万治寛文リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
【山形】
●寛文8年(1668)
●寛文9年(1669)
●寛文11年(1671)
●寛文12年(1672)
4月4日−幕府が羽黒山修験宝善院天宥と弟子大乗坊を不義により伊豆大島に流す。
8月3日−下野宇都宮藩主・奥平昌能が家臣の殉死を理由に,2万石減封のうえ山形に転封となる。
山形藩主の松平忠弘が宇都宮(栃木県)に転封。
6月−庄内藩が農村に五人組を定める。
12月−庄内藩が領内の運用枡を京枡とする。
最上川舟運の要地である大石田における最上川口移出品課税法が定められる。
10月4日−庄内藩が農村人口を調査する。
6月25日−庄内藩が農民に漆・蝋の採取を許し,運上をとる。
江戸の豪商河村瑞賢が出羽国幕府領の年貢米「最上城米(じょうまい)」を江戸に
輸送する(西廻航路の開発)。