宝永・正徳年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
【青森】
●宝永元年(1704)
●宝永5年(1708)
●宝永7年(1710)
●正徳4年(1714)
【宮城】
●宝永元年(1704)
●宝永3年(1706)
【福島】
●宝永元年(1704)
●宝永4年(1707)
●正徳2年(1712)
●正徳3年(1713)
●正徳4年(1714)
8月24日−津軽藩が農民に対して年貢全納前に米穀を売ることを禁じる。
4月11日−津軽藩が家屋の売買に歩合銭を課する。
3月19日−津軽藩が領内で朝鮮人参の裁培を始める。
弘前藩中興の祖といわれる津軽信政が弘前城で没し、高岡霊社(のち高照神社)に祀
られる。信政の跡を継いで長男の信寿(のぶひさ)が弘前藩五代藩主となる。
前年に発生した津軽領平内(ひらない)村民と南部領馬門(まかど)との境界争いに
幕府の裁断が下り、平内村民の勝訴となる。
3月18日−平泉中尊寺金色堂がこの日より60日間開帳される。
12月22日−仙台藩が藩士の知行半減を実施する。
1月25日−仙台藩が財政窮乏のため藩士の2男,3男が他領に出るのを許す。
10月6日−会津藩が財政窮乏のため年貢増徴を通達する。
1月23日−会津藩が農民の他領への移動・商売を禁じる。
1月−白河藩が京都商人吉田忠兵衛からの累積借金が金5万3,600両余,銀212貫余となる。
3月23日−会津藩が紙・真綿・木綿・麻苧(あさお)・胡麻油・荏(え)・畳表・炭・竹以外
の仲買を許す。
平藩が,海岸に防潮林・防風林を植林する。
1月−大沼郡ほかの幕府領270カ村の農民が囲い米の廻米に反対して越訴する。