江別等、札幌圏の精神療法
性格と人格
カウンセリング(以下、精神療法と表記します)に通ったからといって、はたして性格を変えることはできるのでしょうか。性格改善は、どこまで可能なのでしょう。この点について考えるには、まず言葉の意味を整理する必要があります。性格、人格、この二つの言葉の意味について考えてみましょう。
性格とはキャラクターのことです。語源をたどると、刻み込まれたものです。大雑把にいえば、気質のようなもので、生まれながらの生物学的な側面を多分に含んだ概念と言えます。
他方、人格とはパーソナリティのことです。これは性格よりも広い概念でして、外的環境への適応の側面も含まれてきます。
人格形成の理論
今度は人格形成の考え方です。これには、大きく分けて三つの考え方があります。つまり、性格は先天的に生まれながらにして規定されるものなのだという説、性格は成長過程の経験によって後天的に形成されて行くのだという説、それから、性格は生得的な側面と後天的に獲得される側面が複雑に入り組んでいるのだと言う輻輳(ふくそう)説です。
次は人格の代表的な理論です。これには二つの代表的な考え方があります。ひとつは、外向的タイプ、内向的タイプなどの、類型論と呼ばれる考え方です。もうひとつは、特性論と呼ばれるもので、一個の人格を様々な要素的な特性の束として理解するものです。
最後に、もうひとつだけ紹介しましょう。
いままで述べてきた考え方が暗黙の前提としているのは、その人の振る舞いは状況を超えて一貫しているというものです。つまり、性格とはいつでもどこでも変わらないのだという考え方です。しかし、これとは正反対の考え方もあります。人間の振る舞いは状況によって変わるものであって、仕事「モード」のその人と、家庭「モード」のその人は、異なる行動を取るというものです。たとえば、札幌で仕事をする私と、札幌を離れた自宅でくつろぐ私は、ちょっと違っているかもしれません。
性格の変わりにくい側面
何だか、いろいろな考え方があって、目が回りそうです。では、精神療法によって「性格は変えることができるのだろうか」という問いに対する答えを考えましょう。結論から言えば、その答えは半ばイエス、半ばノーです。
一口に性格や人格といっても、比較的変わりやすい側面と、変わりにくい側面があるような気がします。我が家の猫で考えてみましょう。
我が家には姉弟の猫が二人います。札幌のペットショップから、何年か前に連れてきました。弟と比較して、姉は小さい頃から落ちついていました。しかし、弟の方は小さい頃から落着きがありませんでした。大きくなったら変わるだろうと期待していたものの、そのまま落着きの無い大人になってしまったのです。小心で、ちょっと過敏で、行動のテンポが速く、かなりいたずらもします。
三つ子の魂百までと言いますが、そう言えば私も、幼い頃から精神的なテンポが遅い方です。おっとりしている感じ。基本的にはいまも、昔も、変わりません。加えて、札幌の職場にいるときも、札幌を離れた自宅にいるときも、そうかもしれません。猫も含めた生物全般がそうなのかもしれませんが、性格には、生まれながらにして強く規定される側面(ということは生物学的側面)が確かにあるようです。反対に、けがや病気によって脳が損傷すると、その規模や場所によって、人格がすっかり変わる場合もあります。
精神療法がアプローチする側面
薬を飲めば、人間の生理的側面に直接作用が及びます。しかし、精神療法が働きかけるのは、人間の心理的・社会的・文化的・歴史的側面になります。そのため、おっとりとした人をテキパキした人に「改造」するためには、あまり適切な方法ではありません。
もう少し具体的に言えば、精神療法がアプローチするのは、ものの考え方や見方や感じ方といった心理的側面、対人関係や振る舞いや行動といった社会的側面、その人が生きている場や生きてきた成育史といった文化的・歴史的側面なのです。
精神療法がアプローチするのは、このような側面です。性格の一部分が変化すれば、全体としてのパーソナリティにも何らかの変化が生じると考えるわけです。
やっぱり性格は変わらないのか
性格の生得説に立てば、性格は変わらないということになります。しかし、現実には、何かをきっかけとして、振る舞いや印象がガラッと変わる人たちがいるのも事実です。いわゆる人変わりです。
実は、心理学的なテクニックで人間を「改造」することもできます。たとえば「洗脳」がそれです。あるいは、一定の条件付けを応用することで、躊躇なく引き金を弾くことのできる兵士を作ることも可能のようです。恐ろしいことです。
一定の行動パターンを形成するために、広く行われていることもあります。たとえば、企業の社員教育です。セミナー等で行われるトレーニングやコーチングは、会社に利益をもたらすことを目標として、各自の行動を形成するものなのかもしれません。
あなたが変えたいのは、本当に性格か?
「性格を改善したい」と言う理由で来談される方々のお話に耳を傾けると、性格というよりも、考え方や振る舞いのパターンを変えたい方が少なくないような気がします。たとえば「暗い性格を直して明るくしたい」という方が来談したとして、少しお話を聞くと、自分に自信が無いので人前では明るく振る舞えないと話されるかもしれません。
この場合、自信のなさを取り上げずに、とにかく明るい行動をとれるように目指すのであれば、笑顔のトレーニングとか、こんなときはこうしよう的なコーチングが行われるのかもしれません(私は行いませんが)。
精神療法で性格改善は可能か
これに対する答えはすでに述べました。イエスとも、ノーとも言えます。けれども、これだけは言えます。なにごとも、急激な変化は避けたほうがよいでしょう。精神療法を介して性格を改善する努力をするにしても、時間をかけて、あまり無理にならないようにしたいものです。人格を「改造」する方法についても触れましたが、私に言わせると、ちょっと非人道的のような気がしています。
いまのままではいけない、自分は変わらなくちゃならない、そう考えて精神療法を求める人たちが少なくありません。とても高い動機づけによって動かされているわけです。私は、そのような方々を尊敬し、真摯に耳を傾けます。劇的な変化を生み出す力は私にはありませんが、時間をかけて、一緒に歩んで行く伴侶にはなれるかもしれません。そのなかで、少しずつ「性格」は変化して行くのでしょう。
最後に、少しだけ宣伝させてください。私の相談室は、札幌の隣町にあります。札幌圏全域の方々にとってアクセスのよい場所にありますから、多くの方々に利用していただけるはずです。
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