティティ有無について、先住民族と認識しづらくても、沖縄の日常生活の中では日本本土をヤマト、その住民をヤマトゥンチュと呼び、沖縄をウチナー、その住民をウチナーンチュと呼んで、両者を明確に区別している。このことは無意識に自らを民族「エスニック集団」として自己表現していると考えられる。 ☆エスニシティ概念とウチナーンチュ・アイデンティティの存続と再生 エスニシティとは、文化・言語などの属性に従って分類された人口集団メンバーの持つ主観的帰属意識である。この概念は、国民国家内の下位集団、国民文化に完全に同化せずに生き残った文化集団にも適用される。対象は、近代国民国家形成の際に国民国家の下位集団としての位置付けられた周辺民族集団や旧植民地の先住民族にもエスニシティ概念が適用され始めている。エスニシティを客観的で固定的に考える必要はない。国民国家の下位集団は、強い同化政策のもとで伝統を完全なかたちで維持できないし、また、長い同化政策のもと伝統を失った場合でも復活・再生が可能であるからである。 エスニシティは存続・再生する。第1に、人々の文化・言語への原初的あるいは本源的な愛着が存在し、独自なアイデンティティの源泉として文化・言語が重視されるからである。第2に、同化したとしても、主流社会からの差別が消滅しなかったり、差別がなくても、生まれて身に付けた言語・文化の変わりに他者の文化・言語をあらたに学習することは明らかに政治的・社会的・経済的にも不利な状況を生む。そのため、人々は仲間同士助け合うと同時に平等達成のために結束する必要が生じ、文化・言語的共通性を強調してエスニック運動を起こすことが多いからである。 琉球・沖縄民族はエスニシティ概念に適用すると考えられ、同化政策が上手くいったとされる沖縄においてもウチナーンチュ・アイデンティティは存続・再生されていると考えられる。そのため、この活動を展開する上で、今後ますます琉球・沖縄民族としてアイデンティティを重要視していくことが大切になってくると思われる。 |
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7.沖縄問題と国際人権機関の活用 沖縄において、1996年に当時沖縄県知事を被告とし、最高裁大法廷で争われた米軍用地強制使用拒否の裁判は、「高度な公共の福祉と国家の安全保障に関する問題」として沖縄県知事の敗訴となった。このことは、沖縄の人権状況を日本の国内法による救済がほぼ不可能になったことを示している。日本の国内法が地域的民族的不平等を是正できない現実を見ると、国際人権法と国連参加をとおして、沖縄の現状を国家の地域への人権抑圧として訴えていくのは、沖縄がとりうる有効な選択肢である。 また、国際法を活用し、国際社会に沖縄問題を訴えるとき、それに添うカテゴリー(女性、子ども、マイノリティなど)に属することでより訴えは取り上げられやすくなる。沖縄人は先住民族の適用範囲を示すILO169号条約に符合するとみなすことができ、先住民族というカテゴリーがよりフィットする。 世界各地で国民国家が揺らぎ、エスニシティが強くなっている現状をみると、「先住民族」というフレームから沖縄の状況を問い直すことは、重要な視点であると考えられる。 また、「二風谷ダム」判決は国際人権法を取り入れてアイヌ民族を先住民族として認め、その権利を認めた。日本国内でも法レベルで国際人権法を適用してきているため、沖縄問題を先住民族という視点と国際人権法を活用して訴え続けることは、有用であるだろう。 8.先住民族の権利と沖縄 「民族の自己決定権」は、特に軍事基地の集中に苦しむウチナーンチュにとって基地整理・縮小・撤去を求めることが可能であるとともに、沖縄経済が安定するまで日本政府とアメリカ政府に対して現在の何倍もの土地借地科などを要求することもできうるだろう。何よりウチナーンチュ自らの社会の主体性を取り戻すことに重要性があるといえる。 また伝統的平和思想と沖縄戦経験からの世界の恒久平和を願うウチナーンチュにとって「非軍事権」は重要な権利である。コスタリカのような非暴力の平和外交、政策が可能となり、未来において平和的オキナワモデルを構築することも考えられる。 ところで、沖縄の意思を反映するためであれば、「民族の自己決定権」でなくとも「自治権」を強化すればよいのではないか、という議論があるだろう。法律上、「自治権」は国内の「憲法」によって保障されており、憲法の下に位置づけられている。つまり、自治体の「自治権」は、基本的には憲法の枠内でしか自由を保障されていないのである。沖縄における具体的事例として、日本国憲法に従い「国民の合意」として沖縄に米軍基地が設置されれば、大田県知事の代理署名拒否は「自治権」の行使を逸脱しており、その主張はまさに最高裁判決のように「敗訴」となる。この論理でいくと、基地問題を解決するには、日本国民全体の世論が沖縄に対して関心を向け、「国民の合意」を変える努力をしなければならないのである。一方「民族の自己決定権」は、先住民族の権利は憲法より重い。もし、沖縄人に「民族の自己決定権」が保障されれば、日本国憲法の規定に従い、日本国民の総意によって沖縄に米軍基地を置くことが決まっても、「沖縄人の合意」によりこれを否定することができるようになるのである。 |
