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●延享2年(1745)
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●宝暦13年(1758)
10月−佐倉藩松平(大給)乗邑、幕府より蟄居を命じられ、次男乗佑(のりすけ)が家督を継ぐ。
1月−佐倉藩主の松平乗佑が出羽山形に転封となり、入れかわりに堀田正亮(まさすけ)が
10万石で入封、佐倉藩主は以後、堀田氏に定着する(後期堀田氏)。
5月−小見川藩内田正親、没。7月、正美(まさよし)が襲封。
幕府が下総・上総・安房3国の干鰯の1割をを相模浦賀に水揚げするよう命じる。
8月−関宿藩暉之(てるゆき)、家督を養嗣子広明(ひろあきら)に譲る。翌年8月に暉之、没。
10月−結城藩結城勝庸(かつのぶ)、没。実弟の勝前(かつちか)が養嗣子となり遺領を継ぐ。
7月−古河藩本多忠良、没。遺領は次男忠敞(ただひさ)が継ぐ。
佐倉藩主堀田正亮(まさすけ)、将門山に惣五郎を祀り、口の宮明神として農民の信仰をも許す。
5月−小見川藩内田正美、没(18歳)。養嗣子正良が相続。
銚子の醸造家が醤油仲間を結成する。翌年、規約を定める。
古河で薬水が湧き出て弘法水と名づけられる。
利根川大洪水。関宿藩、幕府より5000両の恩貨をうける。
印旛郡の村々、関宿藩領の村々にも我孫子宿の加助郷が課せられる。
1月−古河藩本多忠敞(ただひさ)、石見浜田藩に移封。入替わりに浜田藩松平(松井)康福(よすよし)が入封。
4月−虚無僧を支配する一月(いちげつ)寺の住職が,偽虚無僧横行につ
ての幕府調査で退院する。閏7月、幕府は寺社奉行へ,普化(ふけ)宗の厳格な寺法適用を申しつける。
12月−高岡藩井上正森、家督を正国に譲る。
2月−佐倉藩主堀田正亮、没。6男正順(まさあり)が遺領を継ぐ。
佐倉藩預地の椿新田が旗本知行地として配分される。
9月−古河藩松平(松井)康福、三河岡崎藩に転封。古河には土井利里(としさと)が再封され、以後定着。
伊能忠敬、佐原村(現香取市佐原)の造り酒屋・伊能家の養子となる。
土井利里、古河藩7万石の藩主となる。
4月−結城藩結城勝前、長男勝起に家督を譲り、隠居。