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陸奥国(寛永年間)

【青森】

●寛永2年(1625)
弘前藩が東廻り航路の利用を開始する。この年、青森港が開港される。
弘前藩領内の総検地がおこなわれる。

●寛永3年(1626)
4月6日−津軽藩が青森港を商港とし,月6回定期市場を開かせる。

●寛永4年(1627)
南部利直が根城南部氏を遠野に移し、八戸に郡代を置き、現在の青森県東半分の地域 がすべて盛岡藩領となる。
この年、高岡城の天守間が落雷のため焼失する。

●寛永5年(1628)
高岡の地を弘前と改称する。

●寛永8年(1631)
津軽信枚が江戸で没し、長男の信義が弘前藩三代藩主となる。

●寛永13年(1636)
津軽信義の新参者船橋半左衛門の登用による弘前藩内二派の対立に、幕府の裁断が下り、 半左衛門はじめ両派の重臣が他家に預けられる(船橋騒動)。

●寛永18年(1641)
この年、津軽・南部領ともに大凶作となる。

●寛永19年(1642)
2月1日−幕府が仙台藩に奥州の山間に潜伏するキリシタンの探索を命じる。
宮城郡岩切村、余目(あまるめ)村の百姓、年貢重課に反対して直訴し首謀者4人が処刑される。
蔵王山が噴火する。

【岩手】

●寛永4年(1627)
2月25日−南部藩内の閉伊(へい)郡遠野で,旧領主の阿曽沼氏の家臣らが一揆をおこす。
南部利直が根城南部氏を遠野に移し、八戸に郡代を置き、現在の青森県東半分の地域がすべて盛岡藩領となる。

●寛永5年(1628)
金山を巡って仙台・南部両藩で紛争。

●寛永7年(1630)
南部藩主南部利直が藩営の牧を開設する。

●寛永9年(1632)
南部利直が江戸で没し、三男の重直が盛岡藩二代藩主となる。

●寛永9年(1632)
黒田騒動で南部藩預けとなった栗山大膳は同藩より150人扶持を与えられ五里四方の自由行動が許された。

●寛永20年(1643)
6月23日−南部藩領内の海岸に漂着したオランダ人を連行するため,幕府は通訳・徒目付を派遣する。

【宮城】

●寛永元年(1624)
広瀬川畔でポルトガル宣教師、日本人信徒ら殉教。
蔵王山が噴火する。
天候不順のため伊達領内飢饉。

●寛永3年(1626)
閏4月3日−仙台藩が家中法度・黒印3か条を定める。
仙台藩が買米仕法により農民の過剰米を買い取り,江戸へ売りさばく。
牡鹿郡稲井村・菊地与惣右衛門、渡波(わたのは)に入り浜式塩田を開く。
北上川改修工事が完成。

●寛永4年(1627)
5月24−仙台藩が領地の増削に関する知行割の掟五ケ条を定める。
7月−仙台藩領内の農民が秋田藩領に逃亡するが,送還される。
正宗、若林城造営を幕府から許され翌年完成。

●寛永5年(1628)
金山を巡って仙台・南部両藩で紛争。

●寛永6年(1629)
1月−仙台藩伊具郡3か村が藩の知行地割り替えに反対し,越訴する。
8月20日−仙台藩が領内農民の人身売買・用船・用材伐採についての法度を定める。

●寛永9年(1632)
仙台藩の江戸への廻米輸送が急増する。

●寛永13年(1636)
5月24日−仙台藩主62万5,000石の大名伊達政宗(70)没。家臣15人が殉死する。
伊達政宗死去。70歳。家臣15名が殉死。
伊達藩二代藩主忠宗、裁許所を設け家中法度を定める。

●寛永14年(1637)
10月1日−仙戸藩は知行地を持つ給人が町人・農民を私成敗することを禁止する。また逃亡農民 に宿を提供することを禁止する。
伊達政宗の霊廟、瑞鳳殿が仙台経ケ峰(きょうがみね)に完成。
仙台藩、藩士による百姓、町人の私成敗を禁じる。

●寛永15年(1638)
3月13日−仙台藩が家中法度を定める。
仙台城二の丸造営始まる。翌年完成。

●寛永16年(1639)
12月19日−仙台藩がイエズス会宣教師フランシスコらを逮捕する。
仙台藩、若林城破却される。

●寛永17年(1640)
仙台藩、領内総検地始まる。(1643まで)
亀岡八幡宮の造営成る。

●寛永19年(1642)
2月1日−幕府が仙台藩に奥州の山間に潜伏するキリシタンの探索を命じる。
宮城郡岩切村、余目(あまるめ)村の百姓、年貢重課に反対して直訴し首謀者4人が処刑される。
蔵王山が噴火する。

【福島】

●寛永3年(1626)
1月25日−会津藩がキリシタンのコスモ林主計を処刑する。

●寛永4年(1627)
1月−田村郡三春の農民が,三春城在番の着任に反対し,大善寺山に立てこもる(三春一揆)。

●寛永8年(1631)
9月12日−会津藩主加藤嘉明(69)没。

●寛永16年(1639)
相馬藩が領内3郡で検地を行い,貫文制がら石高制に変更する。

●寛永18年(1641)
3月15日−会津藩家臣堀主水が藩主加藤明成との争論を幕府に提訴。25日,将軍家光が裁断する。

●寛永19年(1642)
会津藩領の農民2,000余人が凶作のため,越後・仙台・宇都宮などに逃散する。

●寛永20年(1643)
5月2日−会津藩主加藤明成が家臣との争いにより,所領42万石を没収される(会津騒動)。
7月4日−将軍家光の弟で山形藩主保科正之が会津藩主となる。
会津藩主保科正之が領内に民政18か条を布告する。また藩学稽古堂を創設する(のちの日新館)。