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【秋田】
●安永元年(1772)
【山形】
●明和4年(1767)
5月−秋田藩が産物奨励のため紅花座を設置する。
11月4日−幕府は,亀田藩が1753年以来雄物(おもの)川を通る船に課してきた税を禁止する。
●安永2年(1773)
6月29日−平賀源内が秋田藩主佐竹曙山の招きにより秋田へ向かう。
7月30日−幕府が、領内の凶作・火災による銅山被害を訴えていた秋田藩に
たいし、銅の産出量確保のため金1万両を貸与する。
●安永3年(1774)
秋田藩が幕府の許可をえて,秋田籠(かご)山銀紋所を開業する。
●安永7年(1778)
9月−秋田藩主佐竹曙山が「画法綱領」「画図理解」を著す。
武蔵国川越藩主秋元涼朝(すけとも)、山形へ入封。
日向国高鍋7代藩主種茂(たねしげ)の弟松三郎、米沢藩主となり上杉治憲(はるのり=鷹山)と称す。
●明和8年(1771)
5月2日−藩政改革に着手した米沢藩主上杉治憲が儒学者細井平洲を招く。
●安永2年(1773)
6月26日−米沢藩主上杉治憲の藩政改革を批判して,重臣7人が訴状を提出する(七家騒動)。
●安永4年(1775)
9月12日−米沢藩が漆方・桑方・楮(こうぞ)方の樹芸役所を設置し,領内産品の振興をはかる。
●安永5年(1776)
4月19日−米沢藩の藩校,興譲館が開校する。
11月6日−米沢藩が縮(ちじみ)役場を設置し,領内産品の振興のため,
越後の小千谷から縮織りの技術を導入する。
●安永8年(1778)
米沢藩が荷物改会所を設置し,荷物の移出入統制をはかる。