【北川】 ここで、発起人を代表しまして、詩人の柏木義雄さんに、一言ご挨拶をいただきたいと思います。 柏木さん、どうぞよろしくお願いいたします。 

柏木でございます。今日は、黒部さんを偲ぶ会を開催するについて、何かお話しするようにというご指示をいただきました。 黒部さんとよくお話をしておりましたので、そのときの印象を少しだけ申し上げたいと思います。
  30数年前に、どこの新聞社でしたか、 中部地方の10人の詩人を取り上げる ということで、私が 丸山(薫) 先生や黒部節子さん、そういった方を5人担当したころがあります 。黒部さんが私を取材してくだされば嬉しいと思っておりましたら、そうはいかなくって、私はまったく別の方でした。
  そのとき、黒部さんが非常に熱心におっしゃっていたのは、言葉の問題でした。 「話し言葉」の魅力ということをそのときに随分強調していらっしゃいました。 つまり、くしゃみしたり欠伸したり、おくびを出したりという人間の肉体を引きずっているというよりも、はらわたを引きずっているような日常の言葉が好きなんだよっていうことを、黒部さんしきりにおっしゃっていました。

 それは、私が聞き返しましたら――何を聞き返したかと言いますと、言葉っていうものが、長い歴史の間に意味をたくさん抱え込んでしまって、水ぶくれのようになって、それを嫌ってらっしゃるんですかというふうに、私から聞きましたら、その通りだ、ずぶずぶになっているのを全部搾り出して、そのとき黒部さん何とおっしゃったか、ちょっとそこはわかりませんが、はらわたをひきずりながら、意味のべたべたを脱ぎすてて素朴な原石のように乾いている美しさがいいということをおっしゃってました。
  これは今でもそういうことをお考えになっている方は何人もいらっしゃると思うんですが、書き言葉の持っている、たとえば当時、生れるという字、つまり人生の生という字を書いて、レーベンとルビがふってあります。そういうのを黒部さん御覧になると、こういうのが嫌なのよ、とさかんにおっしゃってました。 レーベン というのは、生きることの根源的な意味を指しているんでしょうけど、私はそういう人たちを少し弁護して、レーベンといわないとやっぱり通じないこともあるんじゃないかっていうふうに、申し上げたことがあるんですが、黒部さんはとっても嫌ってらっしゃいました。で、そのときに、じゃあ茂吉の言ってる「生きのあらわれ」という、短歌は「生きのあらわれ」という、あれはどうですかって言ったら、ああその方がよっぽどいいってことを黒部さんおっしゃてました。

 で、よくお話しているとさっき申し上げましたが、詩の話しをしているというよりも、両方がどうも勝手なことを言い合っていながら、共感するところを見出そうとしていたようです。
  黒部さんがとっても深く関心をお寄せになったのは、これは皆さんの前で本当に恥ずかしいんですが、私は当時ジャコメッティがとても好きでして、ジャコメッティのことを私は勝手な解釈でお話をすると、それがいいということをとても深く関心をもっていらしたんですね。ニューヨークの近代美術館で、出会いたいと思っていたジャコメッティの「犬」と「広場」という作品、皆さんご存知の作品に、私初めて遭ったときの印象をまだ忘れることができません。
  本当に勝手な解釈で、日ざしにさらされ、風にさらされて、骨だけになっている犬やら、あるいはそれぞれの方向に歩いている人間たち。あの人たちがいったいどこにいくのか、地の果てまで犬は歩いているかもしれない。人間も地の果てまで歩いているかもしれない。あそこで数人の人が思い思いの方向に歩いているほんの瞬間のすれ違いのために、もうその人たちは一向に知り合うことがなく二度と会うことがなく、どこまでも遠ざかっていってしまう。で、やがてあの人たちはいずれどこかへ消えてしまう、というふうに、私はとてもあの作品に惹かれておりました。

 それで黒部さんに、これも皆さんよくご存知の、「歩く人」というタイトルの作品とか、それよりも両手を肩のところまで上げてバランスをとりながら「雨の中を歩く男」という作品があります。それをお目にかけたとき、黒部さんはとっても驚いてらっしゃいました。つまり、これが私たちの生き方というか、生きている姿でしょうって私が余計なことを申し上げたら、黒部さんは何にもおっしゃらないで、それを見入っていらしたことがあります。
  おそらくそれから、私の図版を、黒部さんお持ちになったと思いますね。その次お会いするときに返していただきましたが、そのとき、この作品を私は忘れられない、作品というものはこういうものだって黒部さんはおっしゃってました。つまりレーベンとか何とか言わなくたって、ここに生きる形がある、詩人はこういうことを書けばいいんだ、こうおっしゃってました。
  そのときに余計なことですが、ジャコメッティが言っているように――こんなことを言っていますね、これは宇佐美栄治さんや、矢内原伊作さんの著作から、私は教えていただいたんですが、見えるものを見えるままに描く、作るということなんですね。それまで私がいろんな人から、あるいは本で読んだ言葉をご紹介しますと、詩人たち、芸術家というのは、見えないものを形にする、これはクレーが言っていたような気がしますが、そういうことがもてはやされていた。ところがジャコメッティは、見えるものを見えるままに描くということをしきりに言っています。

●昭和47年(1972年)中日新聞の「戯評 東海の詩人十人」。
柏木氏による詩人論を以下に抜粋する。

(前略)…… 「川の家」は、自ら編集発行している詩誌「アルファ」に、さきごろ発表された。好評だった。 このところずっと試みている「話し言葉」による作品である。その一連の作品の中で傑出したものだろう。 書き言葉とはちがって、話し言葉の中には、私たちの内臓と直接結びついている部分がある。 整理しきれない乱れや、呼吸づかいや、はかなさやあたたかさや、そんないろんな要素がごっちゃにつめこまれていてせつないのだ。 あくび、おくび、くしゃみ、嘆息、あるいは笑い声や涙声や――生きてる人間の内臓をひきずっているような魅力がある。 (中略)…… その人の内部で長い屈折を経てから出てきた表現は、その人自身にも確とは、とらええない神秘な部分をもっているものだ。 この深さを「川の家」は見事に表出した。言葉はいつも頼りなげにゆれており、しどろもどろであり、思案にくれており、 先を急いでのめっており、そこはかとない情緒を漂わせながら、そのあいまいさで人間には不可視な大きな何ものかに確実に触れている。 そしてこの一連の作品には、彼女の「肉声」への思いがこめられているように思われる。(後略)

●丸山薫(1899〜1974)

大分出身の日本を代表する叙情詩人。戦後は、母方の祖父の地であった愛知県豊橋市に移り住み、豊橋を生涯の住まいとする。
昭和9年に堀辰彦らと「四季」を創刊し、翌年「幼年」で文芸汎論詩集賞受賞。昭和24年からは愛知大学教授になり教鞭をとった。
詩集『帆、ランプ、鴎』、『鶴の葬式』、『幼年』、『物象詩集』など。
長く東海詩壇において、多くの詩人たちの精神的な支柱であり、「アルファ」のメンバーでは、とくに永谷悠紀子さんや谷澤辿さんと親交が深かった。「アルファ」46号(75年2月)にはお二人による追悼記事が寄せられている。

レーベン
「レーベン」とはドイツ語で「生きている」、「獅士」などの意味。

   
黒部節子さんを偲ぶ会