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●元禄元年(1688)
●元禄3年(1690)
●元禄5年(1692)
●元禄6年(1693)
●元禄7年(1694)
●元禄8年(1695)
椿新田の検地がおこなわれ、3,381町歩、総石高2万347石で十八カ村の新田村が成立する。
●元禄9年(1696)
●元禄12年(1699)
●元禄13年(1700)
●元禄14年(1701)
●元禄15年(1702)
●元禄16年(1703)
3月29日−幕府が河川堤防修築のため,勘定所役人を関東諸国に派遣する。
本多正永、相馬郡中心に1万石となり、元和以来再び舟戸藩(別称・藤心藩=柏市)を立藩。
椿新田開発の元締め三人が不正のかどで追放となり、土地を取りあげられる。
幕府が海上輸送の米運賃を定める。房総では、15カ所の港、21カ所の河岸が公
定運賃の対象に指定される。
6月−生実藩森川重信、家督を嫡男俊胤に譲る。
11月−幕府、古河藩松平(藤井)忠之の狂気を理由に所領を没収。弟信通に預け。信通は備中庭瀬藩に移封。
1月−川越藩主松平(大河内)信輝、古河藩に7万石で転封。
11月−関宿藩主牧野成貞、養嗣子成春に家督を譲り、隠居。
3月29日−幕府が江戸市中および関東の川船規則を定める。
8月26日−幕府が勘定衆12名を関東諸国巡察に派遣する。
9月−佐倉藩主戸田忠昌、没。次男忠真が襲封。
10月−水野勝長が1万石で結城藩へ入封。
椿海開発に尽力した鉄牛(てつぎゆう)和尚が福聚(ふくじゅ)寺(香取郡東庄町)
で73歳の生涯を終える。
6月−越後高田藩主稲葉正往(まさゆき)を佐倉藩に、佐倉藩主戸田忠真を越後国高田6万7850石に転封。
行徳領の塩浜の検地がおこなわれる。
11月23日−房総沖で大地震がおこり、津波が河川を遡り被害を広げ九十九里沿岸で2,000人を超える溺死者が出る。
結城藩水野勝長、幕府から結城城の再築を命じられる。12月、勝長、没(24歳)。
舟戸藩本多正永、上野国沼田へ転封、下総領は沼田藩の飛地となる。
成田山新勝寺は成田山信仰をさらに広めるため、最初の江戸出開帳(でがいちよう)を深川の永代寺で60日間おこなう。