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【青森】
●寛文元年(1661)
●寛文4年(1664)
●寛文5年(1665)
●寛文6年(1666)
●寛文7年(1667)
●寛文9年(1669)
●寛文10年(1670)
●寛文11年(1671)
●寛文12年(1672)
【岩手】
●寛文4年(1664)
●寛文9年(1669)
●寛文12年(1672)
【宮城】
●寛文8年(1668)
●寛文11年(1671)
【福島】
●万治2年(1659)
●寛文元年(1661)
●寛文4年(1664)
●寛文5年(1665)
●寛文7年(1667)
●寛文8年(1668)
●寛文9年(1669)
●寛文10年(1670)
●寛文11年(1671)
弘前藩主津軽信政がはじめてお国入りし、藩士への法度11カ条を定め、藩日記を記録させる。
3月12日−津軽藩が木綿・茶・紙・紬などの移入品の税を定める。
11月6日−津軽藩が年貢米と酒造米の取り扱い規定を蔵奉行に示す。
南部重直が江戸で没し、南部領10万石のうち8万石を与えられて弟の重信が盛岡藩
3代藩主となり2万石を同じく弟の直房に与え八戸藩が成立する。
八戸藩がはじめて江戸へ廻米する。
4月10日−津軽藩が他国に移出の禁制品と移出品の税を定める。
禅僧の円空が津軽・下北を巡遊し、多くの仏像を残す。
八戸藩初代藩主直房がはじめて八戸へ入部する。
4月−津軽藩が領内の道路の道幅を定める。
11月8日−津軽藩が城下の道路の除雪および飼い犬禁止を命じる。
松前(北海道)でシャクシャインの乱が起こり、弘前・盛岡両藩に出兵の幕命が下る。
9月6日−津軽藩が領内の漆の生産量を調査する。
津軽藩が領内総検地を始める(1681年完了)。
青森に御仮屋(おかりや)が設置され、青森城代が置かれる。
2月−八戸藩が初めて江戸に米を運送する。
津軽藩が新田開発により137か村を開く。
盛岡・八戸両藩領の境地に藩境塚(はんきょうづか)が築かれる。
南部重直が江戸で没し、南部領10万石のうち8万石を与えられて弟の重信が盛岡藩
3代藩主となり2万石を同じく弟の直房に与え八戸藩が成立する。
松前(北海道)でシャクシャインの乱が起こり、弘前・盛岡両藩に出兵の幕命が下る。
盛岡・八戸両藩領の境地に藩境塚(はんきょうづか)が築かれる。
2月27日−肥前島原藩主・高力隆長(こうりきたかなが)が苛政により所領を没収され,
伊達家預けとなる。
3月27日−大老酒井忠清の屋敷で仙台藩伊達家内紛の裁判が行われ,
刃傷沙汰となる(伊達騒動)
7月−江戸の豪商河村瑞賢が陸奥幕府領年貢米の江戸輸送航路を開く(東廻航路の開発)。
幕府が河村瑞賢に阿武隈川の改修を命じる。
5月8日−会津藩が米価高騰のため米の他領移出を禁じる。
●万治3年(1660)
11月6日−会津藩が飢饉にそなえて囲い米を奨励する。
閏8月−会津藩主保科正之が藩士に殉死を禁じる。
閏5月−会津藩が学問所稽古堂を創立する。
3月−会津藩が儒者・神道家山崎闇斎を招聘する。
10月6日−会津藩が蝋・漆・紙・薪・炭などの上納法を定める。
2月10日−会津藩が領内の枡(ます)・秤(はかり)を統一する。
4月11日−会津藩主保科正之が家訓15が条を定める。
8月4日−会津藩が千ばつのため穀物の他領移出を禁じる。
12月−平藩が領内の運用枡を京枡とする。
6月8日−会津藩が猪苗代湖の荷物運送規定を定める。
5月6日−会津藩が猪苗代湖の運送船の規則を定める。
8月10日−会津藩が安藤市兵衛の建議をうけ,米穀価格安定のため常平(じょうへい)法を採用する。