【宇佐美】 「みえ現代詩」を代表してみえます津坂治男さんから、お願いいたします。

 横井大先輩を飛ばして 申し訳ありません(笑)。
まず最初にアリバイについて説明いたします。さっき写真でご紹介いただいて、津坂さん、ものすごい若いなあと近くで言われたんですね(笑)、あれは25年前に、中日詩人会で岡崎詩話会というのがあって、そのときたまたま私が講師として招かれまして、永谷さん、それから黒部さんに親切にしていただいて、少し遅くまで飲ましてもらったのが、谷澤さんがおられたあの辺じゃなかったかなと思うんですけれども。
  それから、その次の思い出は、これも「みえ現代詩」――さっきおっしゃっていただいたんですけれど、その24号に、郷土出身の詩人ということで、黒部さんのことを書こうと思いまして、いろんな本を読んだんです。病気で倒れられたすぐ後だったんですけれど。

 そのとき 黒部さんの生家 を見せていただこうと思って、車で一時間余りですので、まだ若かったから飛ばしていきまして、そうしたら、櫛田川という川沿いの堤の少し下のところの、さっき写真に少し出てきましてけれど、そのお家でした。そこを悪いけど中に入らせていただきまして、少しおうかがいしたんです。黒部さんのお父さん、画家でいらっしゃった――日本画を描かれていたとかね、そんなことをお聞きしたんですけれど。

 そんなことがありまして、たまたま黒部さんの 「水」 という作品を採り上げて、青木はるみってH氏賞もらいましたね、あの人も水に関係がある、バシュラールの水だろうと言ったら、私知らんというようなことを言っておりまして、後で考えると、黒部さんの方がしみじみといい詩を書かれているなあ、と(笑)思いました。

  それからもう一つは、去年の4月27日ですけど、私たちが数少ない人数でやっている「東海詩のいずみ」というのがありまして、それに永谷さんをお呼びして、「黒部節子さんのこと」というので、お話ししていただいたんです。ちょうど寒い季節が終ったときに来ていただきまして、十人くらいで本当に申し訳なかったんですけれども。本当にすばらしいなあというのでね、黒部さんのお顔も存じ上げてない人たちが、みんな感じ入っておりました。
  「黒部節子、光をまとう詩人」というので、竹ノ一人という詩学に投稿したりしている人ですね、「何々さんのことを聞いてくださってありがとう」、この一年の間で「東海詩のいずみ」でお話ししていただいた講師の方たちが最後に、残してくださった言葉はこうでした、何と言う貴い言葉かと思いました。それで永谷さんも、黒部さんのことを聞いてくださってありがとうと、しみじみと思いを込めて言われました。

 それで今年亡くなって本当に絶句なんですけど、三重にも、三重出身ということもあって、黒部さんのファンの人が多くて、飯南高女じゃないですけど松阪高等学校の後輩にあたるのが、私たちの会の堀川孝子というんですけど、最近数冊 「暦象」 預かりまして、そこに黒部さんも私も載っているということを言ってました。
  それから清水弘子という、これも詩学なんかで活躍した女性なんですけど、その人も話を聞いてから、さかんに黒部さんの詩集を貸してくれとか、どうすれば手に入るのかということで、私もあちこち問い合わせたりして一生懸命勉強しました。今日いただいた資料も帰って見せてやりたいと思います。どうもありがとうございました。

【宇佐美】 どうもありがとうございました。黒部節子さんの隠れファンといいますか、意外と多くいらっしゃいまして、私の方に来る手紙に、全国各地からそういう方がいらっしゃいます。




横井大先輩を飛ばして
横井新八氏が先であったが、席をはずされていたため、津坂氏が先にマイクの前に立たれた。











生家
松阪市法田町497




●「水」
詩集『まぼろし戸』(87)所収

ひろいあげた新聞紙の小さなきれっぱしには  「水」と四号活字が一つだけ印刷されていて本の広告なのかもっと長い文章の一字なのかぼんやり考えていると  どうやらしれは掌の中で少しずつ湿ってくるような気がするのでした。 (…後略)














●『暦象』1951年〜97年(127号)

黒部節子は、「暦象」創刊号から103号まで、ほぼ毎号詩を掲載した。写真は、「暦象」5号。

黒部節子さんを偲ぶ会