享保年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
【青森】
●享保5年(1720)
●享保7年(1722)
●享保11年(1726)
●享保12年(1727)
●享保15年(1730)
●享保16年(1731)
●享保20年(1735)
【岩手】
●享保16年(1731)
●享保20年(1735)
【宮城】
●享保4年(1719)
●享保11年(1726)
●享保12年(1727)
●享保13年(1728)
●享保14年(1729)
●享保16年(1731)
●享保19年(1734)
【福島】
●享保3年(1718)
●享保5年(1720)
●享保14年(1729)
●享保16年(1731)
2月−津軽藩が農民に桑・楮の植え付けを課す。
津軽信寿が弘前城下の織座(紺屋町)で「ねぶた祭り」を観覧する。
弘前藩が凶作に備え、各村に貯蓄を命じる。
このころ、盛岡藩がペルシア馬を三戸住谷野(すみやの)で飼育する。
弘前藩の正史である『津軽一統志』の編集がはじまり、享保16年に完成する。
5月30日−八戸藩が牝馬の他領売り渡しを許可する。
2月−南部藩が藩主南部利視親裁のもとに藩政改革を行う。
8月−幕府が江戸の精米屋保護および米価引き上げのため,陸奥・関八州から江戸への白米運送を禁じる。
3月−南部藩が国中10郡を33通りに分け,郡村行政を改める。
2月−南部藩が藩主南部利視親裁のもとに藩政改革を行う。
3月−南部藩が国中10郡を33通りに分け,郡村行政を改める。
1月20日−仙台藩が江戸藩邸焼失により3年間、藩士以下農民,町人に対して献金を命じる。
2月6日−仙台藩が出入司・町奉行・郡奉行などの諸法度を制定すると共に
百姓条目の布令・5貫文制の厳守を命じる。
8月−仙台藩が葦名刑部を登用し,財政再建に着手する。
3月16日−仙台城下で大火,1,500余軒が焼失する。
2月19日−仙台藩が石巻で寛永通宝(享保仙字銭)を鋳造する。
伊達・信夫両郡下天領54カ村で、年貢減免などを求め代官所陣屋に強訴。死罪2人、遠島10人など多大の犠牲者を出す。「夫食(ふじき)拝借一揆」
8月−幕府が江戸の精米屋保護および米価引き上げのため,陸奥・関八州から江戸への白米運送を禁じる。
9月15日−幕府が仙台藩に朝鮮人参の栽培を命じる。
2月−二本松藩が検地条目を出し,領内の検地を実施する。
2月3日−白河藩領内の農民2万人が年貢の減免・勘定奉行の排斥などを要求して強訴する。
4月−三春(みはる)藩が農民の商品取引を公認する。
11月26日−会津郡幕府領南山郷の農民700人が郷頭制の廃止・貢
租の軽減・年貢納入期日の繰り上げ反対を要求して強訴する(南山御蔵入騒動)。
3月7日−信夫郡幕府領内の農民2,400人が検見願・夫食米
(ふじきまい)を要求して強訴する。のち福島・二本松に逃散。
3月18日−会津若松城下で大火,1,000軒余が焼失する。
3月28日−平藩が下野日光山助役費用返済のため藩士からの借り上げを強化する。
8月−幕府が江戸の精米屋保護および米価引き上げのため,陸奥・関八州から江戸への白米運送を禁じる。