札幌圏の精神療法

札幌|のっぽろカウンセリング研究室
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リスト・カットという生き方


 リストカット・シンドローム(手首自傷症候群)なる言葉があります。繰り返し手首を刃物で傷つける自傷行為です。自分のブログに生々しい写真(リストカットのやり方・方法)をアップして公開している、自称(自傷?)リストカッターも多数存在しているようです。

 以前に精神科に勤務していたこともあり、私自身、いろいろな方々の傷口を拝見してきました。なかには血管を探るような、えぐったような痕跡と出会うことがあって、その方々については本気だったのだなと思ったことがあります。

 刃物による自傷行為はリストカットだけではありません。レッグカット、アームカットだけでなく、ネックカット、ショルダーカットなど、身体のさまざまな部位が傷つけられることもあります。そして、傷口の深さは、ためらい傷程度のものから、縫合を必要とする深いものまで、実に多様です。

 では、どうして自傷行為を繰り返すのか、その理由は、原因は何なのでしょうか。リストカッターの心理を、どのように理解すればよいのでしょうか。

 まず、精神病的な幻覚妄想状態のなかで行われるのであれば、それは病気の症状に対する医学的な治療が優先されるかもしれません。致命傷となるような深い傷をつけないように、未然に防がねばなりません。しかし、いわゆるリストカッターは、このような精神病的な症状に苦しんでいるのではないようです。

 リストカッターの自傷行為は、自殺を目的としているのではないようです。そのような方々のお話に耳を傾けると、むしろ生きるために仕方なく行っているようなのです。つまり、滲む血、ポタポタと落ちる血を見て、自分が生きていることを実感するわけです。

 何事も続けると、それが生き方になります。「はまる」のです。いわゆる嗜癖、アディクションにもなり得ます。自分が生きている意味をリストカットに見出す、それが生き方になる、そのようなシナリオです。

 実際に自傷行為に及んでいるとき、その人は意識が解離してボーっとなっていたり、意識ははっきりしているものの普段の自分とはがらりと変わったリスカ・モードに変貌しているようです。

 自傷行為にはそれ以前があります。つまり、リストカッターにとっての悩み苦しみはリスカ自体ではなく、別の何かなのです(もちろん、自分の力ではもう止められないという悩みにもなり得る)。そこからくる悲しみが癒されないかぎり、おそらく自傷行為は繰り返されるか、あるいはそのような行為が無くなって他のアディクションにすり替えられるだけでしょう。

 リスカする我が子にどう対応すればよいのかと、そのご両親から相談されることがあります。しかし、私にはよい答えが見つかりません。無理に止めさせると、いま生きている意味、リストカットという生き方を奪ってしまうことになります。カウンセラーも、悩みながら、現実に即した、一人ひとりに適した対応を考えて行くしかないのです。本人の気持ちを汲みつつ待つこと、これは私が自分自身に言い聞かせている言葉です。

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