【宇佐美】 さきほど颯爽とした姿というふうにご紹介されました梅田卓夫さん、今は愛知淑徳大学の先生していらっしゃいます。よろしくお願いいたします。

 今も颯爽としていたい(笑)、梅田卓夫です。
  黒部さんのことをときどき思い出す――そういう日がよくあります。先ほど写真も映っておりましたが、 『空の皿』出版記念会、 あるいはその前、後、黒部さんは僕より七歳か八歳年上かと思いますけれど、本当にいろいろ声をかけていただいたし、僕にとっては、尊敬するというよりも、ある部分あこがれのお姉さんという感じがありました。今「アルファ」に僕も入れてもらっていますけれど、永谷さんから是非入ってというふうに、そういう言い方で誘っていただいたとき、黒部さんは二度目の倒れられた後でして、そして黒部さんとともに同時に「アルファ」をやってこられた方々が、何人か亡くなられたときだったので、当時尊敬する「アルファ」に僕入っていいのかなと思いながら、でも黒部さんに導いてもらっているんだなということを感じて、今日まで「アルファ」でやってきました。

 死んではならないと横井さんが先ほど言われましたが、死んでも残るものがありますね。実は、皆さんの中でご存知の方多いと思いますけれど、小柳さんが編集してくださった 『北向きの家』 の中に、 「本の話」 という詩がありまして、その中に「梅田さんは西日の当る書棚を持っているらしい」という一行がありましてね、そして僕の部屋を多分想像で書かれたんだろうと思うんですが、僕がありありと思い出せるような僕の部屋が書かれております。ただ一箇所違うところは、「その書斎に行く典雅な長い廊下」というのがあるんですが、実際にはむさ苦しい短い廊下(笑)、ここだけが違う(笑)。あと陽射しの雰囲気だとか、本に陽が当るというようなことなどは、本当に黒部さん、想像で書かれたのか本当に見えてたのかと思うくらいですね。で、そこに「梅田さんは」と書いていただいたので、これは残りますね(笑)。とても嬉しい詩でした。

  黒部さんには、そういうふうにして僕を励ましてくださったという――そのときは、あんまり感じなかった、ただ声をかけていただければ嬉しかっただけですけれど、今思うと、中日詩賞を受賞した 『額縁』 のときの選考委員が、今日いらっしゃっている柏木さんと黒部さん(まあその他の方もいらっしゃったんですけど)だったということがあります。
  僕の散文集の 出版記念会 を犬山でやったときも、先ほど映像にちょっと出ていましたけれど、半身不自由な体で来ていただいたことを本当によく憶えております。 30センチくらいのスピーチをしていただく方の台を用意していまして、そのとき黒部さんが台に上がられるときにですね、僕は黒部さんの手を取ってエスコートさせてもらったことを、本当に手の感覚を思い出すくらい、鮮烈に憶えております。永谷さんも一緒に来ていただいたんですね。
  あのとき以来、ときどき黒部さんのことを思い出す、そして僕にとっては詩を書き始めた頃の、もっとも印象的な、そしてああいう詩が書きたいという目指す目標みたいな詩人でした。

今日朗読された詩の前後に、 「鳥」 という詩があるんですね。この詩、僕はとても好きです。本当は朗読したいんですけど、時間ないから、後で是非読んでみてください。
  あの中に、壊れたオルガンがあって<し>の音がいつまでも鳴っているという、ひらがなで<し>と書いて山括弧で囲ったそういう言葉が出てくるんですね。で、<し>がいつまでも聞こえている。蓋を閉めても聞こえている。こういうような風に書いてあるんですが、僕はその作品を読んだときに、とても魅力があったんですが、やっぱり少し不吉なものを感じました。
  最初はもちろん、耳鳴りの音だなということを僕は感じたんですが、もうちょっと何度も読んでいるうちに、あ、これは死ぬという字の<し>もひょっとしたらと思うようになりまして、そしてこの詩が、より僕にとっては陰影の深いものになって、多分、黒部さんの詩を繰り返し読んできましたけれど、一番多く繰り返し呼んだのは、「鳥」という詩です。
  詩集には、「鳥・その他」だったか、「鳥・ほか」とかサブタイトルがちょっとつけてあって、三つぐらいの詩が並んでいるんですけど、最初は「鳥」という形で、一つだけが発表されたように――僕の記憶違いかもしれませんけれど――思っています。
  黒部さんが、倒れられてから、長い間永谷さんを通じて、様子を聞かせてもらってきましたけれど、ついに先日帰らぬ人になられてしまって、ご家族の方から「アルファ」の方に――まあ「アルファ」は僭越だという気がするんですけれど、でも「アルファ」しかないか!という、永谷さんといろいろ話しをしながら今日の会を準備して来たんですけれど、でもやっぱりたくさんの人が黒部さんのことを慕っていていらっしゃったんだなあということを、今日もまた感じました。

