札幌圏の精神療法

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ボーダーラインって何?


 カウンセリングや精神医療の世界で、よく耳にする言葉があります。「ボーダーライン」です。その他、ボーダー、境界例、境界線例、境界性人格障害、境界性精神病、などと呼ばれることもあります。このボーダーラインと呼ばれる人たちにはどのような特徴があるのでしょうか。そして、ボーダーという概念は歴史的にどのように変遷してきたのでしょうか。

 ボーダーライン概念をもっとも早い時期に作ったのは、私の知るかぎり、力動的精神科医のロバート・ナイトであると思います。彼は、アルコール依存症者の精神病理を研究していて、ボーダーライン・ステート(境界状態)なる状態を彼らに観察したのです。もう半世紀以上も前のことですから、すでに忘れ去られているのかもしれません。

 その頃から、精神病様の状態に陥るものの、急性期の嵐がやむと正常に服する人たちのことが注目され、その精神病理を境界性精神病と呼ぶ時代があったようです。ここでの「境界」は、正常と異常(精神病)のあいだを一気に飛び越えてしまうこと、つまり正常な精神状態と精神病的な精神状態の境界を意味しています(あるいは、こちらとあちらの世界を一気に飛び越えるので中間にとどまらないという意味か?)。

 このように、ボーダーラインという名称は、むかしはかなり重篤な病理を意味していたようです。

 その後、力動的精神科医のカーンバーグが現われました。彼は人間のパーソナリティの構造を、大きく三つに分けました。つまり、正常・神経症的人格構造、境界的人格構造、精神病的人格構造です。パーソナリティの骨組みがどれくらいしっかりしているのか、その違いによって、分類を作ったのです。ここから転じて、病態レベル(精神病理の重篤度)を意味するようになったような気がします。ここでのボーダーラインは、精神病的人格構造や神経症的人格構造の中間に位置することを意味します。いわゆる自我の強さが、中間的な段階に位置づけられるわけです。

 しかし、精神医学の領域にDSMなる診断基準が導入された1980年代以降になると、このボーダーラインは人格障害の一種として規定されるようになりました。つまり、さらに狭い概念になってしまったのです。

 いまのDSMには、境界性パーソナリティ障害の診断基準が掲載されています。ここにそのまま書くことはしません。少し言葉を変えて列挙しましょう。

 ・他人から見捨てられることを避けようとする気も狂わんばかりの努力がある。
 ・褒めたり貶したりの両極端を揺れ動くような、不安定で激しい対人関係のスタイルがある。
 ・自己像や自己観が著しく不安定で、同一性の障害がある。
 ・浪費、性行為、物質濫用、無謀な運転、むちゃ食いなど、自分を傷つけるような衝動性がある。
 ・自殺を企図したり、そぶりを見せたり、自殺すると周囲を脅したり、自傷行為をくり返したりする。
 ・感情がとても不安定で、短時間のうちにガラッと変わってしまう。
 ・胸にぽっかりと穴があいたような慢性的な空虚感、さみしさ、むなしさがある。
 ・よく癇癪(かんしゃく)を起したり、いつも怒っていたり、取っ組み合いのけんかを繰り返したりで、怒りのコントロールが困難。
 ・一過性ではあるが、ストレス関連性の妄想様観念、あるいは重篤な解離症状が認められる。


 以上が、現代的な境界性パーソナリティ障害の診断項目です。みなさんは、この診断基準についてどう思いますか。

 実は、この診断基準がDSMに取り入れられるときに、専門家の間でいろいろな論争がありました。科学的な根拠を強調するパーソナリティ心理学の専門家であるミロンは、このようなパーソナリティ障害は成立しない、科学的根拠がないと異を唱えました。それに対して、ボーダーラインという概念を作り上げてきた力動的な精神科医の一群(精神分析医たち)が、猛烈に反発しました。結果として、精神分析医たちの力が大きかったようで、DSMには、この奇妙な人格障害が組み込まれることになったのです。ある文献によると、診断名・基準の採択には、政治力学が作用しているようです。

 私が思うに、確かにこのような方々の一群が臨床的に存在することは知っているのですが、上記の項目は一定の人格傾向を指しているような気がしません。他のパーソナリティ障害の診断項目に列挙されているものとは、なんだかとても異質な次元が取り上げられているような気がしてならないのです。

 カウンセラーにとって、このボーダーとはどのような存在に映るのでしょうか。ある人は、もうそろそろ楽をしようと考えている初老期の臨床家を恐怖のどん底に突き落とす存在と言っています。またある人は、厄介な存在、骨の折れる人と呼んでいます。どうしてでしょう。それは、自殺のそぶりを見せたり、感情が不安定であるゆえに強い感情を向けたりで、カウンセラーたちが手を焼いてしまうからです。カウンセラーも一人の人間です。そう思うのも無理のないことかもしれません。

 これは私の気のせいかもしれません。なんとなく、ボーダーという診断は「厄介な人」に貼られるレッテルになり下がっているような気がします。あまり意味のない診断名と言いますか。いまの私にとっては、このような診断名など、ある意味でどうでもよいことになっています。ミロンと同じように、こうしたパーソナリティ障害が成立するとは、そもそも思っていないものですから。

 一般の方々に向けたコラムとしては、ちょっと難しすぎたかもしれませんね。ごめんなさい。ボーダーに関しては、その原因をトラウマ(心的外傷)や児童虐待等と結びつけて論じる人たちがかなりいるような気がします。ヴァン・デア・コークやハーマンなどがそうかもしれません。それについては、また機会を改めて触れることにします。


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