恵庭等、札幌圏の精神療法

札幌|のっぽろカウンセリング研究室
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怒りのカウンセリング



 怒りをコントロールできない、怒りを鎮める方法を教えてほしい、このようなお悩みを抱えている方は少なくないでしょう。過度に怒りっぽいので、自分は何か病気ではあるまいかと悩む方もいるかもしれません。なるほど、衝動制御の障害として「間欠性爆発性障害」と言う診断名もあるくらいです。癇癪を起こす、突然キレる、感情を爆発させるなど、尋常ではない怒りの発作です。

 怒りに対してはさまざまな流派の心理療法が、さまざまなアプローチを打ち出しています。けれども、全体として共通するのは、感情や、それが湧きあがるプロセスを意識的な自覚にもたらして、みずからコントロールできるようになるのがゴールだと言うことでしょう。その背景には、原始的な感情を理性の力によってコントロールする、上から下に向けて制御すると言う、大昔から続く人間観があるようです。

 さて、怒りのカウンセリングを求めて相談に訪れる方々のなかには、お話を聞いていると、「それは怒って当然ではないだろうか。当然の怒りさえ消し去りたいのであろうか」といった印象を与える人が少なくありません。もちろん、自分の怒りの発作のせいで大変な状況が生まれている場合もあり、そんなときには何らかのケアが必要なのは言うまでもありません。しかし、やはりカウンセラーの視点から見ると、「その怒り、何か問題があるの?」と問いを投げかけたくなることが少なくないのです。

 どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。社会的、文化的な背景、あるいは時代的な背景が、大きな影響をおよぼしているのかもしれません。

 私が幼い頃、怒っている人を目にする機会は稀ではありませんでした。喜怒哀楽はごく自然に吐露される時代だったのです。けれども、いまの時代、怒っている人を目にする機会がほとんどなくなってしまったような気がします。人間から怒りが消え去ってしまったのでしょうか。いいえ、そんなはずはありません。

 時代の流れのなかで、私たちは否定的な感情を消し去ろうとしてきたのかもしれません。感情をあらわにすれば「みっともない」と言う世間様の目があるのです。そのような社会的風潮のなかで生きているかぎり、感情を出す自分は駄目で、出さない自分はよい、などといった価値観が自分を支配することになります。結果として、それが当然の怒りであるとしても、自分には怒りのコントロールができない、何とかしなくてはと悩む人も出てくるわけです。

 本当の意味で怒りのコントロールができない人は、おそらく自分で悩むのではなく、むしろ周囲の人たちを悩ますことが多いはずです。したがって、自分から進んで相談に訪れるとは、考えにくいのです。怒りのコントロールができないと悩んでカウンセリングを求める方は、いまいちど自分の怒りがどんな類いのものなのか振り返ってみることをお勧めします。もしかすると、その怒りは当然のことであるかもしれないのですから。

 泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり、このような感情は人として自然なことです。もちろん、場によってはみっともないと感じられることもあるでしょうが、それもまた人間なのですから、当然の感情です。腹が立って激怒することも、たまにはあるでしょう。人間なのですから。


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