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【青森】
●明和3年(1766)
●安永3年(1774)
●安永5年(1776)
【岩手】
●明和2年(1765)
●安永6年(1777)
【宮城】
●明和3年(1766)
●明和5年(1768)
●安永元年(1772)
●安永7年(1778)
【福島】
●明和6年(1769)
1月28日−弘前・青森あたりが大雪、ついで大地震にみまわれる。津軽藩領内の死者1,240人余という。
3月18日−津軽藩家老の子として生まれ、脱藩後,文人として大成した建部綾足(たけべあやたり=56)没。
7月−津軽の中村喜時が農書「耕作噺」を著す。
11月−尾去沢(おさりざわ)銅山が南部藩の直営となる。
3月−南部藩領遠野の農民が塩役銭に反対して強訴し,6月に
は大槌通(おおつちどおり)の農民が同じく反対の強訴をおこす。
伊達郡の佐藤友信が子孫のために養蚕書「養蚕茶話」を著す。
6月26日−仙台藩が、領内の銭の払底を理由に10万貫の鋳銭を願い,幕府が許可する。
10月−幕府は、仙台藩・水戸藩の鋳銭が江戸銭相場の低落
と物価上昇に影響をおよぼしているとして,両藩の鋳銭許可を取り消す。
10月5日−仙台藩主伊達重村が相撲を見物し、谷風を賞する。
会津藩が,専売品の漆蝋の減産に伴い,3役所を統合して蝋添木方とする。