札幌圏の精神療法
このページは、以前ブログに記載したものをそのまま転載しました。一人のクライエントがカウンセリングを受け、自分自身がカウンセラーになっていくプロセスを、物語にしたものです。自分で読み返して痛感するのですが、私は作家には向いていないようです。恥ずかしながら、興味のある方はどうぞお読みください。
もくじ
序 章-カウンセリングを受ける人の気持ち
第1章-カウンセリングを受ける理由
第2章-カウンセリングに行こうと思うのですが
第3章-初めてカウンセリングに行ってみると
第4章-カウンセリングに心理テストって必要なの?
第5章-カウンセリングが始まりました
第6章-カウンセリングを止めたくなるとき
第7章-抑うつと内省カウンセリング
第8章-カウンセリングが終わるとき
終章-これからカウンセリングを受けるみなさんへ
序章-カウンセリングを受ける人の気持ち
私は数年のあいだ、クライエントとしてカウンセリングを受けたことがあります。いまは何とか自分の力で生活していて、いろいろなことがあっても、毎日元気にやっています。
私は、自分がカウンセラーになろうと思って、カウンセリングの勉強をしました。ある大学院に進学して、トレーニングを積みました。いつか、自分のカウンセリング・ルームを開設しようと考えています。もう若くないので、あと20年くらいしかカウンセラーとして活躍できないかもしれませんが、やってみるつもりです。
このブログには、自分のカウンセリング体験を綴ろうと思います。クライエントの立場からです。カウンセラーとして巣立った私が、かつてのクライエントだった自分とお別れする意味もあります。それに、なによりも、これからカウンセリングを受けること考えている人たちに、私の体験が何か役立つかもしれないと思いました。
カウンセリングの勉強をしてみて分かったことですが、以前にクライエントの立場にあった人間がカウンセラーになることを否定する人たちがいるようです。たしかに、クライエントとしての体験がカウンセラーになったとき役立つのかと言えば、私はそれが直接役立つとは思いません。クライエント体験は、カウンセラーとしてのトレーニングではないからです。でも、それはちょっと・・・・。
では、私のささやかなエッセーのはじまりです。ここに書かれてあることは、真実と虚構の入り混じったフィクションと考えて下さい。というよりも、ひとつの物語、ストーリーとして考えて下さい。事実関係をそのまま書くと迷惑がかかってしまう人たちもいますから、できるだけ登場人物は少なくしています(誰も登場しないかもしれません)。私がお世話になったカウンセラーの先生の言葉も少し取り入れましたが、先生には許可を取ってあります。ありがとうございました。
第1章-カウンセリングを受ける理由
私はもう中年のおばさんです。若くありません。大学を卒業してある企業に勤めて、ずっと身を粉にして働いてきました。20数年間。業種や職種は内緒です。いわゆるキャリア・ウーマンと呼ばれる類いの人間かもしれません。部下もいましたし、バリバリやってきました。結婚はしていません。
気がつくともうこの年齢です。パートナーのいない寂しい女、いつの間にか自分のことをそう呼んでいました。仕事はいろいろと対人関係のこととか大変だったけれど、それよりも、自分の人生というか、生き方に疑問をもつようになりました。
もちろん仕事はこなしていました。しかし、気分の落ち込みがどんどんひどくなっていきます。私は仕事に生きる女でよいのだろうか、パートナーもなくて寂しい老後になるのだろうな、毎日一人寂しく飲むビール・・・・・・。
カウンセリング、という言葉が頭をよぎりました。我ながら意外でした。社内でカウンセリングを受けている人はいるようですが、まさか自分がそんなことを考えるなんて。とんでもないことだと思いました。心の相談だなんて、弱い人間が行くところであって、私はそうじゃないと考えていたのです。
来る日も来る日も考えました。私は弱い人間じゃない、強く生きてきたの。カウンセリングに行くほど悩んでいないし、自分はそんな人たちとは違う。
しかし、気がついてみると、私には相談できる人が一人もいませんでした。キャリア・ウーマンとして生きてきて、社内で相談するのは命取りですし、親しい友人もいなかったのです。ひとりぽっち。私は一人ぽっちだったのです。
気分の落ち込みが、ますますひどくなっていきました。もう、カウンセリングなんか行きたくないとか、自分はそんな人間じゃないとか、そんなこと言ってる場合ではなくなりました。でも、精神科や心療内科のクリニックは絶対いやです。薬は飲みたくありません。本当に弱い人間になってしまう。
いま考えると偏見ですけど、私はそんなことを考えていました。
仕方がない、カウンセリングに行こう。私はプライドの高い人間のようです。行きたい気持ちと、行きたくない気持ちが、心のなかで戦っていました。
第2章-カウンセリングに行こうと思うのですが
カウンセリングを受けよう。でもどこに行けばよいのかな。私はネットで調べてみました。すると、びっくりするほど相談室が出てきました。こんなにあるの?
