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【秋田】
●天明3年(1783)
【山形】
●天明元年(1781)
7月−浅間山大噴火。この年大飢饉(卯年の飢渇)、秋田藩領の餓死者1万6000人と伝えられる。
●天明4年(1784)
閏1月16日−幕府が米価高騰のため,関東・東北・信濃の農民へ余剰米の販売を命じる。
●天明8年(1788)
古川古松軒が幕府巡見使に随行して奥羽・蝦夷を巡り,紀行文「東遊雑記」を著す。
●寛政2年(1790)
3月−秋田藩、藩校・御学館(後、明道館、明徳館)を設立。
●寛政4年(1792)
10月25日−秋田藩が藩政改革の一環として,産物方を設置して桑・楮などの殖産をはかるとともに、
この年,銅山の運用法を定める。
●寛政7年(1795)
11月11日−秋田藩領に疱瘡が流行したため,藩は江戸から専門医を招いて治療させ,
また,14日には藩校に医学館を設置する。
米沢藩で改革を推進した竹俣当綱(たけのまたまさつな)、奉行職を追われ幽閉される。翌年、莅戸善政、勇退。
●天明4年(1784)
閏1月16日−幕府が米価高騰のため,関東・東北・信濃の農民へ余剰米の販売を命じる。
●天明5年(1785)
米沢藩主上杉治憲、隠居。養子・治広が相続。
●天明8年(1788)
古川古松軒が幕府巡見使に随行して奥羽・蝦夷を巡り,紀行文「東遊雑記」を著す。
●寛政3年(1791)
米沢藩で莅戸善政が郷村頭取兼御勝手係として藩財政を任される。
●享和元年(1801)
6月23日−村山郡の農民が米価高騰下での米買い占めなどに反対して打ちこわしを行い
(村山一揆)7月7日、米沢藩が鎮圧する。