1996.7第14回国連先住民族作業部会参加関連資料(市民外交センター・沖縄独立研究会/松島泰勝)ポジション・ペーパー
1.沖縄民族の自決権の剥奪と主権の留保
沖縄は、日本列島、台湾、中国大陸の間にある東シナ海に位置する160の島々から構成され、現在約130万人が生活している。
1609年、日本の地方領主であった薩摩藩は、当時独立国であった「琉球王国」に武力侵攻を行い、この結果、奄美諸島を中心とする北部地方が日本に割譲された。その後、日本の中央政府は1879年武力による圧力の下で「琉球併合」を行い、植民地としての統治を開始し、現在もその従属的な関係は基本的に変化していない。1872年の琉球併合協定は、「条約法に関するウィーン条約」の第51条(国の代表者に対する強制)の精神に抵触するものであり、同条の前提となった慣習国際法上からも、無効であると考えられる。従って、独自の歴史に基づき、自らの言語、文化、宗教を維持、発展させてきた沖縄民族の主権は留保されている。
2.植民地統治に基づく差別と強制同化政策
併合以降、日本政府は、沖縄独自の言語、文化、習慣などを「未開」なものとみなし、これらを抹殺するために、学校における沖縄語の使用禁止など強制同化政策を実施した。また、これらの政策から、日本列島内に就職した沖縄人労働者などに対する深刻な差別が生じた。これは、先住民族労働者が適切な民族的環境で生活する権利を規定したILO第50号条約第8条に違反したものである。
また、1880年の日中交渉において、日本政府は、中国に植民地沖縄の一部の割譲し、それと引き換えに中国における通商権の獲得を画策した。その後も沖縄は、一貫して日本の外交政策の「道具」として差別的待遇を余儀なくされた。
さらに、日本人の行政官が、日本式行政機構を通して沖縄に対する「間接統治」を行い、沖縄民族の意思はその意思決定機構から制度的に排除された。これは、先住民族の利益の擁護を前提に公正な取り扱いを規定した「国際連盟規約」第23条(人道的、社会的、経済的任務)b項に違反した行為とみなされる。
3.自決権要求運動への弾圧
植民地統治下においても、1870〜1890年代を中心に自決権要求運動が行われた。当時の状況では、それは琉球王国復権運動であり、沖縄・日本・中国において王国の復興を求める世論を喚起するものであった。しかし、日本政府はこうした運動に対し、拷問などを含む弾圧を強行した。さらに、旧国王を沖縄行政府の代表にするための署名活動も行われたが、これらの要求は日本政府に無視された。
4.日本軍による強制徴用と虐殺および補償政策の否定。
第二次世界大戦の末期、1944年10月の那覇大空襲以来、沖縄住民は戦火に直接巻き込まれることになった。1945年3月から沖縄は日米両軍の決戦地のひとつとして地上戦が戦われたが、多くの民間人や子どもが日本軍によって強制徴用されその犠牲者となった。住民の犠牲者は10万人、当時の全人口の5分の1に当たり、日本全土の民間人の犠牲者が原子爆弾によるものを含め総計約50万人であったことと比較すれば、沖縄民族の人権が如何に無視されたかを象徴している。また、多くの住民が沖縄語を話したとしてスパイ罪の容疑で日本軍に虐殺され、さらに、日本軍の足手まといにならないよう集団自決を強要された。これは、強制労働を禁止した「ILO第29号条約(強制労働条約)」第1条、第11条、第25条に違反すると共に、非戦闘員の保護に関する慣習国際法に違反した。こうした犠牲者と遺族に対し、現在もほとんどの補償が行われていない。
5.植民地統治権の譲渡と住民の意思の無視
1946年連合軍の占領政策によって、行政区域として別扱いされていた沖縄を、1952年のサンフランシスコ平和条約により、日本政府は正式に分離し、その施政権を国連による「信託統治に移行するまで」という形で米国政府に譲渡した。しかし、この時一切の住民の意思の確認は日米両国政府によって行われなかった。沖縄民族の意思の確認が行われなかったことは、「国連憲章」第1条2項の自決権に反する行為である。同時に、こうした形で施政権を得た米国政府の行為は「自国のためには利得も求めず、また領土拡張の念も有しない」とした「カイロ宣言」および「平和、安全及び正義の新秩序」の建設を目的とした「ポツダム宣言」に自ら違反したものに他ならない。
1962年には、国連の「植民地独立付与宣言」を受け、米国施政下の植民地議会にあたる「琉球政府立法院」において、米国の沖縄統治が国連憲章に規定された領土の不拡大と民族自決の原則に違反するとした決議が採択され、当時の国連加盟国104カ国に送付された。しかし、この決議は米国政府に無視されただけでなく、日本政府によっても黙殺された。