私は、ひとつひとつホームページをくまなく読みました。それだけで大変です。目移りがします。相談室によって料金はさまざま、カウンセリングの種類もさまざま、相談できる悩みもさまざま、もうどこに決めたらよいのか。
私は、自宅から一時間以内のところにあるカウンセリング・ルームに絞りました。一軒ありました。そのカウンセラーのプロフィールを見ると、臨床心理士の資格を持っているようです。カウンセリングに資格があることも知りませんでした。調べてみると、本当にたくさんあります。ただ、国家資格ではないのが気になりましたけれど。
そのカウンセラーの先生は、たくさん研究業績をお持ちのようでした。本も書いています。たくさんホームページを見たのですが、専門家として信用できると思って、ここにまず問い合わせて見ることにしました。
電話します。心臓はドキドキです。一体どんなカウンセラーなんだろう。
「はい、○○カウンセリング・ルームです」。先生の声です。心臓が高鳴ります。声も震えます。緊張しました。10分くらい簡単に事情を聴かれたり、分からないことを私からいろいろと質問しました。先生の声はとても穏やかで、ゆったりとしたテンポなので、私もいつの間にかリラックスしています。予約の日時を決めて、会話は終わりました。
男性のカウンセラーです。声を聞くかぎり、話しやすい人のようです。でも、実際にお会いしてみなければ、どんな人なのか心配です。怪しいところだったらどうしようとか、いろいろと不安がよぎりましたが、まず行ってみようと腹をくくりました。
私はここに、二年間通うことになります。そして、自分の人生も大きく方向転換を迎えます。この時点では、まさかそんなことになるとは考えていませんでしたし、二年間もカウンセリングを続けるだなんて、夢にも思っていませんでした。
料金は一回につき10000円でした。決して安くありません。最初のカウンセリングは少し時間がかかるそうです。少し詳しい事情とか、生活史などを聞きたいそうです。インテーク面接というやつですね。
第3章-初めてカウンセリングに行ってみると
今日は休日です。予約した時間ちょうどに、カウンセリング・ルームに到着しました。ここは閑静な住宅街です。街中のビルのなかにある相談室ではありません。一軒家の一室を相談室に改造して使っているとのことです。築何十年たつ家なのでしょう、かなり古びています。相談室の看板も色褪せています。
こんな考えがふと浮かびました。もしかしたら、いまの私よりも生活水準が低いのかもしれない。あまり裕福ではないカウンセラー。
チャイムを鳴らします。心臓の鼓動はマックスです。一体どんな顔をしているか、何者なのか、どんな雰囲気の人なのか。
「はーい」という声が聞こえると、ドアが開きました。カウンセラーの先生が私を迎えます。「はじめまして、ようこそ」
先生はよれよれのポロシャツを着ていました。意外でしたが、ごく普通の人に見えました。普通のおじさんです。私は直前まで幻想を抱いていました。何か超人的な力をもった、すごいヒーラーのような。予想は見事に裏切られました。
部屋のなかは、とても清潔な感じです。こじんまりとしていますが、窮屈ではありません。家の外観とは、ちょっと違っています。不思議なことに、室内にはおもちゃがたくさん置かれています。人形のコレクションをしているようです。怪しい、もしかしてオタクの人?聞いてみると、箱庭療法という心理療法で使う道具なのだそうです。ひと安心です。
緊張のなかでインテーク面接が始まりました。私は、自分がいま悩んでいることや、これまでの生活史や、住所などの個人情報を聞かれ、ひとつずつ答えて行きました。でも、自分の悩みを言葉にして話すのは、とても大変なことでした。いざ話すとなると、なかなか言葉にできないのです。いまと無関係な昔のことまで聞かれたので、どうしてそんなことまで話さなければならないのか疑問でしたが、カウンセリングには必要なのかなと思って、包み隠さず話しました。
一通り話し終えて、先生がこんなことを言いました。私の悩みは生き方とか、自分の性格的なことだから、カウンセリングを始める前に心理テストをして、その結果について二人で話し合ってみないかというのです。心理テストか。なんだか心を見透かされるようで怖い感じもありました。
第4章-カウンセリングに心理テストって必要なの?
