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二重人格・多重人格・解離性同一性障害


 札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。どの呼び名も同じ現象を指します。大雑把に二重人格の症状について言うと、複数の人格が同一人物に現われるものの、人格間のつながりがなく、交代人格がそれぞれ分断された状態になっています。児童虐待・トラウマが原因であるとする研究者が少なくありません。解離と言う精神のメカニズムが強く働いており、いわゆる憑依の現象も同様に理解されるのかもしれません。

 この現象はむかしから文学作品の主題としても取り上げられてきました。代表的なのは、ドストエフスキーの「二重人格」であると思います。その他「ジキル博士とハイド氏」や、実在する人物を描いた「24人のビリー・ミリガン」などがあります。

 二重人格・多重人格・解離性同一性障害の治療についてです。どのような方法でカウンセリングが行われるのかといえば、催眠が使われることもありますが、複数の分断された人格同士で対話を繰り返し、そうすることによってバラバラになった人格の統一を図るものです。この治療法は、声の心理療法の視点から言っても理にかなうことです。声と声とのあいだに意味の架け橋をするわけです。

 カウンセラー側の態度が人格の多重化を助長するのだとする批判もあります。つまり、複数の人格が存在するはずだと言う見方で接することに触発されて、受動的に交代人格が増えて行ってしまうのだとする意見です。はっきり表現すると、多重人格はカウンセラーが作り上げるのだと言いたげな含みが、そこにはあるようです。

 私自身は、このような方々とお会いしたことが無いのかもしれません。「かもしれない」と曖昧な表現をせざるを得ないのは、彼らの診断が確定するまでに数年を要すると言われているからです。つまり、相談にやって来たときには本人にもそのような自覚はまったくありませんし、カウンセラーの側からしてもそのような気配は感じられないのです。もしかすると、短期間でカウンセリングを終了した人たちのなかにいたのかもしれませんし、いなかったのかもしれません(心理テストだとなかなか確定しにくいかもしれません)。交代人格がはっきりとした形にはならない「特定不能の解離性同一性障害」と診断可能な方は複数お会いしたことがありますが、わたしにとっては未知の領域です。

 この病理について、一般的にはこう考えられています。つまり、一個の人格が複数に解離してしまうのだと。しかし、これは人間のパーソナリティに関するひとつの考え方にすぎません。反対の考え方もあるのです。

 私はこう考えています。人間は本来「超多重人格」なのです。人間は状況に応じて関係の取り方を変えて行くわけで、そこにはたくさんの人格が発生します。悪い意味で、あの人は裏表があるとか、人によって態度が違うとか、世渡りがうまいとか表現することがありますが、このようなことができるようになるのは大体小学生になってからです。フランスの心理学者アンリ・ワロンは、このような現象を「多価的人格」と呼んでいます。

 となると、ここで話題とする病理についてはどう考えたらよいのでしょう。こうです。彼らは超多重人格でいることができなくなり、いくつかの人格に機能が固定してしまったのです。人格は通常ペアで考えることができます。「誰か」に対する「自分」です。たとえば、「支配者」に対する「従順な私」、「口うるさい親」に対する「反抗する私」などです。これだけでも四人分のキャラクターに相当します。そのあいだを交代するだけで、超多重人格であることから閉ざされてしまう現象、こんな風に考えることもできるような気がします。

 この二重人格・多重人格・解離性同一性障害の病理は、交代人格と言う派手な側面ばかり注目されがちですが、根本にあるのは意識の解離であると思います(心理テストで見て取れる場合もあります)。これは人間であれば、あるいは生物であれば、危機的状況に発動する自然なメカニズムです。意識がぼんやりしたり、まるでマヒしたかのようになったり、意識を失って倒れたりすることで、さしあたり危機を回避することができるわけです。この「さしあたり」のはずの危機に長期間さらされ続けた結果として、この病理は完成するのかもしれません。以上、札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。


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