【北川 】 みなさん、ビールはついでいただいたでしょうか。それでは、黒部節子さんを偲びまして、中日詩人会会長の岡崎さん、献杯をお願いいたします。

 ご指名を受けました岡崎でございます。敦賀からまいりまして、岡崎という姓で、岡崎市にお住まいの黒部さんが――何かそういう自分の名前が呼ばれるたびに、黒部さんを思い出したりして――非常に親しいといいますか、近しい思いをいたしております。
  ご病状については、ときどき永谷さんにお聞きいたしましてですね、はかばかしくないんだということをお聞きして、非常に案じておりましたけれども、二月十一日にお亡くなりになったということを聞いて、本当に寂しい思いをいたしております。
  黒部さんの詩集につきましては、いろんな方がお話なさっていらっしゃいましたので、ここでは省かしていただきますけれど、一度ね、私は若い頃ですが――若い頃といいますかいつ頃になるんでしょう――まだご健康な時だったと思いますが、お家の方へ、郡上八幡の水野隆さんと一緒におたずねをしたことがございます。車で駅まで迎えにきていただきました、帰りも送っていただいた。何か明るい部屋で、コーヒーなどを飲みながら、詩の話しをしていらっしゃる姿を思い浮かべることができます。

 そのときに詩集の話しをしていらっしゃいまして、詩集は出来上がってしまったら、もう自分を離れてしまうんだ、そういうようなことをおっしゃておりました。考えてみますと、そのときはふわーとしてしか聞いておらなかったんですけれど、やはり一冊の詩集を作るということに対する厳しさみたいなものが、やはりそこに、ひとり立ちして歩いていかしてしまうということが、その詩集を作ることによって、送り出すその厳しさですね、そんなことを感じたことを憶えております。
  私が中日詩人会に入りますのが昭和37年でございます。その頃、すでに黒部さんは詩集を出され、中日詩人会員として大いに活躍なさっていらっしゃった、北陸に住んでいます私にとっては大きな存在でした。
  その黒部さんを偲びながら、献杯をいたしたいと思います。

――献杯(拍手)。ありがとうございました。





































水野 隆(1936〜)

岐阜郡上八幡出身の詩人。おもだか家主。奥美濃連句会代表。
詩集に『室内楽』、『二重奏』、『奥美濃のうた・ふるさと詩抄』、『夏の名残りの薔薇』、『多喜女聞書』など。

黒部節子さんを偲ぶ会