【北川】 続きまして、黒部節子さんの思い出をお話していただけるということで、 今日ここに、黒部さんと深いお付き合いのありました小柳玲子さんが、東京から駆けつけてくださいました。 黒部さんが40歳を過ぎた頃に、東京の「詩学」へ行かれました。 そのときに、嵯峨信之さんとお会いしたんですけれども、 嵯峨さんが、黒部さんに、君の会いたい詩人に誰でもいいから会わしてあげるよ、ということをおっしゃったわけなんです。 そうしましたら黒部さんは、西脇順三郎さんでもなく、村野四郎さんでもなく、 すぐに小柳玲子さんにお会いしたいということをおっしゃったそうです。 いろんなエピソードが聞けるかと思います。 小柳さんよろしくお願いします。

 みなさん、こんにちは。ご紹介にありましたように、 「詩学」 に書かしていただいたんですけれど、 嵯峨信之さんとしたらですね、本当に立派な詩人に、どなたでも紹介してあげるおつもりだったんですね。 でも、すごく黒部さんの作品もお人柄も、嵯峨さん惚れ込んでたもんですから、 東京に来い来いってしきりにおっしゃったらしくて、最初の発作を起した後で、半身不随でいらしたんですね。 だから黒部さん、体を少し引きずるようにして出てらしたと思うんですが、私はその前の黒部さんというのは、全く存じ上げない、 ただ多少の文通があっただけなんです。

 文通といってもたかが知れてて、何回かちょっと手紙を出す、書いた詩を交換する、その程度の間柄だったんですけど、何がどうしてかわかりませんですけど、西脇先生よりも村野先生よりも私に白羽の矢が立ちまして、それで嵯峨さんが、これは手軽でいいや(笑)って、これからお菓子折りを持って西脇先生のところへお願いに上がろうと思っていたら、小柳玲子あんたおいで、というようなことになっちゃったんです。でも手軽でいい手軽でいいとあんまりおっしゃるんで、こっちもいい気になって、のこのこ出て行って、その日は、珍しいことに嵯峨さんがご馳走するというんですよね。中村屋か何かでご馳走になった記憶があります。
  で、どうして私と会いたかったかなあというんだけど、これがまったくそういう話しを私が真面目にしないし、あちらも、小柳さん素適ですからと言っているわけでもないから、ぎゃあぎゃあとしゃべって、で、嵯峨さんがいると話しにくいこともいっぱいあるんで、今度二人だけで会おうねということになったんですけど、それからまたちょくちょく会うでもなかったんです。それが私と黒部さんが初めてお目にかかったときの記憶です。

  で、今ちょっとだけ真面目な話しをいたします。柏木先生の後であんまり不真面目な話しできないので(笑)、やっぱり「見る」ということなんですね。 私、たまたまぽこっと開けただけの、特にこれが好きな詩ということでもないんですが、ちょっと読みます。 ある詩の、途中からです。

七つめの窓からは 一枚の写真がみえました 壁にはられた六人の男がいて みんな笑って写っていました たぶん映画のスチール写真で 歌をうたっているのでしょう。長い髪を垂らしています 黒いチョッキを着 黒いズボンをはいているのです 六人は手を組んで歌っていました みるとまん中の男が笑っていませんでした よくみると あとの五人も誰一人笑ってはいませんでした六人の男が急に小さくみえました 鎖でつながれた犬のように 一かたまりになって押しだまると 写真は不意にひらひらと舞ってあとにはもう穴のあいた白い壁しか 映ってはいないのでした

という詩があるんですね。

 黒部さんの詩はですね、大抵のところめくると、この見える見えない、見える見えないが繰り返していく。本当に笑っている、次の瞬間は笑っていない、次はいない、でもやっぱり笑っていたんです。と私にはわかるんです。でやっぱり笑ってなかった。それからそんなところにいなかった。どっちも全部同じなんです。つまり、人間て幾様にも見えて、幾様にも見えていない。つまりあちらの世界は、私たちにとって、ある日見えてて、ある日その五人か六人の写真の男はいない。だけどあるときはやっぱり出てくる。ときには笑っている。ときには笑っていない。これすごく変な言い方なんですけど、私にもよくわかるんです、この通りで。
  三人の女の人が立ってた絵があるんです。私は絵が仕事ですから、確かに三人だと思うんですけど、何年か経って見ると四人なんですね。で四人のを見ちゃうともう三人のを思い出せない。次にまた三人の人に会うことがある。そうすると、四人の方はもう消えて、というように、私たちの世界が非常に不確かである、見えていることが非常に不確かだけど、でも全くないんではない。そういうふうに、幾重にも私たちの見えているもの、分かっているものが重なっている、紙芝居みたいに、出たり入ったりしている。









●嵯峨信之(1902〜1997)
長く「詩学」の編集長を勤めた。詩集に、『愛と死の数え唄』、『魂の中の死』、 『時刻表』、『開かれる日、閉ざされる日』、『土地の名〜人間の名』、『OB抒情歌』 、 『現代詩文庫〈98〉嵯峨信之詩集』など

●「詩学」04年4月号の小柳さん連載の「ちょっと詩」に掲載された追悼記事「黒部節子の死」の中で、小柳さんと黒部節子との出会いについて触れられている。

『……私が彼女と直接出会ったのは彼女が奇跡的に病を克服し、上京されたときである。 彼女の才能に瞠目していた嵯峨信之さんが「ぜひ上京しなさい。逢いたい詩人がいたら逢わしてあげる、 誰がいいか、西脇さんでも茨木さんでもいいよ。といったらしい。 ところが黒部さんが逢いたかったのは小柳玲子で、 嵯峨信之をあきれさせてしまった。……』









●ある詩
『まぼろし戸』(86年)の「夢のエスキス」から。
初出は「暦象」76号(74年5月)
詩集『空の皿』(82年)

 

   
黒部節子さんを偲ぶ会