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大切なこと、それは日常


 少し長い前置きから始めます。

 カウンセラーなる心の専門家が職業として成立する時代になりました。このような仕事がいつ頃から現われたのか、いろいろな説があります。世界的にみると、おそらくこの一世紀のあいだに、いろいろな必要性から現われたのでしょう。

 では、カウンセラーが現われる以前、人々は相談事を誰にしていたのでしょうか? まずは、身近にいる人間でしょう。いまも、むかしも、同じことです。それ以外は? たとえば、お坊さんに相談していたのではないでしょうか。

 田舎に行くと、今も昔の風習が少し残っています。お寺さんと壇家さんの関係です。私の亡くなった祖母の話ですが、生前祖母はお寺の掃除など奉仕に行った際に、よくお坊さんに相談したことがあるそうです。人生はよいことばかりではない、どうしてつらいことがあるのか、そんな答えの出ない問いと答えのやり取りをして居たそうなのです。祖母の葬儀の際に、その僧侶から聞かされた心温まる話です。

 いまの時代、お坊さんは葬儀のときだけ不可欠のように思われるかもしれませんが、仏教とは、本来は人間が生きることにまつわる様々な教えを説いたものです。一言で言えば、人生の哲学です。宗教といえば今は困ったカルト集団もありますが、宗教なり信仰心は、私たちの日常と共にあったわけです。あの世と言うよりも、この世をどのように生きて行けばよいのか、人間が生きることに悩み、苦しむのは、今も昔も同じことです。

 長い前置きになりました。本題です。

 大切なこと、それは日常です。なにか悩みごとができたとき、私たちに必要なのは身近に相談できる誰かがいることです。こころの専門家など必要ないのです。愛する人や、友人や、肉親などです。

 しかし、愛すればこそその人には話せない、苦しみの対象がその親だ、話せるような人が身近に誰もいない、そんなときにはこころの専門家が必要になるかもしれません。

 いいえ、心の専門家だけではないでしょう。たとえばリラクゼーション産業があります。みなさんマッサージに行ったことがありますか? (最近は整体師「楽しんご」さんが大ブレーク) そこでは悩みそのものを相談するのでないにせよ、身体を揉んでもらいながら、たわいのない会話をするだけで随分と元気になりませんか。床屋やヘアー・サロンもそうかもしれません。何げない会話、それがよいのです。

 こころの専門家はいらないと公言する人もいます。私はそうは思いません。やはり世のなかにとって、カウンセラーも必要だと思います。ただ、悩みがあったらまずカウンセラーに、と言う風潮には首をかしげたくなります。大切なこと、それは日常だからです。

 継続してカウンセリングを受けると、おそらく次のようなことが起こるでしょう。最初は、日常生活があって、そこにカウンセラーと会う日が追加されます。そのうち、カウンセラーと会うことが日常生活に溶け込んで、会うこと自体が日常のように感じられてきます。けれども、いつかは別れがやってきます。カウンセラーと別れて、日常に帰って行くのです。たまに行く床屋やマッサージがあり、仕事があり、友人がいて、好きな人がいて、嫌な人がいて、そんないつもの日常です。しかし、カウンセリングを終えると、そんな日常が以前と違って感じられるかもしれません。

 こころの専門家のところに行くと、最初は目の前にいるカウンセラーが、なんだかすごい人に見えてしまうかもしれません。けれども、しばらくすると、そんなカウンセラーが普通のおじさん・おばさんに見えてきます。相手に慣れて、日常感覚で対面することができるようになるのです。相談者にとって、ここからが心理相談の本番なのかもしれません。


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