6.米軍基地による沖縄人に対する人権侵害
米国政府による施政が始まると、日本全土の0.6パーセントしかない沖縄に、日本全土の3倍の面積の軍事基地が一方的に建設された。1972年に施政権は米国から日本に再譲渡され、沖縄人は基地の撤廃などを期待したが、基地のほとんどが温存された。日米安保条約の下に沖縄の全人口の約4パーセントに当たる4万6000名の米軍が現在も駐留している。この施政権の譲渡に関しても、基地撤去に関する沖縄民族の強い意思は無視され、また、基地に関する「日米地位協定」は、実態として沖縄に従属的で不平等な地位を押し付けている。こうした植民地的状況の中では、以下のような権利が否定され続けている。
(1)沖縄全体の11パーセント、特に沖縄島の20パーセントが軍事基地とされた結果、沖縄人自らによる経済発展の追求や社会基盤の整備に関する権利が否定されている。また日本政府に統治権が移転すると、沖縄開発庁が設置され、沖縄の自律的発展を阻害するようになった。これらは、「国家の経済的権利義務憲章」第1章(国際経済関係の基礎)g、f、k項及び同憲第2章第1条(経済社会体制を自由に選択する権利)に違反している。
(2)軍事基地の建設に伴い、沖縄の歴史的遺産・文化財が深刻な打撃を被った。これは、「ユネスコ憲章」の前文及び「芸術作品並びに歴史及び科学の記念物の保存及び保護の確保」を定めた同憲章第1条c項に違反している。
(3)軍事基地の建設およびその運用は、爆音による騒音や振動、実弾演習による原野火災や被弾事故、墜落・落下事故、軍車両による交通事故などによって、沖縄の自然環境に大きな被害をもたらし、人口密集地に隣接した場所では住民の生活環境は著しく侵害されている。
また、核及び化学兵器施設の設置は住民に大きな不安を与え続けた。これは「環境に関する権利と責任」を規定した「人間環境宣言」第1原則及び「人間は自然との調和の下で、健康で生産的な生活を送る権利がある」と規定した「リオ宣言」第1原則に明らかに違反したものである。
(4)米国の直接施政下にあっては、公正な裁判権もないまま、米軍関係者による犯罪が繰り返され、特に沖縄人女性がその被害者となってきた。1972年の施政権の日本政府への譲渡後も、基地が温存されたことで、米軍関係者による犯罪は減らず、記録されているだけでも、1995年までの23年間に、4700件余の犯罪が数えられた。沖縄の自決権が認められない一方、日本政府はこうした犯罪に関して日米地位協定を米軍に有利に運用し、沖縄人の人権は十分保障されなかった。1995年9月に発生した米軍関係者による少女拉致強姦事件は、先住民族の女性の子どもという最も弱い立場にある存在に対する凶悪犯罪として、これを象徴している。これらの実態は、日本および米国政府が、「国連憲章」第55条c項、「世界人権宣言」第2条、「国際人権規約・自由権規約」第26条、「人種差別撤廃条約」第5条に違反していることを示している。 また、女性に対する人権侵害では、「女子差別撤廃条約」第2条、子どもに対する人権侵害では、「子どもの権利条約」第2条、第3条に違反した状況にある。
7.沖縄を民族の自決権の行使と「特別県構想」(案)
「琉球併合協定」が無効であるという視点から、沖縄民族は主権を留保している。沖縄民族の人権に深く関わる基地撤去に関し、1974年に那覇軍港の撤去が日米両国政府によって合意されたが、20年以上を経過した今日も実現していない。これは日米両国政府が沖縄民族の人権の伸張と差別の撤廃に努力して来なかった姿を象徴している。こうした現状の中で、「国際人権規約」共通第1条、さらには、「友好関係原則宣言」および「ウィーン宣言」Iの第2項(民族自決権)に従い、差別を解消し、人権擁護の目的から、国際社会の一員として、自決権の行使を沖縄民族が主張することは当然であるといえる。軍事基地のない沖縄と経済的自決権を基にした国際交流拠点沖縄を前提に、沖縄県政府から1995年に提起された「特別県」構想案は、この具体的現れであり、沖縄の自決権の歴史、さらに国際法上の地位からも合理的な主張であると考えられる。
8.沖縄民族の代表権の確保
「リオ宣言」第22原則、及び「アジェンダ21」第26章、「ウィーン宣言」Iの第20項に規定された先住民族の交渉参加権に従い、軍事基地の撤廃に向けての交渉には、その当事者として、日米両国政府とともに、沖縄民族の代表の対等な参加が確保されるべきである。
われわれは、沖縄に生きる住民、沖縄に生きる生活者として、自治、自立を目ざす理想および権利を有する。その理想および権利は、琉球弧の温帯的、亜熱帯的かつ島嶼的な絶妙の自然環境を背景に“守禮之邦”に象徴される非暴力の伝統と平和的な地域交流の歴史とに、深く根ざすものである。