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【秋田】
●慶長17年(1612)
【山形】
●慶長3年(1598)
4月7日−秋田城下で初めて歌舞伎が演じられる。
●慶長19年(1614)
5月26日−阿仁金山が開山し、幕府直轄となる。
越後の上杉景勝が会津に移され、置賜郡も上杉領となる。
●慶長5年(1600)
関が原の合戦で、上杉は豊臣方に、最上は徳川方に属す。
●慶長6年(1601)
関が原の論功行賞で徳川家康は、最上義光に庄内3郡と由利郡を加増し、
上杉景勝は米沢30万石に減封される。
慶長9年(1604)
閏8月2日−米沢藩主上杉景勝が法度17条を領内に布令。
●慶長12年(1607)
米沢藩が藩士の法度を定める。
●慶長14年(1609)
米沢藩家老直江兼継が、米沢城下の町立ての細目を指令する。
●慶長16年(1611)
5月9日−仙台藩主伊達政宗と米沢藩主上杉景勝が、領内人返しの約定を結ぶ。
●慶長17年(1612)
山形城主最上義光が領内検地を実施する。
北楯大学が、北楯堰を完成させる。
●慶長19年(1614)
1月18日−山形藩主最上義光(69)死去。二男家親が遺領を注ぐ。
大阪冬の陣で、上杉景勝が先鋒をつとめる。