【宇佐美】 先ほどスライドにも映っておりました「環」を主催してみえます若山紀子さん、お願いいたします。

若山紀子です。先ほどとっても懐かしい写真をたくさん見せていただいて、私も入っておりましたけれど、 私の出版記念会 のときに黒部さんに来ていただいて、そして他の写真で大きな口を開けてものを食べてるところが(笑)映っちゃって、何か恥ずかしい気がしましたけれど、本当に懐かしくて、それから黒部さんの朗読の声も聞かせていただいて、もう昔に帰ったような心地がいたしました。
で、今日黒部さんの会があるということで、押入れの中を引っ張りまわして、黒部さんの詩集を二三探していましたら、ちょうどこの 『空の中で樹は』 という詩集の中に、黒部さんが後から送っていただいたと思いますけれども、直筆のお手紙が入ってまして、非常に懐かしくて、ああ黒部さん、この会に来てって言ってらっしゃるんだなって改めて思いました。

それで私、一番黒部さんのことで印象に残っているのは、黒部さんにお誘いしていただいて、今池だったと思うんですけれど、息子さんが何かアルバイトか何かをやってらっしゃるとかいうことで、今池の地下の喫茶店で、4人で 朗読会 をやりました。黒部さんのお誘いで、黒部さんと 福田万里子 さん、 高橋洋子 さん、それから私と、四人でやりました。とっても盛会で、随分たくさんの方に聞きにきていただいたんですけれども、東京からわざわざ 嵯峨信之 さんが来ていただきました。
それで、美しい女性の方とお二人でいらっしゃいまして、その女性の方が歌を歌ってくださいました。嵯峨さんも最後まで聞いていただきまして、朗読会が盛況のうちに終ったのを、本当に昨日のことのように憶えております。
黒部さんもお元気で、ちょうど私はそのときに、外国に行ってて一時帰国したときだと思うんですけれど、あんまり時間がなくって、朗読会が終ってからすぐに田舎の方へ帰ったように記憶しております。でもああいうことは、後にも先にも一回だけだったかなと思っております。

何かのときに、いつも黒部さんの詩で思い出すのは、 さっき印刷されたもの にも書いてあったんですけれども、 「それから、椅子がしずかにたおれました」 というこの四行が、私が何かやっているときに、不意にパッと思い出すんですよね。だから、黒部さんのことを、そのときいつも一緒に思い出します。
黒部さんは、私のイメージの中では、白い霧の中から現れてきて、鮮やかな詩だけを残して、またいつのまにか白い霧の中に帰っていってしまわれた、そういう気がいたします。どうもありがとうございます。



若山紀子さん『不安な寓話』出版記念会

詳細は、→こちら

●『空の中で樹は』(66年)

●朗読会
今池にあったロック喫茶「ユッカ」における朗読会
経営者の黒柳氏のご子息と次男桂二が同級生で、次男は学生時代にアルバイトをしていた。

●福田万里子(1933〜)
「ALMEE」「楽市」同人。詩集に、『夢の内側』思潮社『発熱』詩学社、『雪底の部屋』土曜美術社、『福田万里子詩集』土曜美術社 など

●高橋洋子
永谷氏、岩崎氏とともに、古くからの「アルファ」同人。二科会会員
もちろん、この「偲ぶ会」にも参加いただいている。
「アルファ」22号(66年7月)の「あとがき」には、「本集から、高橋洋子さんを同人に加えた。どちらかといえば知性のかったお行儀のいい「アルファ」には異色の個性である…」(黒部節子)とある。

●嵯峨信之(1902〜1997)
長く「詩学」の編集長を勤めた。詩集に、『愛と死の数え唄』、『魂の中の死』、『時刻表』、『開かれる日、閉ざされる日』、『土地の名〜人間の名』、『OB抒情歌』 、『現代詩文庫〈98〉嵯峨信之詩集』など

●さっき印刷されたもの
「夢人館通信」22号として発行された大西氏編集による追悼リーフレット 「夢ノツヅキ∞」
「缶けり」、「やさしい秋」、「木のことなど」、「文法」、「九年ののち」、「ずっと昔」、「それから」、「橋の上」の8篇の詩を納めている。遺稿随筆集『遠くのリンゴの木』とともに、会場で來席者に献呈。

●「それから、椅子がしずかにたおれました」
詩集『空の皿』所収の「また わたしは…」の最後の一節。このフレーズは、追悼リーフレットに収めた「それから」の最後にも登場している。


黒部節子さんを偲ぶ会