カウンセラーの先生の説明では、医師が診断してから治療を行うように、カウンセリングの前に心理学的な診断が必要なのだそうです。見立てという言葉も使っていました。心理テストの結果について話し合うときに、カウンセリングが有効なのか、いろいろと見立ても話して下さるそうです。
カウンセラーには、心理テストを使う人も、使わない人もいるそうです。先生は、たまたま心理テストを使う人でした。私にとってはあまり必要ないのですが、先生にとっては必要なのでしょう。仕方ありません。
日を改めて、私は心理テストにやってきました。ロールシャッハ・テストとMMPIという心理検査を行いました。少し時間がかかって疲れました。ロールシャッハは絵を見せられて、それが何に見えるか答える検査でした。MMPIは、たくさんの質問項目を読んで、はいか、いいえで答えるものでした。終了するまでに、全部で三時間くらいかかりました。ちょっとヘトヘトです。
これで一体何がわかるのだろう。疑問がいっぱいです。心理テストは心を見透かされるようであまり乗り気ではなかったのですが、反面、そんなものは信じていませんでした。どうしてって、占いみたいなものだと思っていたのです。手相やら何やらを見て、運勢を占うような。先生の説明では、心理テストは占いではなく、心理学的な基準に沿って、しっかりと作られているとのことです。私は、誤解していたようです。
また日を改めて、テストの結果を話し合うためにやってきました。
この日、カウンセラーの先生が、テストの所見をひとつずつ話して下さいました。それに対して、私の感想や意見を求めます。その通りと思った結果も、これは違うと思った結果もありました。率直に意見を述べて、先生もそれを聞いてくれました。
ひとつだけ、気がかりな結果がありました。MMPIのある尺度がとても高いのだそうです。正直、それについては聞いていて少し腹が立ちました。違う、私はそうじゃないと。でも、後になって考えてみると、それは当たっていました。そんなことに気がつくまで、カウンセリングであと一年以上もかかるなんて、そのときには想像もしていませんでした。自分が拒んでいること、認めたくないことが、いまある自分の問題と大きくかかわっているなんて、そのときの私には分かっていなかったのです。
第5章-カウンセリングが始まりました
結果として、カウンセリングがスタートすることになりました。料金は一回につき1万円、一回の時間は50分、二週間に一回、ということです。面接で話すことをあらかじめ考えて用意してくる必要はなく、ここに来て、そのつど話したいことを口にすればよいそうです。
一体どれくらいの期間が必要なのか、疑問に思ったので尋ねてみました。するとカウンセラーの先生は、生き方や性格的なことだから、おそらく長期間を要するだろうという回答でした。具体的には、実際に進めてみなければ何とも言えないそうです。
とても不確かななかで、カウンセリングは始まりました。
何を話せばよいのだろう。自分の悩みは、はっきりとしていました。でも、何を話せばよいのか皆目見当がつかないのです。困った。話すことはどんなことでもよいと言われると、人間は迷ってしまうのです。話すことを決められた方が、随分と楽なのかもしれません。私はカウンセラーの先生に、思い切っていまの自分の気持ちを伝えることにしました。
何を話すべきなのか分かりません。
すると先生は、こんなことをおっしゃいました。「何か話すべきこととか、話すべきではないこととか、自分でも知らぬ間に区別しようとされているのかな」。はあ、そう言われると、そうかもしれません。私は、カウンセリングだからあれを話した方がよいとか、これは話す必要がないとか、自分でフィルターにかけていたのです。それで、カウンセリングにふさわしい話題は何か、頭で考えようとしていたのです。
それから、こんなことも先生は話してくれました。「それでよいのです。あなたはいま、「何を話すべきなのか分かりません」と口にすることで、いま思い浮かんだことや、いまの気持ちを話してくれたわけです。あらかじめ何かストーリーを作ってそれを語ろうとするのではなく、「いま」を言葉にしたのですから」。うーん、これは目からうろこでした。
