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【青森】
●延宝元年(1673)
●延宝3年(1675)
●延宝4年(1676)
●延宝5年(1677)
●延宝6年(1678)
●延宝7年(1679)
●延宝8年(1680)
●天和元年(1681)
●天和2年(1682)
●天和3年(1683)
●貞享2年(1685)
●貞享3年(1686)
【岩手】
●延宝6年(1678)
●天和3年(1683)
●貞享4年(1687)
【宮城】
●延宝4年(1676)
●延宝5年(1677)
●天和3年(1683)
【福島】
●延宝元年(1673)
●延宝2年(1674)
●延宝3年(1675)
●延宝4年(1676)
●延宝5年(1677)
●天和3年(1683)
●貞享元年(1684)
●貞享3年(1686)
●貞享4年(1687)
4月27日−津軽藩が宗門改めを毎年から隔年とする。
9月22日−津軽藩が領内通用秤を守随(しゅずい)秤とする。
八戸三日町にセリ駒市がぴらがれる。
1月14日−紫波(しわ)郡八戸領内の農民が米の買い上げ価格の引き上げを要求して一揆をおこす。
12月21日−津軽藩が藩士の隠居・養子制を定める。
4月24日−津軽藩領内の尾太(おつぶ)銀山から銀が産出される。
10月9日−陸奥・常陸・地震・津波により,磐城地方では家屋1,000余軒
が流失し死者500余人,常陸でも36人が死亡する。
1月11日−津軽藩が蔵米を初めて大坂に回送する。
弘前藩が西廻り航路を利用して、城米の大阪直送を開始する。
津軽藩が上級藩士の知行を地方知行から蔵米渡しとする。
南部・津軽領ともに大洪水に見舞われる。
弘前藩が農民法度・町人法度・寺社法度を定める。
十三湊(とさみなと)から鯵ケ沢にかけての七里長浜に防風林造成の植林が野呂理左衛門らによって
はじめられ、以後、野呂家三代にわたって完成される。
10月−津軽藩が検地規則を定める。
9月−八戸藩で初めて藩士から借り上げが行われる。
●貞享元年(1684)
2月−弘前藩が三カ年計画で新検地を開始する(貞享の総検地)
八戸藩が初めて領地朱印状を幕府がらもらう。
2月28日−津軽藩が藩士の知行を地方渡しから蔵米渡しとする。
3月1日−八戸藩が志和(しわ)産米を初めて江戸に廻米する。
八戸藩が無尽制度を定める。
8月17日−東国30年来の大地震で陸奥花巻城の石垣が倒壊,同白石城が損壊する。
盛岡藩が新田二万石を加え、十万石となる。三戸の町人を盛岡に移し、三戸町が成立する。
この年、南部藩領内で凶作のため餓死する者が多数にのぼる。
7月13日−仙台藩が勝手・台所諸役人に倹約令を出す。
3月14日−仙台藩が農民の耕地持ち高を5貫文(50石)に限り,それ以上は
没収して少ない農民に配分する。
10月9日−陸奥・常陸・地震・津波により,磐城地方では家屋1,000余軒
が流失し死者500余人,常陸でも36人が死亡する。
12月30日−仙台藩が藩札を発行する。
9月−会津藩が猪苗代湖の舟運賃を定める。
6月10日−会津藩が会津若松城内に藩士学間所として講所を創設する。
12月8日−会津藩主保科正経(まさつね)が父正之編著「会津風土記」ほかを幕府に献上する。
7月13日−会津藩が切米取りの禄米を年3回に分けて支給する。
10月9日−陸奥・常陸・地震・津波により,磐城地方では家屋1,000余軒
が流失し死者500余人,常陸でも36人が死亡する。
9月1日−南会津、日光地域に地震、各地に山崩れが発生する
12月27日−会津藩が領内で心学を厳しく禁止する。
10月−会津藩が財政悪化のため豪商三井家から銀800貫目を借りる。
佐瀬与次右衛門の体系的な農業技術論「会津農書」が完成する。
会津藩の村方人口が15万9,003人となる。
12月4日−会津藩が漆の納入日を定め,直納とする。