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【秋田】
●寛永元年(1624)
【山形】
●寛永3年(1626)
6月3日−秋田藩がキリシタン武士21人とその家族会わせて32人を処刑する。
●寛永10年(1633)
10月25日−秋田藩主佐竹義宣(64)没。
奥州街道の脇街道である羽州街道の松原に宿駅が設置される。
●寛永18年(1641)
この年、奥羽で飢饉。
●寛永20年(1643)
10月−秋田藩が領内沿岸に外国船警備のための番所をおく。
松平重直、出羽国上山(かみのやま)三万石から摂津国三田三万石に移封。
●寛永5年(1628)
12月18日−米沢藩主上杉定勝が藩士を含む領内のキリシタンを処刑する。
米沢藩領で15名のキリシタン宗徒が処刑される。
●寛永6年(1629)
9月23日−米沢藩主上杉定勝が領内の153歳になる長寿者を見舞う。
●寛永9年(1632)
2月−飽海(あくみ)郡遊佐(ゆさ)・荒瀬両村の農民が検地・重税に反対して,由利、仙北郡に280人が逃散する。
沢庵和尚が上ノ山に配流されるが、将軍秀忠の死去により、流罪を解かれる。。(紫衣事件)
●寛永10年(1633)
10月−酒井忠重が領する白岩八千石領内で、忠重の悪政に反対した農民たちが23ケ条に
のぼる訴状をもって幕府に直訴し、一揆を起こす。白岩陣屋を攻め,家老を殺害する(白岩一揆)。
奥州街道の脇街道である羽州街道の松原に宿駅が設置される。
●寛永13年(1636)
8月−新庄藩戸沢氏の城下町新庄で火災がおこり,城に延焼して本丸・天守も焼失する。
山形藩主の鳥居忠恒が没し、嗣子がいないため断絶。代わって信州・高遠から保科正之が20万石で入封。
米沢藩が総検地を実施する。
●寛永14年(1637)
10月−最上郡小国郷で宗門改めに反対して農民が逃散する。
●寛永15年(1638)
6月−幕府領の村山郡白岩郷で農民一揆が再発する。
保科正之は、白岩一揆の首謀者38名を山形で処刑。
山形藩主保科正之が領内検地を行う。
●寛永16年(1639)
5月16日−米沢藩が切支丹横目を郷村に派遣し、宗徒を探索する。
閏12月19日−山形藩領内でイエズス会の宣教師が捕らえられる。
●寛永17年(1640)
米沢藩が領内百姓の村山郡延沢銀山などへの出稼ぎを厳禁する。
●寛永18年(1641)
6月2日−米沢藩主上杉定勝が「寛永御条目」を定め、藩士らに布達する。
この年、奥羽で飢饉。
●寛永19年(1642)
9月30日−米沢藩領置賜(おきたま)郡中津川村など4村の農民が逃散の罪で処刑される。
●寛永20年(1643)
保科正之が会津に転封となり、山形藩は一時、幕領となる。