 さきほど司会者がちょっと紹介してくれましたけれど、僕は愛知淑徳大学で学生たちに、「現代詩」という授業をやっているんですね(笑)。ゼミもやっていますけれど、ゼミは十人前後ですけれど、こちらは詩を作らせる方でそれなりにやっているんですが、表現をしたい人たちの学部で「現代詩」というのが組まれていて、担当して今年からやり始めたんですが、登録した学生の数が150人――154人か5人、やめてよー(笑)という感じ、最初はそうでした。
  けれども今二十歳前後の若い人を、詩のことで150人集めることができるかということを感じまして、こんな機会はないということで、もう詩を作らせることはやめて、現代詩がどんなに豊かな文化だったか――だったと過去で、彼らにはそう見えるかもわかりませんけど、どんなに豊かな文化かということを伝えようと思います。
  150人に、近々紹介する作品の候補をいくつか挙げてるんですが、そこにやはり僕はずっと読んできた詩として、黒部さんの「鳥」という作品を考え、パソコンの中に取り込んで、プリントの用意ももうしてありますけれど、順番にやっていく中で、黒部さんの宣伝――宣伝というか、若い人に知ってもらう機会を作れるかなあと思って喜んでいます。
  で、今日この会場に来たら、御長男の晃一さんとおっしゃるんですか、御長男が愛知淑徳大学の長久手の方に教えにきていらっしゃるということを、先ほど知りまして、不思議な縁だなあということを感じます。
  とりとめのない話しですけれども、黒部さんに対しては、話したいことがいっぱい出てきて混乱しています。これでご勘弁いただきたいと思います。どうも失礼しました。

『空の皿』出版記念会(83年)

詳細は、→こちら

●詩集『北向きの家』(96年)
97年晩翠賞

●「本の話」
『北向きの家』所収(初出「湾」70号 81年10月)
(…前略)

梅田さんは夕陽の当る書棚をもっているらしかった
――私の想像では――それは部屋の左寄りに置かれていた
その時刻になると 夕陽は書棚のガラスの上に落ちて 真白なレエスのように煌めく
煌めきはあまりに静かなものだから 本たちはガラスの中で一冊ずつ目をあけ
左に移動するに従って また一冊ずつ目を閉じてゆく
あとの暗闇は 本たちにはきっと幸福なのだ あの部屋へゆく長い典雅な廊下と同じように
――関係のないことだが
私は夕陽の当る書棚をもっていない(…後略)

●『額縁』
梅田卓夫氏詩集(75)うむまあ会
中日詩賞

●犬山での梅田さん散文集出版記念会(83年)

犬山城を背にして

●「鳥」 そのほか
『いまは誰もしません』所収(初出「アルファ」36号72年3月)

屋根裏部屋へゆくと
窓ぎわでおるがんはこわれていて
どうしても消えない音がひとつあるんです
たれもふまないのに高い方の<し>が
いつまでも鳴ってて消えないんです
蓋をしめても<し>はきこえ
窓をしめてもどこからか<し>はきこえて戸をしめてようようきこえなくなるけれどきこえないだけで中で鳴ってるんです
(…後略)


黒部節子さんを偲ぶ会