【北川】 それでは続きまして、「アルファ」の同人でありまして、黒部さんご夫妻とお付き合いの深かったという岩崎宗治さん、いらっしゃいますか――どうぞ、よろしくお願いいたします

 岩崎です。お飲み物、食べ物をちらちらと横目で見ながら、話しを聞いたいただくのは恐縮なんですけど(笑)。 なるべく長くならいないように、言いたいことだけ――珍しく僕としては少し予習をしてまいりました。でも 大半は省いていこうと思います。
  今ご紹介にありましたように、黒部さんのご一家とは、ずっと家族ぐるみでお付き合いいただいていまして、 ご主人の研二さんとは中学の一年違いの先輩後輩で、私の方が一年後輩で、家内と節子さんは、 ちょっと曰く言いがたい友情を持ち合わせておりまして、今日も家内あての葉書を晃一さんにお目にかけたんですけれど、 手づくりの絵を描いたお葉書をしばしばいただいて、 僕の一家にとっては、とくに節子さんは家内にとって、生涯の最大の癒しであったんです。

 今日は詩人の方々が多いようで、僕が黒部さんとお付き合いをして、とくに『アルファ』を出す前ですね、岡崎で永田正男先生という英文学者がいらっしゃいまして、その先生を中心に、数人が集まって 詩の勉強会 をやりました。途中で入れ代わったりもありましたけれど、一番最初からいらしたのは、黒部さんのほかは、永谷(悠紀子)さんとその永田先生と、谷澤(辿)さんという、詩人会のメンバーの方はご存知だと思いますけれど、それと私と、他に誰かいましたかねえ…ひょっとしたら、ちょっと記憶が間違ってるかもしれないけれど。それは毎月一回集まってやる勉強会でございまして、そのときに勉強したもので僕の記憶に残っているのは、多分、朔太郎の詩を勉強した、宮沢賢治の『銀河鉄道』をやった、それからリルケについては、リルケの動物の詩とか『ドゥイノの悲話(エレジー)』とか、そういうものを勉強しました。
  それから、さっきジャコメッティの話しを柏木先生がなさいましたが、パウル・クレーの画集を、やはりみんなでテキストとして眺めて勉強しました。その中で印象に残っているのは、 「家の外の子供」 というクレーの詩ですね。これはもちろんリアリスティックなものではなくて、かなり抽象ですけれど、子供と家――ちょっと夢のような、でもこの「家の外の子供」という絵は、詩人としての黒部さんの原型風景の一部分になっていると、僕は思います。


  こんど長男の晃一さんが、雑誌に載った黒部節子論のようなもの、それから新聞に出た記事のようなものを整理して見せてくださったんだすけど、その中で見落とされていると僕が思うものが、バシュラールです。バシュラールの『空間の詩学』という本を、アルファの会で勉強しました。永谷さんの詩の中核にもバシュラールがあると思っているんですけど、黒部さんの原型風景の中に、バシュラールが非常に大きくあると思います。特に『空間の詩学』、それから「物質的想像力」の考え方ですね。
それからシュールの話しが先ほど出ました。僕も、この前 松阪での偲ぶ会 の時に、黒部節子はシュールレアリストであると断定的な言い方をしたんですけど、いろんなお話を聞いていると、黒部さんは 中野嘉一 さんのところでシュールを勉強したようですが、 北園克衛 も確か三重県の人だったと思うので、北園克衛からも影響を受けているでしょう。詩におけるイメージということについて言うと、村野四郎の『体操詩集』という詩集があります。これは丸山薫さんと個人的にお話しているときに、日本の詩は 村野四郎 のところで一つ角を曲ったというんですね。それは四季派のような叙情的な詩から、イメージで勝負する詩に変わったんだと。でもそれには、それなりの罪がある、功罪の罪の方もあったんだと。丸山薫さんご自身としては、あの行き方には完全には賛成しない、とおっしゃっていましたけれども。

