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●万治元年(1658)
●万治3年(1660)
10月−佐倉藩主堀田正信が幕政を批判し、無断で帰城したため領地没収となり、信州飯田藩にお預けとなる。
●寛文元年(1661)
佐倉藩へ、上野国館林より松平(大給=おぎゅう)乗久が6万石で入封。
●寛文2年(1662)
●寛文3年(1663)
●寛文4年(1664)
●寛文5年(1665)
●寛文6年(1666)
●寛文7年(1667)
●寛文8年(1668)
●寛文9年(1669)
●寛文10年(1670)
●寛文11年(1671)
●寛文12年(1672)
7月−古河藩土井利隆、長男利重に家督を譲る。
9月−土井利勝の五男利直が1万石で入封、大輪藩(下総岡田郡大輪村=現・茨城県水海道市大輪町)が成立。
紀州広(ひろ)村出身の崎山次郎右衛門が銚子外川港(本浦)を完成させる。
7月−高岡藩井上政重、家督を政清(まさきよ)に譲り隠居。
3月−幕府が関東・甲斐の9国に盗賊取締令を出す。
12月−関宿藩板倉重郷(しげさと)、没。翌年2月、嫡男重常が襲封。
野田の高梨兵左衛門(ひょうざえもん)が醤油醸造をはじめたという。
8月28日−幕府が常陸・下野・下総の諸大名に野盗の取り締まりを命じる。
9月−幕府が猟師以外の鉄砲所持禁止を再令する。
印幡沼・手賀沼干拓のため新利根川の開削に着手し、寛文六年に完成する。川筋の諸
村の替え地として、印旗沼辺の笠神埜原(かさがみやわら)新田十四カ村が開拓される。
初代茂木七左衛門、野田で味噌の製造を始める。
1月−生実藩森川重政、没。3月、重信が襲封。
8月22日−幕府が関八州に巡見使を派遣する。
12月3日−幕府が不受不施派の下総本土寺,甲斐法蓮寺,駿河妙覚寺,武蔵法明寺の僧侶を処罰する。
下総国野呂(のろ)日蓮宗不受不施派妙興(みようこう)寺の僧日講(にっこう)、日向・佐上原に配流される。
10月27日−幕府が国目付を派遣して水利を検察させる。
10月26日−幕府が紺屋の藍瓶税を銭納とする。
幕府が幕府領の総検地を行う。
2月−関宿藩板倉重常、伊勢国亀山へ。久世広之、入封。
4月3日−幕府が日蓮宗不受不施派の寺請を禁じる。
6月−関宿藩へ久世広之が5万石で入封。
1月12日−幕府が関八州の代官に代官所の経費節減・本田畑での
煙草栽培の禁止・有閑地への家屋新築禁止を巡察使をもって伝える。
椿海(つばきのうみ)干拓工事がはじめられ、井戸野村と仁玉村の間に排水路を掘り、九十九里浜に流そうとして周辺に
洪水を起こす。このため代官・関口作左衛門が罷免される。
利根川と手賀浦の間を仕切る工事を開始する。
江戸の豪商海野屋(うんのや)作兵衛らが手賀沼排水の掘り割り工事を請け負い、工事をはじめる。
5月−椿海の干拓工事が完成する。