承応明暦リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●承応元年(1652)
●承応2年(1653年)
●承応3年(1654)
●明暦2年(1656)
●明暦3年(1657)
11月20日−、印旛郡公津村木内惣五郎(佐倉宗吾)を筆頭人として滝野沢村六郎兵衛、小泉村半十郎、
下勝田村重右衛門、千葉村忠兵衛、高野村三郎兵衛の6人は、年貢の増加と金納化に反対して
将軍お側用人久世大和守の江戸屋敷に直訴。
12月20日−佐倉藩領内の木内惣五郎(佐倉宗吾)は単独で将軍家綱の寛永寺参詣を待ち受け、直訴。藩主堀田
正信は、惣五郎夫婦と子供4人に死罪、他の5人には所払いを命じる。(佐倉宗吾一揆)。
伊奈忠治没。
赤堀川の改修(伊奈忠治の瀬替え工事)で、利根川の水が常陸川に流れこみ、以後銚子が河口となる。
紀州からの移住者、崎山次郎右衛門が銚子・外川港築港に着手。
8月−関宿藩牧野親成、京都所司代となり、摂津、河内へ。板倉重宗、5万石で関宿に入封。
12月−関宿藩板倉重宗、没。翌年3月、嫡男重郷(しげさと)が襲封。
2月23日−幕府が関東各地に国目付を派遣する。