【宇佐美】 それでは続きまして、個人誌「青樹」を主催してみえます横井新八さんからお願いいたします。

 失礼します。
  先ほど来ですね、黒部さんのお写真、それからパネル、それからこの映像を拝見しまして、もう人間は死んではならないと思いました。しかし人はいつか死ななければならないと思います。そういう意味におきまして、ところが 北川朱実さんではありませんが、 黒部節子さんは死んでも生きてるということを実感しました。それからまた、小柳玲子さんは、中部の黒部節子を日本的な黒部節子に引き上げられた。そういうことを痛感いたします。
  黒部さんに初めてお会いしたのは、1950年から60年代、中日詩人会の前の中部詩人連盟というのがございました。そのときから、お知り合いになっていただきました。当時黒部さんは、もう今は女の人は帽子かぶってますね、あれで歳をごまかしとる(笑)。ところが、その頃洋装で帽子をかぶって、颯爽たる新人だったですね。

 それから黒部さんとは、中日詩人会の運営委員会でお世話になりましたが、あるときに詩祭の講師に、私が関西の女の詩人の方を申し上げましたら、黒部さんは、私はあの人はきらいですとぱーっと切っちゃう。そういう、あの人は、自分の言うことを主張をね、しっかり持っている人だと思いました。
  先ほど映りました岡崎の ラポーラの誌画展 ですね、絵は確か松本さんという人が、今日みえておりませんが、描いて、そこに黒部さんの詩が書いてある。
それから、これも映像に映りましたね、梅田卓夫さんが大きくクローズアップされておりましたが、あの 出版会 にも出席させていただきました。そのときは、厳選で22人である(笑)。その他大勢の人を呼ばないんです、黒部さんは。そういう厳しい人なんです。で、私も辛うじて22人の一人に入っとったんですが(笑)。

今映像にありましたような、河合俊郎さん、板倉鞆音さん、それから平光善久さん、それからその他忘れましたが、みんな亡くなった人ですね。梅田さんなんかは今も颯爽としておりますが(笑)。そういうことがありまして、いろいろ思い出はたくさんありますが、それから黒部さんの詩論につきましては、今司会をやっております宇佐美さんが、 「アンドレ」 というんですか、あの雑誌に一回書きました。で、二回三回を続けて是非書いていただきたいと思います。御無礼しました。

【宇佐美】 是非、続きを送らさせていただく予定でおります。






















北川朱実氏著『死んでなお生きる詩人』
本の帯に記された書評から。 「志なかばで倒れた薄幸な詩人たちの苛酷な生きざま書きざまを辿りながら、 著者はあたかも布教師のように、死後なおよみがえる不屈の詩的生命を説いてやまない。異色の詩人論」









ラ・ポーラでの詩画展(80年〜84年頃)

詳細は、→こちら

●記念会
『空の皿』出版記念会(83年)

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●「アンドレ」
宇佐美孝二氏編集による個人詩誌。第5号、6号で「黒部節子論」を掲載。

黒部節子さんを偲ぶ会