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【秋田】
●元和5年(1619)
【山形】
●元和4年(1618)
12月−秋田藩の荒川銀山の山師が生産量の減少のため,諸役軽減,貸米を求めて愁訴(しゅうそ)する。
●元和6年(1620)
3月11日−秋田藩主佐竹義宣が幕府の一国一城令にもとづき角館(かくのだて)・湯沢・檜山(檜山)
などの諸城を破却する。(〜3.14)
●元和9年(1623)
3月20日−上杉謙信の養子で米沢藩主の上杉景勝(69)没。
7月11日−米沢藩上杉氏が軍令3か条を制定する。
11月−米沢藩家老直江兼続が禅林寺を創建し、学問講習所とする。
上杉景勝が禅林(ぜんりん)文庫を米沢に創建し、学問講習所とする。
●元和5年(1619)
12月19日−米沢藩家老で,関ケ原の戦いで石田三成とともに家康挟撃策をはかった直江兼続(60)没。
●元和8年(1622)
8月18日−山形藩主最上義俊が御家騒動のため、その封57万石を没収される。幕府は本多正純・永井直勝を山形城請取使(うけとりし)とする。
山形城主最上義俊(よしとし)が改易となり、山形に鳥居忠政、鶴岡に酒井忠勝
、新庄に戸沢政盛、上山(かみのやま)に松平重忠がそれぞれ封じられる。
●元和9年(1623)
3月20日−上杉謙信の養子で米沢藩主の上杉景勝(69)没。