そのイメージですが、黒部さんの詩はイメージを論じられることも多いですね。それと言葉――言葉については、小柳さんも柏木さんもおっしゃっていましたが、言葉について黒部さんは非常に意識的でした。もちろん言葉というものは、駆け出しの詩人はですね、自分の感情を言葉を媒体にして表現しようとする。でも、エドガー・ポオ以後、フランス象徴派以後はですね、言葉というものは一つの素材であって、その素材が組み立てた詩のあとに、その詩が生み出す感情が出てくるんだということになっている。言葉のあと、言葉によって作り出す。言葉は素材、手段である。黒部さんもまた言葉は発見の手段だと考えていた。言葉は素材であって、発見の手段である。
イメージに戻りますと、言葉でイメージを作るのが詩人ですけれど、イメージということで言いますと、村野四郎のイメージは、バシュラールのイメージとは決定的に違うわけですね。村野四郎のイメージよりは、黒部さんのイメージの方が、夢のようです、いま小柳さんが引用なさった詩でもそうですけれど。黒部節子の詩の世界というのは、夢の世界ですね、その世界はあるとも言えるしないとも言える世界。















●詩の勉強会
「岡崎文化」6号(昭和58年6月)に、黒部節子は「詩誌アルファ生ひ立ちの記」と題した、アルファ創刊当時の思い出を綴っている。
(前略)……
この年、昭和35年の4月に、私たちの会は発足した。メンバーは永田正男氏、菊池武信氏、小園好氏、岩崎宗治氏、谷澤辿氏、永谷悠紀子氏、それに私である。
(中略)……
研究の対象となったものは、まず萩原朔太郎、丸山薫、高橋新吉、中原中也、伊藤静雄、立原道造、金子光晴、宮沢賢治、村野四郎、北原白秋等々があげられている。詩人論以外では、バシュラールの「空間の詩学」、草薙正夫の「もののあわれ」、サン・ペクジュペリの「星の王子様」、リルケの「マルテの手記」、「古今和歌集」「堤中納言物語」「クレーの日記」等が研究の対象となった。又連句の会を同人たちが大樹寺で催したこともあったりした。

クレー 『家の外の階段にいる子供』
1923年作
現代美術7(みすず書房)所収

●松阪での偲ぶ会
3月22日のJA松阪メモリアルホールでの葬儀後、フレックスホテルで「お別れの会」が開催され、岩崎宗治さん、岩月通子さんにも参加していただき、この日にも岩崎さんにはスピーチをいただいている。

中野嘉一(1907―1998)

愛知県生まれ。詩人、精神科医。
詩誌「暦象」主宰。
「暦象」は1951年に松阪で創刊され、中野氏の東京移転にともない、一年半の休刊を経て1964年に東京で復刊した。 以降、127号で終刊(1997年)するまで編集人をつとめる。
詩集『記憶の負担』他、『古賀春江―芸術と病理』、『太宰治―主治医の記録』、『前衛詩運動史の研究』など。

詩人黒部節子の実質的な師として、暦象創刊時の出会いから30年以上におよぶ交流が続いた。 節子は、倒れる85年1月30日の3週間前に東京の中野氏に会いに行っている。

北園克衛(1902―1978)

三重県度会郡四郷村(現、伊勢市朝熊町)生まれ。 1935年に詩誌『VOU』を創刊し、160号で終刊1978年)するまで編集人をつとめた。 詩集『白のアルバム』『若いコロニィ』『円錐詩集』『黒い火』など。

村野四郎(1901〜1975)

現代詩人会初代会長として現代詩壇の発展に寄与した村野四郎は、「旗魚」「文学」「新即物性文学」「詩法」などの多くの詩誌を創刊し、 20世紀西欧文学に学びつつ実験的作品を発表。モダニズムの代表的詩人として知られた。 また、山本太郎、谷川俊太郎はじめ多くの新人たちを発掘した。
詩集に、『罠』、『体操詩集』、『抒情飛行』、『珊瑚の鞭』、『予感』など


   
黒部節子さんを偲ぶ会