不確かさと、安心感と、いろいろな気持ちが渦巻く中でカウンセリングはスタートしました。これからどうなるのだろうと不安もあったのですが、やってみようと決心することができたと思います。
このカウンセラーの先生は、やわらかで優しい印象と、しっかりとした芯を感じる人でした。両面兼ね備えていて、大地のようであり、風のようであり、・・・・・・。
第6章-カウンセリングを止めたくなるとき
カウンセリングを始めて一年が経過した頃のことです。私はその頃、わけもなくイライラしていました。どうしてイライラしているのか、その理由も定かではありませんでした。なんとなくです。ある日、いま振り返ると、とても恥ずかしいことが起こりました。重要な転機になった出来事です。
その日の面接で、私はカウンセラーの先生に対して、怒りをぶちまけてしまいました。自分でも驚きました。こんなに攻撃的になってしまったのは、初めてのことかもしれません。先生が私を挑発したのではないのです。話しているうちにだんだん腹が立ってきて、それで、いろいろなことを口にしてしまったのです。先生は、黙って、しっかりと聞いていました。具体的な内容については書けません。でも、そのときに気がついたことがあります。
私はいままで、目の前に居るカウンセラーの先生をバカにしていたのかもしれません。上から目線で、貧乏なカウンセラーのように見ていたのです。私の方が収入が多いのは目に見えていましたし。それから、私は自分の生き方を変えなくちゃと思っているけれど、実際はまだまだキャリア・ウーマンとしてバリバリ仕事をしたいのかもしれないと言うことです。
カウンセリングを始めるときに心理テストをして、先生と話し合ったことを思い出しました。MMPIの結果です。それは、私にはプライドが高いところがあって、ライバルと思う相手と張り合おうとするかもしれない、というものでした。たしかに、これまで私は「見返してやる」という言葉を心のなかで呪文のように唱えながら生きてきました。「負けない」とか、「なめられたら駄目」とか、勝ち負けを意識する言葉ばかり。私にとって、これまでの人生は、勝ち負けに左右される息苦しいものだったのかもしれません。
怒りをあらわにしてから、私は落ち込みました。ひどい抑うつがやって来たのです。苦しかったです。それが半年くらい続くことになりました。カウンセリングを止めたくなったのは、この出来事が起こってから、二ヶ月くらいのあいだでした。
やめたい。もう行きたくない。でも私は休みませんでした。仕事も、カウンセリングも。
これから半年のあいだ、私は抑うつのなかで内省を進めて行きました。本当の意味で、カウンセリングがスタートしたのです。もちろんこれまでの面接も無駄ではありませんでしたが、本格的に心のなかが動き出したのです。辛い、つらい、内省作業でした。
第7章-抑うつと内省カウンセリング
カウンセリングのなかで、私は涙を流すようになりました。先生の前で、これまで泣いたことがなかったのに。でも、いままでの人生を振り返ると、私は泣いたことがないのです。もちろん、幼い頃はあったかもしれません。けれども、大きくなってから人前で泣くなんて、そんなことは自分らしくないと思っていました。というよりも、他人に弱みを見せてはならないという一心だったのです。
泣きながら話すこと、自分のことを言葉にすること、生まれて初めての体験でした。そして、そのような私の話を、安心できる人に聞きとってもらうこと。カウンセリングって、こういうことなのかな、ふとそう思いました。
私はいままで、たくさん傷つきながら生きてきました。でも、反対に、たくさんの人たちを傷つけて生きてきたのも事実です。そう考えると、罪悪感、自責の念に襲われました。来る日も、くる日も、自分を責め続けました。くよくよ、抑うつの日々が続きます。深い、深い、出口のない穴のなかへ落ち込むかのようです。絶望しました。自分がこんな人間だなんて。
ある日、私は夢を見ました。
