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暴力の問題


 札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。児童虐待、DV、ストーカー行為など、暴力と密接な関連のある問題です。少し話を広げて始めましょう。

 むかしは、家族が生きるために、その一員を遺棄して死なせることが行われました。記憶違いでなければ、思想家のジャン・ジャック・ルソーも子供を捨てたことがあり、わが国には姥捨て山の伝説があります。それから、むかしは「大人」や「子供」の概念すらなかったようです。いまのような子供の権利うんぬん以前の話で、子供は単に小さな労働力に過ぎない時代と国があったわけです。

 21世紀になって、上記のような意味で言うと、世の中がとてもソフトになったような気がします。けれども、世界のどこかで、いつも戦争状態は絶えませんし、民族間の紛争やら、内輪のけんかやら、子供の酷使やら、とにかく人間に暴力はつきもののようです。人間性の闇の部分なのでしょう。
 
 普段人当たりがよくて、物腰柔らかな人でも、「キレる」ことがあります。そのとき私たちは、その人のことを別人のようだと言います。けれども、キレたその人はもちろん別人ではありません。それは、あくまでその人なのです。人間は多様な側面を兼ね備えた、「複数にして単数の存在」(ジャン・リュック・ナンシー)なのです。

 自分よりも弱い立場にあるものを殴ったり、蹴ったり、生命を危険にさらしたり、あるいは逆に、妻が暴力に耐えかねて誤って夫を殺害してしまったりと、そういう出来事が後を絶ちません。そこに暴力のある現場は、いつも緊迫した状態にあります。何とかしなくてはと、誰しも考えるでしょう。

 暴力や生命の危険に晒される側を保護しなければならぬのは、当然のことです。緊急を要することですから。しかし、このページは、暴力をふるってしまったり、相手を生命の危機に晒してしまう側に対するカウンセリングについて、少しだけ触れたいと思います。

 もちろん、虐待やストーキング行為を助長するための援助は、援助とは言えません。それだと単なる加担です。私が援助できるとすれば、「やってはいけないと分かっている、でもやってしまう」と言うアクラシアを自覚する人たちです。

 上記のようなアクラシア、つまり「分かっちゃいるけど、止められない」方々以外にも、たとえば児童虐待であれば、パートナーに支配されて子供の虐待を余儀なくされている方もいるはずです。きっとそのような女性には、パートナーと「別れたい、でも別れてしまったら・・・」と言う葛藤があるのかもしれません。得るものがあれば失うものがある、どうすることもできない現実がそこにはあります。もしかしたら、このような方々のお力にもなれるかもしれません。

 子供に愛情が湧かず、育児を放棄してしまうネグレクトもあります。母性愛は疑わしいものです。誰もがみな我が子が可愛いのかと言えば、それは単なる建前でしょう。さまざまな理由で、あるいは理由は分からないけれど、どうしても我が子が好きになれないことは、むしろ人間の心情としてあり得ることです。

 コメントが児童虐待に偏ってしまいました。以上、札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。


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