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●万延元年(1860年)
●文久元年(1861)
●文久2年(1862)
12月−関宿藩、船橋随庵らが主張していた農兵募集にふみきる。
●文久3年(1863)
●元治元年(1864)
関宿藩主久世広周、井伊大老暗殺事件後、老中に復帰。
幕府、江戸および関八州の宿屋・料理屋などに私娼を置くことを禁止した。
香取郡佐原村で水戸藩浪士と名乗るものが、攘夷の軍資金と称して金800余両を騙し取る。
8月−関宿藩久世広周、致仕。家督を嫡男広文が継ぐ。
10月−生実藩森川俊徳、没(18歳)。12月、俊方が遺領を継ぐ。
11月−久世広周、坂下門外の変後、公武合体運動の責任を問われ幕府より永蟄居を命ぜられ関宿にこもる。
11月−結城藩結城勝任、養嗣子勝知に家督を譲り隠居。
駿河国田中藩が流山の飛地領に加村台御屋敷を設置、「加村陣屋」と呼ばれる。
4月−依田学海、千葉、埴生二群の代官として佐倉に赴任。
6月−小見川藩内田正徳、没(34歳)。遺領は正縄が継ぐが翌年6月、没。正学が相続。
水戸天狗党が野田組の醸造家に5000両の軍資金を要求する。
八日市場村で商家7軒が打ち壊され、商人らが打ちこわし勢力に400両を差し出す。
佐原が水戸天狗党に襲われ、佐倉藩が出兵して鎮圧、以後佐倉藩領となる。
7月−水戸藩門閥派排斥のため南上途上の同藩改革派が小金宿に屯集。
富谷村(現・八日市場市)豪商釜屋の平山仁兵衛は、間引き防止のため下総・上総16ケ村で子育て支援拠出を組織化。
(隠徳連名帳)
九十九里で蜂起した真忠組鎮圧のため、福島、一宮、多古、佐倉藩連合が出兵。
春−銚子でいわしが大漁となり、大漁祭で銚子大漁節がつくられる。