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●天保3年(1832)
●天保4年(1833)
●天保6年(1835)
●天保7年(1836)
●天保9年(1838)
●天保11年(1840)
●天保12年(1841)
●天保13年(1842)
●天保14年(1843)
●天保元年(1830)
1月−関宿藩久世広誉(ひろやす)、致仕。11月、嫡孫広運が襲封。
1月−関宿藩久世広運、没。10月、広周(ひろちか)、関宿藩五万八千石を襲封。
大原幽学が上総・下総を遊歴する。
佐倉藩が天保の改革を実施し、藩士の文武を奨励する。
5月−結城藩結城勝愛、勝進に家督を譲る。
佐倉藩主堀田正睦(まさよし)が、佐倉城外に藩校を設け成徳書院を設立する。
4月−小見川藩内田正容、幕府より行状不正で謹慎を命じられ、家督は正道が継ぐ。
8月−香取郡嶋村・宿村(多古町)地方で日蓮宗・不受不施派の僧5名が幕府に捕らえられる。
8月−生実藩森川俊知、没。俊民が襲封。
赤松宗旦、印旛郡布川(現在の茨城県北相馬郡利根町)に移住。
11月−代官・羽倉外記に房総海岸防備を命じる。
11月−高岡藩井上正滝、正域に家督を譲る。
10月−勘定吟味役・川村修就(ながたか)、砲台設置場所選定(総州、房州、相州、豆州の浦々御備場検分)のため
12月まで各地を廻る。
佐倉藩、佐倉城内に医学局を設置、長崎から帰国した鏑木仙安に蘭学を講義させる。
江戸の蘭医、佐藤泰然が佐倉藩に招かれ、佐倉本町に順天堂塾を開く。
老中水野忠邦の命により、庄内藩、鳥取藩、貝淵藩など5藩に印旛沼掘り割り開削工事を命じる。