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●慶長5年(1600)
●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長9年(1604)
●慶長11年(1606)
●慶長14年(1609)
●慶長16年(1611)
●慶長19年(1614)
●慶長2年(1597)
小泉次大夫吉次、二ケ領用水開削のため、川崎領村々を検分し、着工する。
ウィリアム・アダムス(三浦安針)ら浦賀へ入港。
6月24日−家康が江戸城中に富士見亭文庫を設立して金沢文庫の書籍を移し、目録作成を命じる。
家康、東海道の伝馬制度を実施し、神奈川、保土ヶ谷、藤沢、小田原宿を設ける。
岩槻藩主・高力清長、岩槻町の市立掟(いちだておきて)を定める。
小泉次大夫吉次、稲毛・川崎二ケ領代官に任命され、用水奉行を兼役。10年には井堀にあたって黒印状が与えられる。
中山道に伝馬制がしかれる。
足立郡芝村長徳寺の住持寒松(かんしょう)、下野国足利学校の庠主(しょうしゅ)となる。
伊奈忠次、備前堀を開削して、烏川から取水する。
高麗(こま)郡上直竹(かみなおたけ)村の石灰が江戸城修築の御用石灰となる。
酒井忠利、駿河国田中より川越に入封。
徳川家康、南光坊天海に川越喜多院の再興を命じる。
稲毛、川崎二ケ領用水完工し、川崎領23村、稲毛領37村が恩恵を受ける。
岩槻に潜んでいたキリシタン原主水が捉えられ処刑される。