私は深い森のなかでさまよっています。助けを呼んでも人っ子一人いません。いるのは、怖い、野生の動物たちばかりです。そこに一人の男性が現われました。いいえ、男性なのか女性なのか、はっきりしません。その人が「こっちに来なさい」と言うので、私はついて行きました。すると、大きな木の「うろ」のなかに生まれたばかりの赤ちゃんが眠っていました。その子は、なんと金色の光に包まれていました。人間の子ではないようです。私を導いた人は、「子どもが生まれた。君はこの子を育ててほしい」と言い残して、消えてしまいました。
不思議な夢です。不可解。でも、この夢を見てから、私は変わったような気がします。理由はありませんが、怖い森の中に光が差し込んで、これから先の人生は何とかなると思ったのです。
よい自分も、悪い自分も、あるがままを受け入れよう。そうすれば生き方も変わるはず。涙と内省のカウンセリングは、それ以来、希望の色に変化し始めました。ここに来てから、もう一年半が過ぎようとしていました。長い、長い道のりでした。そして、もう少しカウンセリングは続きます。
第8章-カウンセリングが終わるとき
カウンセリングを始めてから二年の日が近づいてきました。私はもう、自分の力で何とか生きていけるような気がしていました。そして、カウンセラーの先生とも話し合って、まる二年で終結することになりました。
カウンセリングから離れるとき、私には決心していたことがあります。カウンセラーの先生とも、それについては話し合いました。
いまの仕事を止めて、カウンセラーになりたい。生き方を変えます。
それを聞いたカウンセラーの先生は、とても驚いた表情でした。その表情を見て、私はもっと驚きました。そんなに驚かなくてもいいのに。自分がカウンセリングの仕事に向いているか、思い切って尋ねてみました。先生の答えはこうでした。
クライエントとしてのカウンセリング体験は、カウンセラーになるためには直接役に立たないだろう。カウンセラーになるにはトレーニングが必要。カウンセラーとしての適性は、いろいろな専門家がいろいろなことを言っているけれども、まずは「なりたい」という気持ちが大切。その気持ちがなければ、続かないでしょう。
それから、先生はこんなことも話してくれました。もし自分がカウンセラーになったとしても、かつて自分が一人のクライエントであったことは口にしない方がよいでしょうと。それは、信頼できる人だけに打ち明ける秘密にしておいた方がよいと。理由を尋ねると、先生は正直にいろいろなことを話してくれました。それを聞いて、私は納得しました。ここには書くつもりありませんが、そのほうがよいと思いました。
カウンセリングが終結した翌年、私は会社を辞めました。そして、カウンセラーを目指して、大学院に進学することにしたのです。受験勉強をしっかりとして、希望校に無事合格しました。
いま私は、大学院を修了して、ある相談機関でカウンセラーをしています。ということは、かつてのクライエントがカウンセラーになったのです。忙しい毎日を送っています。自分自身がクライエントだった頃、私は、「カウンセラーはクライエントの気持ちを分かっているのだろうか」と考えることがありました。でもいまは間逆です。「私はクライエントの気持ちを分かっているのだろうか」。日々、この言葉を自分自身に問いかけています。
終章-これからカウンセリングを受けるみなさんへ
これで私のストーリーはお終いです。最後まで読んでくださって、大変ありがとうございました。これからカウンセリングを受けようと考えているクライエント様のお役にたつことができれば、とても嬉しいです。
ここに書いたことは、私の私的な体験にすぎません。すべての人たちに当てはまるものでもないと思います。本当に、参考程度にとどめて下さいね。
私はあるカウンセラーの先生にお世話になりました。実は、いまもカウンセラー同士のお付き合いをさせていただいてます。それはともかくとして、カウンセリングは、カウンセラーとクライエントの相性がとても大切だと思います。私の場合は、偶然、自分とフィットする先生と出会えたので、相談室を変える必要はありませんでした。皆さんの場合は、なかなかフィットするカウンセラーが見つからなくて、複数の相談室を利用することになる方もいるのかもしれませんね。よいカウンセラーと出会えることをお祈りしています。
では、さようなら。皆様お元気で。
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