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●弘化3年(1846)
●弘化4年(1847)
●嘉永元年(1848)
●嘉永2年(1849)
●嘉永3年(1850)
●嘉永4年(1851)
●嘉永6年(1853)
●弘化元年(1844)
6月−幕府、印幡沼開墾を中止。
飯岡助五郎(博徒、八州取締り手先の頭)、香取郡笹川の繁造を急襲、浪人・平田深木(平手造酒)即死、繁造は逃亡。
9月−高岡藩井上正域、没(19歳)。急遽弟の正和を養嗣子とし、11月、正和が襲封。
7月−香取郡に戻った手配中の繁造を助五郎の子分たちに襲われ殺される。
幕府は江戸湾沿岸防備の分担を改め、房総は会津藩、忍藩となる。
4月−古河藩土井利位、家督を利亨に譲るが8月に没(36歳)。11月、利則が遺領を継ぐ。
10月−多古藩久松勝権、勝行に家督を譲る。
幕府より多古藩預かりの唐大通事・神代徳次郎が脱獄、家老切腹、藩主久松勝行は閉門。
2月−佐倉藩領内で種痘が行われる。
5月−多古藩久松勝行が赦免される。
5月−小見川藩内田正道、没(24歳)。遺領は弟の正徳が継ぐ。
関宿藩主・久世広周(ひろちか)、幕府老中に就任。
ペリーが浦賀に来航。房総諸藩は異国船の江戸湾侵入を発見して幕府に通報する。
根戸村(現我孫子市)の御料林から、松丸太15,000本余が伐り出され、品川の御台場建設に使われる。
幕府は会津、忍両藩に代わって備前・岡山藩、筑後・柳川藩に房総海防を命じる。